第22話 対話

「アールヒルドさん、アンジェリカがあなたを裏切ったこと、そしてあなたが長い間苦しんできたことは、よく存じ上げております」


 アールヒルドは唸り声を上げた。


「貴様に何が分かるというのだ! この地に落とされ、この姿で何百年も生きてきた苦しみを、裏切られた悲しみを、お前に理解できるものか!」

「確かに、私にはあなたの苦しみを完全に理解することはできません」


 イズミは静かに答えた。


「それでも、私は今この大陸で生き残っている最後の大魔法使いです。アンジェリカの魔法のことは理解していますし、それを解くことだって可能です」


 アールヒルドの目に、わずかな迷いの色が浮かんだ。


「なぜ、なぜお前はそんなことをするのだ。それだけの力があるならば、お前の同族の魔法使いどもを殺し続けた吾輩を、ただ一方的に断罪することもできるだろう。帝国がそう命じたのではないのか」

「アールヒルド様、帝国はアンジェリカの手によって滅びました。それから戦乱の時代が続き、新たに建国された王国も滅び、さらに戦乱の時代が続きました。アンジェリカが失踪したのが大陸統一歴で二四四〇年のことでしたから、それから六百年近く経っております」

「——そんなに経っているのか」

「もう、アールヒルド様のことを覚えている方も、ほとんどいらっしゃらないでしょう。聖騎士にして人類最強の護り手〈龍を屠し者ドラゴンスレイヤー〉アールヒルド・バルノアという名は、忘れ去られて久しいのです」

「それでもお前が吾輩を救うことは、何の得にもならんではないか」

「私たちには、あなたの力が必要なんです」


 イズミは正直に答えた。


「この大断崖に橋を架け直す手伝いをしていただきたいのです。そして、我々と共に戦っていただきたいのです」

「橋だと? あの崩れた橋をか?」


 アールヒルドは首をもたげ、崩れた橋に視線を向けた。


「どうしてだ。理由を答えろ」


 イズミは深呼吸をして大蛇に向き直った。


「先ほどもお伝えしましたが、アンジェリカが引き起こそうとしている危機から世界を救うためです」


 その言葉に、アールヒルドの目が大きく開いた。


「あやつが何をしようというのだ」


「彼女は今も〈虚無〉を使って、この世界の魔素を奪い続けています。そして彼女は、自身の目的を果たすためだけに、この世界を犠牲にするつもりでいます」


 イズミの言葉が、アールヒルドの心に浸透していく。かつての聖騎士としての誇りが、長い眠りから目覚めつつあるかのようだった。


「証拠はあるのか?」


 アールヒルドは尋ねた。その声には、先ほどまでの怒りは感じられない。

 イズミは静かに頷いた。


「ええ。世界の一部は、アンジェリカと戦い続けています。そして、それをあなたにお見せするためにも、私たちはこの先に進む必要があるんです」


 アールヒルドは長い間黙っていた。その間ずっと、周囲の空気は張り詰めている。

 イズミの背後に聳えるアルゴーが、イズミの発言を引き継いだ。


「アールヒルドとやら。貴様が人間種最強というのならば、共に行こうではないか。この女魔法使いは、何頭ものドラゴンを引き連れ、滅びゆく世界を救おうというのじゃ。未来の英雄の座は、まだ空いておるぞ——」


 巨大な蛇は大きく息を吐いた。


「よかろう。お前らの話を聞こうじゃないか。だが、もし口から出まかせだとだと分かれば——覚悟はできているのであろうなッ!」

「ありがとうございます」


 イズミは大蛇に向かって頭を下げ、心からの感謝を込めて言った。


「大丈夫ですよ。そこは安心してください。これからの旅の計画をお伝えしたいと思います」


 こうして、イズミたちとアールヒルドの間に、かすかながらも対話の糸口が開かれることになった。



 地響きを立てながらアールヒルドは巨大な体で器用にとぐろを巻いた。その姿は、まるで生きた山のようだ。


「ならば、アンジェリカの目的とやらを話してみろ」


 アールヒルドは低く唸った。

 イズミは深く息を吐いて話し始めた。


「アンジェリカは、この世界から全ての魔素を奪おうとしています。そして、その魔素を使って、元の世界に戻ろうとしているんです」

「元の世界? どういうことだ」


 アールヒルドの瞳がきゅっと細くなった。

 イズミは頷いた。


「私もアンジェリカも、実は別の世界から来たんです。〈世界渡りプレインウォーク〉と呼ばれる現象に巻き込まれて、この世界に降ってきたんです」


 アールヒルドは黙って聞いていた。イズミは続けた。


「アンジェリカは、この世界に来てしまったことを受け入れられないでいるんです。だから、どうにかして元の世界に戻ろうと考えています。でも、そのための魔法に必要な魔素は、それこそ途方もない量なんです。だから——」


