第18話 祝福と旅立ち
「この森は本当に優しい場所です。悪意や邪気が全くない。管理されてきたホワイトビーチ氏族のエルフの方々の気持ちが、森の精霊に通じているのでしょう」
悪意を持つ精霊の棲む森では、茨の壁や毒の沼、飢えた獣に人を惑わす霧などが、旅人に次々と襲いかかるという。だが、ベルトの大森林は例外的に優しい森だと、リューリカは語った。
長い年月にわたって管理をしてきたエルフの想いを蔑ろにしないように、この森を未来永劫守るのだと、彼は
「それにしても、地下深くに潜んでおった、まだ魔素を奪われていない精霊とはのう」
アルゴーが感慨深げに頷く。
「わしらが証人となるから、ここで井戸の精霊とつがいになっておくべきじゃろ。なぁ」
白フクロウに声を掛ける。
「そうですよ。早く一人前のドラゴンになれば、この森を安心してお任せできますもの。そっちの方が良いに決まっています」
彼女が風の大精霊であるということは、既にリューリカにも説明している。
「お母様と同じ〈水のドラゴン〉ではなく、リューリカ様には〈深き井戸のドラゴン〉という別名を贈るので如何でしょう。その方が精霊の名として正しく伝わるように思いますから」
「それは良い名じゃの。わしの方からその名を贈らせてもらうぞ」
イズミの提案に、アルゴーが即座に賛同した。黒ずくめの青年は、
「こちらのご老体は、私のことをずっと待たせたんですよ。そういう不義理はしないこと。チャンスがあれば、すぐにでもつがいになるべきです。そちらの方が精霊は嬉しいものですよ」
白フクロウがたたみかけた。横でアルゴーが苦笑いを浮かべる。
——すごい。またドラゴンの結婚が見られるんだ。
イズミの心は震えていた。つい先日まで、ドラゴンはもう失われかけた種族、伝説か神話にのみ語られる存在と考えていたのだ。だが、彼女がアルゴーと出会ったことで、次々と彼らとの縁が広がっていく。それが嬉しかった。
家から出た一行は、井戸の前に集まった。
「〈水のドラゴン〉リュカーシャの子よ、ドラゴンの姿に戻るがよい」
アルゴーがそう告げると、黒ずくめの青年は、意外にも純白な鱗で覆われたドラゴンの姿を表した。全長は五メートルほど。小ぶりだが背中には羽毛に包まれた二対の鳥のような羽が生えている。
「リューリカ様、かっこいい——」
ノアールが目を輝かせた。
「こやつの母は薄い水色の鱗で、翼を二対持っておる。そういうところは変わらんの」
「僕は、あまりお父様と似ておりませんね——」
「何をいうか。わしとお前は、生き写しじゃないか」
猫ドラゴンの瞳の色は、アルゴーと同じ色だ。しかし、それ以外は猫とドラゴンの姿で全く違って見える。
「お前もそのうちドラゴンの姿も取れるようになる。わしも元々は猫ドラゴンの姿だった——それはともかく、リューリカ、そこな井戸の精霊は、少々引っ込み思案なところもあるようだが、共にあろうという意思は変わらんのじゃろ」
アルゴーに問われたリューリカは、もちろんですと即答した。
「ならば我々が証人を引き受けよう」
アルゴーの言葉を受け、イズミとリラカが頷いた。もとよりイズミには、井戸の精霊と直接意思をやり取りする方法はないのだが、周囲の空気が歓喜に満ちていることは伝わっている。それはリラカも同様だった。
「それでは、深き井戸の精霊よ、ご準備はよろしいですね」
白フクロウが声を掛けた。
リューリカが目を細める。続いて彼はドラゴンの言葉で誓いの言葉を発した。
「我、〈水のドラゴン〉リュカーシャの子、リューリカは、深き井戸の精霊を伴侶とし、世界が終わるまで共に過ごすことを誓う」
この言葉は白フクロウが人の言葉に翻訳して、イズミとリラカの耳に届けた。
「証人は、真なるドラゴンである〈ブルードラゴン〉アルゴーと、〈放浪の魔女〉イズミ・アルコット。ホワイトビーチ氏族のエルフ、リラカ。そしてアルゴーの子、〈猫ドラゴン〉ノアール。そしてこの地を祝福する精霊たちだ。地の果てにまでリューリカが真のドラゴンとして生まれ変わったことを伝えるがいい!」
その言葉を受けて、井戸の精霊は若いドラゴンを包み込んだ。周囲に細かな水滴が散る。
もちろん全員ずぶ濡れだが、その場にいる誰もが皆笑顔だ。
——こんなにも幸せなことがあるだろうか。
ドラゴンは永遠を生きる。つがいとして選ばれた精霊もまた永遠だ。
この森はもう大丈夫だ。真なるドラゴンが守る森が滅びるはずがない。
「おう。濡れた濡れた。気持ちがいいのう」
「あー楽しかった」
ノアールが体をプルプルと震わせ、周囲に水滴を散らした。
「皆様ありがとうございます」
先ほどまでの真っ白な鱗に、パールのような虹色の煌めきが追加されている。
