第24話 〈断崖道〉と〈新なる大橋〉

 大精霊が腕を振るうと、断崖から光が漏れた。その光に向かって、浮かび上がった石や土が吸い寄せられていく。


「これは凄いな。ところで——魔女様がこの作業をするとなると、いかがなものだろうか?」


 リラカが尋ねる。


「——この規模の魔法は、私でも難しいんじゃないかな。規模と繊細さを両立させるって、めちゃくちゃしんどいんですよ。大精霊様は本当に凄いです。人間種では太刀打ちできないです。ドラゴン様も想像以上でしたけど」


 浮かび上がった石と土は、精霊の意志に従うかのように、橋の形を作り始めた。崩れていた部分が修復され、少しずつ橋が伸びていく。


「この大工事は、大精霊様でも一日掛かりでしょう。我々が何かできることもなさそうなので、ここはお任せするとして、ひとつ提案があるんですが——」


 イズミの言葉に、リラカが怪訝そうな顔をした。


「ここから東に半日くらい行ったところに、ゴレイゴっていう街があるんですよ。そこで物資の補給とかしませんか。あの、アールヒルドさんの服とか用意しないといけませんし」

「吾輩に気を遣ってくださっておるのであれば、ありがたい限りですな。しかし旅のご予定はそれで大丈夫なのでしょうか」


 アールヒルドの声は、イズミのはるか上方から聞こえてくる。彼の身体は全盛期のそれと相違ないほどに生気が漲っている様子だ。既に人間の体には慣れた様子だ。

 彼の身長はイズミよりも頭三つほど高く、肩幅はイズミ二人分ほどもある。当然、服も武装も特注になる。街にはその期間滞在することになるだろう。


「この道は、かつては〈古の大橋ビッグブリッジ〉を利用するための交易路で、今は橋を通り過ぎて大陸の中央にまで伸びています。通称ですが、〈断崖道だんがいみち〉と呼ばれています。百年くらい前まではこの大陸を横断する重要な街道だったんですが、今は途中で道が途絶えてしまっているので、ここから先はあまり利用者がいません。この先は断崖と森に挟まれて狭くなっていますし、昔は町や村もちらほらあったんですが、街道が寂れてからは、もう皆離れてしまった感じです。普通の旅人には色々と危険視されています。野盗や山賊とかも出ますしね」


 イズミが懐から地図を取り出して広げてみせた。

 大陸の中央部に出るには、ゴレイゴを経由して〈断崖道だんがいみち〉を辿っていく通称〈中央回り〉を選ぶか、王都から南下してベルトの街を経由し、さらに森づたいに西を目指すルート、通称〈南回り〉があったのだが、百年ほど前に〈断崖道〉の山越えをするルートで大規模な山津波が起きて、今は通行できないのだとのことだった。イズミがアルゴーの元を目指すために取ったルートも、南回りだという。


「本当は、以前のように、〈断崖道だんがいみち〉もちゃんと整備されれば良いんですけどね——。山道を管理している王国の貴族様は、もともとその山津波の起きたあたりで鉱山を経営されていたんです。でもその災害が起きてからは、あまり経済状況がよくないらしいのですよ。なので街道も放置されてしまってるんですよね」


 イズミの話を聞いていたアールヒルドが首をかしげた。


「山津波というのは、地震などで、山の斜面が崩壊して起きると聞いておりますぞ。だが、おかしいですな。古くからの道で、鉱山も沢山あり、吾輩が知っている限りでは、地震などめったにない地域のはずですが」


 二人の話を聞いたアルゴーは、何か心当たりがあるのか、イズミから黙って数歩距離を取った。


「アルゴーさんのところに行く前に、色々と話を収集してみたんですが、やっぱり原因が掴めないんですよね——」

「まぁ、それはともかく、一度その何とかという人間種の街に寄るのには賛成だ。ちんたらしていると、ドワーフの住むという北の山脈に到着する頃には、冬になってしまう。寒さ対策は重要だ」


 リラカが脱線し掛けた話を元に戻した。話によれば、エルフの大森林は既になく、荒野になっているはずだ。ここからは魔物の目撃例も増えている。


「そういえば、橋が崩れたのがいつ頃のことなのか、リューリカさんに聞いてきませんでしたね——」


 以前、彼女が旧帝国領に探索に出た時には、まだ橋は掛かっていた。それが百三十年ほど前のことになる。それから先も明確に崩落したという噂は聞いていなかったから、ごく最近のことのように思えた。〈古の大橋ビッグブリッジ〉を修復すれば、分断された北側の土地に住む人たちも移動してくるはずだ。


「橋が崩落したのは、つい先日、一昨年か、先一昨年くらいのことですぞ」


 アールヒルドがイズミに伝えた。思ったより最近だったが、元住民の発言には説得力がある。続けて細かい時期を確認すると、イズミがアルゴーの元に向かっている旅の途中の時期に、巨大な何かが橋を通り、その後で人為的に落とされたということがわかった。


「あー。もうちょっとこっちのルートにも気を配っておくべきでした。情報収集が足りてませんね」


 しょげた顔をするイズミに、ノアールが近づいて来て脚に尻尾を絡めた。


「ここから北に向かった橋落としの犯人たちが、追っ手から逃れるために〈古の大橋ビッグブリッジ〉を落とした、ということなんでしょうか」

「そうかもしれません。そうなると、やっぱりゴレイゴの街で状況を訊いた方が良いでしょうね。それよりも何よりも、〈古の大橋ビッグブリッジ〉を落とせるなんて普通ではありません。魔法を使ったのであれば、大魔法使いに相違ありませんし、そうでなければ、何か専用の魔道具か何かを使ったのかなぁって思います」