 アルゴーが言葉を続けた。


「貴様の仕えていた大魔法使いは、今や世界を滅ぼしかけており、〈虚無の魔女〉と呼ばれておる。後先考えずに世界中の魔素を集めているのだ。そのために魔法そのものが消え去ろうとしている」


 その言葉にイズミが頷いた。


「アンジェリカの蛮行をこれ以上許してしまえば、この世界は魔法のない、死んだ世界になってしまいます。多くの種族が生きていけなくなるでしょう。精霊も消えてしまうかもしれません。想像できないような世界の変化が起きるでしょう」


 イズミはさらに続けた。


「私はアンジェリカから多くのことを学びました。私も〈世界渡りプレインウォーカー〉ですから、彼女が故郷に戻りたいという気持ちは痛いほどわかります。でも、今の彼女が選んだ手段は間違っていると思います。私は彼女から、この世界を守りたいんです」


 アールヒルドは長い間黙っていた。

 彼は口を開いた。


「あやつ、自分勝手放題な娘だと思っていたが、世界を敵に回すほどだったかよ——」


 アールヒルドの目に、かすかな光が宿った。


「アールヒルドさん」


 イズミは一歩前に出た。


「あなたはアンジェリカと共に戦った聖騎士です。この世界を守ることが、あなたの使命だったはずです」


 その言葉に、アールヒルドの体が微かに震えた。長い間忘れていた記憶が、蘇ってくるかのようだった。


「——そうだったな。確かにそうだった」


 アールヒルドは呟いた。


「吾輩は帝国の筆頭聖騎士だった。当時は魔物と戦うことも多かった。アンジェリカから、帝国をずっと護って欲しいと言われたのもその頃だ」


 イズミは黙って頷いた。


「そうです。そして今再び、この世界には護られるべき人々がいるんですよ」


 アールヒルドは長い間沈黙していた。その間、周囲の空気は張り詰めていた。

 ついに大蛇は大きく息を吐いた。


「よかろう。お前の言葉を信じよう。それで、アンジェリカの元に行くための旅に同行せよというのだな」

「そうです」


 イズミは真剣な表情を見せた。


「あとはこの橋を修復せよと」

「はい。この断崖で、大陸は南北に大きく分断されてしまっています。旧帝国領は、人間種の訪れることのできない土地となって久しいのです」

「わかった。協力しよう」


 そん答えにイズミは微笑んだ。


「ありがとうございます。橋の修復には土の精霊の力が必要だと思いますが、蛇の姿と人間の姿、どちらの方がアールヒルドさんにとって都合が良いのでしょう?」


 アールヒルドはその問いに少し驚いたような表情を見せたが、すぐに頷いた。


「ああ、それならば人間の姿の方が良かろう。この姿では精霊を呼ぶために声を出すのも難儀だ」

「では、早速蛇の姿から戻っていただきますが、ええと、お召し物が必要ですよね——ちょ、ちょっと待っててください。相談します!」


 大蛇が人間に戻った時に、裸だと目のやり場に困ると、女魔法使いは慌てているのだ。優先順位がおかしい。


「ははは。そうか。そうなるか」


 大蛇が可笑しそうに笑った。



「すごく雑で申し訳がないのですけど、まずは腰巻きを付けてもらう感じですかね——」


 イズミが相談したのはリラカに対してだった。


「魔女様、服を作る魔法とかないんですか?」

「ある、と思うんだけど、どうかなぁ。そうなると先にサイズとか測らないといけないじゃない? あの人魔法が解けたら裸よね? 裸のままサイズ測るの? うきゃー」


 緊張が長く続いたのが影響してか、妙にポンコツな発言である。


「何なんですか。それなら確かに幅広の布を出した方がいいですね。腰巻き一つと、肩から布を体に巻いて羽織る感じで十分でしょう。ただこれから寒い地方に行くので、あればどこかの街で、ちゃんとした服を仕入れた方が良いと思いますよ。これについては我々も例外ではないと思いますが」

「確かに。なら、とりあえず一旦橋を作ってもらって、その後でこのまま川を下って、どこか大きめの街にまで行くのが良いかもしれませんね」


 え、あの川を下るんですか。リラカは内心そう思ったが、口に出して言うことはできなかった。


(つづく)


--

【著者より】

最後はポンコツな感じで締めましたが、とりあえず次回はアールヒルドさんに人間になってもらって、それから橋の架け替え工事ですが、あっさり終わる予定です。激流降りは実際に行うとなると、リラカがズタボロになりますね……現状、フィジカルが人間並みなのはリラカだけなので。

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