「〈深き井戸のドラゴン〉リューリカ様、このたびはおめでとうございます」
イズミが頭を下げた。
「〈放浪の魔女〉様、祝福をありがとうございます」
「そうだ、リューリカよ。今後は黒ずくめはやめとけ。これからは白がいいぞ、白が。貴様は面識がないようだが、黒衣は〈黒鉄のドラゴン〉の名を持つ真のドラゴン、プシファが難癖を付けそうだ。あの女は後先考えずに動くからな」
「ご忠告賜りまして誠にありがとうございます。それでは失礼して」
リューリカが人型を取った。虹色の光沢を持った真っ白な羽毛で覆われたローブを羽織っている。
「凄くかっこいいです——」
ノアールがリューリカを見つめて眩しそうにしている。
「おお。いいではないか。そのローブの羽根は、鱗の色と同じだな」
イズミには少し派手過ぎるようにも思ったが、ドラゴン達には好評だ。
「ドラゴン様、森を頼んだぞ」
圧倒されていたリラカが、リューリカに念を押すように告げた。
「この大森林を守り続けてきたホワイトビーチ氏族のエルフよ、その頼みを承りました。そして、私の故郷でもあるこの大森林に新たに名をつけたいと思いますが、ご同意いただけますでしょうか——?」
確かにこの森は、南側にある人間種の街〈ベルト〉にちなんで、〈ベルトの大森林〉と呼ばれることが多いが、正式な名前がつけられている訳ではない。リューリカはその森に対して、正式に名付けをしようというのだ。
真なるドラゴンの命名に反対する者もいないだろう。
「生まれ変わって最初に使う魔法が、命名の魔法というのは面白い。良いのではないかな。わしらもその名でこの森を呼ぶことにする」
誰も〈深き井戸のドラゴン〉の提案に反対する者はいなかった。
「それでは僭越ながら、この森を今後〈ホワイトビーチ大森林〉とします。精霊よ、世界の隅々にまで、我の名と共にこの森の名を届けたまえ」
その言葉に最も驚いたのはリラカだった。
「おお、〈深き井戸のドラゴン〉様、感謝致します——」
この森に住む最後のエルフの目から涙が溢れていた。
リューリカが真のドラゴンになって二日経った。
イズミ一行はそろそろ旅を再開することを告げた。
白ずくめの青年は、井戸から湧く魔素の濃い水を汲んでいくことを提案した。
ここでもイズミはリューリカに驚かれるほどの水量を汲み上げた。きっと旅先で役立つことだろうと、〈深き井戸のドラゴン〉は微笑んだ。
その後、青年は一行と出会った〈揺籠〉まで案内をしてくれた。
無事〈揺籠〉に到着すると、彼は深々と頭を垂れた。
「この度は、誠にありがとうございました。皆様方、またお会いできる時まで、しばしのお別れを」
リューリカの言葉に、アルゴーが頷く。
「我々はこのホワイトビーチ大森林を故郷と思っている。いずれ戻る。それまで頼んだぞ——」
「承っております」
「あの、リューリカ様、こちらを受け取っていただけますでしょうか」
イズミが取り出したのは、指先ほどの大きさの水晶の単結晶だった。
「もし何かよからぬことがこの森で起きた際には、この水晶を砕いてください。結界を強化できるかと思います。今後、私の二番目の師、〈虚無の魔女〉アンジェリカ・エーレンバーグが、豊富な魔素を狙ってこないとも限りませんので——」
「〈放浪の魔女〉様、ありがとうございます。〈虚無の魔女〉の噂は聞いております。今後は森全体に結界を広げていきたいと思います」
青年はそう答えると、そうだ。言い忘れるところだったと呟いた。
「この森を抜けますと、次は〈大峡谷〉に辿り着くと思います。ただ、残念なことに、〈大峡谷〉を安全に渡ることのできた
リラカはその言葉を聞いて戸惑う表情を見せた。
「〈呪われし大蛇〉アールヒルドですか——」
イズミはリューリカが告げてもいない大蛇の名前を呟くと、無意識に右手の親指の爪をがりりと齧った。
(つづく)
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【著者より】
新しい協力者を得て、次の目的地へ。ここまでで第二章が1/3ほど進んだことになります。一行はさらに北へと足を伸ばし、〈大峡谷〉で何やらイズミと因縁のありそうな大蛇と対峙することになるようです。〈大峡谷〉を越えてエルフの大森林跡、それを抜けて北の山脈までが第二章の旅になります。果たしてドワーフの王国まで無事到着できるのでしょうか。それでは次回もお楽しみに。
★ここまでお読みくださり、さらには応援していただき、ありがとうございます。レビュー・応援コメント・誤字脱字誤用の指摘等、心よりお待ちしております。今後ともどうぞよろしくお願いします。
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