「はて。その時のことを思い返しても、魔法は感じられませんでしたな。吾輩が大魔法使いを見逃すとも思えないので、恐らく魔道具を使ったのだと思われますな」


 アールヒルドはそこで一旦言葉を区切った。


「お嬢様、〈古の大橋ビッグブリッジ〉を落とした一行は相当な実力者たちでしょうな。今後、鉢合う可能性がありますぞ。おそらくは、そ奴らもドワーフの国を目指しているのでありましょう。巨大な何かは、吾輩の見立てでは、巨大な魔物かと思われます」

「ああ。それは十分考えられる事態じゃの」


 アルゴーも聖騎士の意見に同意した。


「それでは一旦〈新なる大橋ビッグブリッジ〉が完成するまで待ち、ゴレイゴの街で装備を整えてから橋を渡る、という方針でよろしいでしょうか」


 イズミの提案に、誰も反対するものはいなかった。


 土の大精霊による作業は一晩続いた。その間、誰も通り過ぎなかった。橋が落ちたことが知られているので、極端に通行量が減っているのだろう。これでは交通の要所として栄えたゴレイゴの街も寂れてしまう。


 明け方、まだ暗いうちに精霊が静かに告げた。


「橋は完成した。確かめるがよい」


 寝ずの番をしていたリラカとアールヒルドがその言葉に立ち上がる。もともと寝ていなかったアルゴーと白フクロウも土の大精霊に近寄っていく。残るはイズミとノアールだが、寝起きが悪いのはイズミの方だ。ノアールは気配を感じて起き出し、イズミの頬を前足の肉球で何度か優しく叩いた。


「イズミ、もう朝だ。周囲は昨日の今日で、まだ疲労が抜けきっていないのはわかる。わかるが、今は起きるが良い。〈新なる大橋ビッグブリッジ〉が完成したと土の大精霊が言っておる」


 アルゴーが伝えた。すると、イズミは「ぴゃ!」と奇妙な声を上げて飛び起きた。


「はい。大丈夫です。イズミは起きてます!」

「明らかに見るからに寝てたじゃろうに。さぁ、あれを見るが良い。朝日に輝いておるわ。実に見事なものだのう——」


 一行の目の前に、新しく生まれ変わった橋が架かっていた。

 堅牢で美しい。ありし日のままの〈新なる大橋ビッグブリッジ〉だった。

「土の大精霊様! ありがとうございます!」


 イズミは心からの感謝を込めて言った。土の大精霊は微かに笑みを浮かべたように見えた。そして、現れた時と同様に、霧のように消えていった。

 アールヒルドは新しい橋を見つめ、そしてイズミたちの方を向いた。


「吾輩の約束は果たされましたかな」

「ええ。それはもう!」

「それではせっかくだし、次の目的地へ急ごう。ゴレイゴという人間種の街で良いんだな。だがエルフが不用意に人間種の街に入っても大丈夫なものだろうか」


 リラカが確認をする。緊張した顔をしており、不安を感じているようだ。


「大丈夫だと思いますよ。エルフの方は珍しいですが、以前、エルフの大森林出身のエルフの方が立ち寄った記録もありますから。あと、リラカさんなら大丈夫ですよ。おそらく王都経由で、ベルトの街のエルフの話は伝わっていると思いますし」

「それなら助かるな」


 リラカはほっとしたような表情を見せた。


「あの、僕はノアールといいます。〈猫ドラゴン〉と呼ばれている若いドラゴンです。人間種の、しかも聖騎士の方を間近で見るのが初めてでして。どうか色々教えて下さい」


 ノアールが好奇心いっぱいの目でアールヒルドを見上げた。


「おお。猫ドラゴン様。それはもう喜んで! 吾輩必要とあらば、剣の指南などもさせていただきますぞ!」


 聖騎士は巨大な掌で猫ドラゴンを抱き上げた。アールヒルドの巨体からすると、ノアールはまるで子猫だ。


「わぁ。よろしくお願いします」


 イズミは一同を見渡した。アルゴーも、その肩に乗った白フクロウも、満足げだった。


「では、私たちの新しい仲間、アールヒルド・バルノアさんをお迎えできましたことですし、旅を続けましょう」


 一行は断崖から少し離れた位置にある〈断崖道だんがいみち〉を下流に向けて歩き始めた。次の目的地はここから半日と掛からない位置にある中規模都市だ。

 歩き始めてから少しすると、アールヒルドは立ち止まって背後を振り返った。

 彼は長年大蛇の姿で棲んでいた大峡谷を見つめ、ふうとため息を吐いた。


「どうかしましたか?」


 アールヒルドを気にして立ち止まったイズミが尋ねた。

 聖騎士は首を横に振った。


「吾輩が囚われていた間の孤独を、少しだけ思い出しているだけでありますよ」


 イズミは優しく彼の肩に手を置いた。


「もう一人じゃありませんよ」


 アールヒルドは笑みを浮かべて何度も頷くと、再び歩き出した。

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