第17話 リューリカの家で
「アルゴー様、こちらの領域では、地下深くに眠っておられた水の精霊の力をお借りして、魔素を地下から汲み上げております」
一行は黒ずくめの青年に導かれ、井戸の前で紹介を受けている。
「こちらが、この井戸の精霊になります」
湧き出る水から、小さな人型のものが姿を現した。
「この地を魔素溢れる地にしてくださっております。私は大変感謝して過ごしています」
「なるほど。先ほど通った柵の中、というかこの水を巡らせた川で結界を張っているのだな」
リラカがそう口にすると、リューリカが頷いた。
その後の説明によると、信じられないほど深い井戸から水を汲み上げているという。
「普通の井戸の十倍、二十倍という深さから汲み上げております。幸い、魔素に満ちた地下水でしたので、私はここでこうやって井戸を守って暮らすことを選びました」
彼はどうやら〈虚無〉については知識として知っているらしい。
「こんなに魔素が濃いと、それを狙ってやってくる者も少なくないのではないか?」
アルゴーが問うとリューリカは、今ではトレントが数体訪れるくらいですと答えた。
「過去には〈虚無の騎士〉が近づいたこともありますが、結界に気づかれたことは今のところありません。精霊の魔法で、ドラゴンの気配も周囲には漏れないようにしていただいているので、そこは安心しております」
彼は、〈虚無〉と戦わないことを選んだ、若い世代のドラゴンということなのだろう。
「リューリカ、旅立つ前に
安楽椅子に腰掛けたアルゴーが青年に尋ねた。
「〈黒鉄のドラゴン〉様ですか——。特別何も言伝られてはおりませんが、〈黒鉄のドラゴン〉様、〈黄金のドラゴン〉様、両ドラゴン様の現況については、ドワーフの王族であればご存知かと」
「やはりなぁ。どちらにしろ北の果てまで行かねばならんか——」
アルゴーにとっては、その二柱のドラゴンは〈虚無〉との戦いの間に共闘した関係だ。彼自身が深手を負い、先に戦線離脱したという経緯がある。
その戦いの後で、ドラゴンは次々に眠りについたという話は、既にアルゴーも耳にしている。
「ドワーフは、このまま北に向かって、〈大峡谷〉を抜け、かつてのエルフの大森林——今はもう見る影もありませんが——を通り過ぎた果ての巨大な鉄扉の向こうに引きこもって、滅多に姿を見ることもないと聞きます。ただ、西の果ての大陸にもドワーフ達の姿が見られるとか」
その言葉にリラカが首を傾げた。
「西の果ての大陸にドワーフが? あの大陸にはエルフが移住したが、その頃にはドワーフはおらず、リザードマンが少数住むばかりだったと聞いているが」
リラカの疑問に青年は明確な解答をできるだけの知識はないのだと告げた。
「まぁ、実際に行ってみればわかるでしょう。きっとドワーフ達のことですから、地下を掘っていたら、たまたま辿り着いてしまったのかもしれませんし」
寝てしまっているのか、丸くなったノアールを膝に乗せたイズミがそう言うと、空気が和やかなものになった。
全員で夕飯を食べた後で、リューリカは、どの部屋でもお好きにお使いくださいと一行に声を掛けた。
どうやら彼の家には、必要なだけ個室が用意できるという魔法が施されているようで、広さもある程度自在に変えられるらしい。
「わし、この魔法も知らんなぁ」
アルゴーがそう言うと、リューリカが種明かしをした。
「これは簡単な手品みたいなものなんです。元々広く作ってあるものを、狭く見せかけているだけです。私がドラゴンの姿になった時でも余裕があるように、元々ある程度広く作ってるんですよ」
「ああ、それなら分かる。気づかない方がどうかしておったわ」
最近、イズミの規格外の魔法を立て続けに見たことで、感覚が狂っているのだろう。
アルゴーとの会話を聞いていたイズミが、リューリカに尋ねた。
「リューリカ様、ここの地を守っている結界は、エルフの〈揺籠〉と同じようなものなのですか?」
その質問に、リラカが補足した。
「〈揺籠〉は、我々が出会った広場のことだ。あれは森の精霊様との契約で作られている。森の精霊様への信仰がなければ、立ち入ることすらできないはずなのだ」
エルフの言葉からは、どこか納得していない様子が読み取れた。
「ああ、私があの広場に入ることができるのは、トレントの方が森の精霊との間を取り持って下さったおかげです。〈虚無〉によって枯死しかけた木々に、魔素の豊富な井戸の水を提供したのが良かったみたいで」
リューリカの発言を聞いて、リラカが納得した顔をした。彼はリューリカの前にひざまずいた。
「この森の木々を守って下さって、ありがとうございます。自分はこの森に住む最後のエルフです。ドラゴン様がこの森にいらっしゃることを大変心強く思います。末長くよろしくお願い致します」
「ああ、やめてやめて。同じ森の仲間ですよ。これからもこの森で一緒に頑張りましょう」
「よろしくお願い致します。ただ自分は、この一行をドワーフの元にまで案内する役目もありまして——」
「大丈夫。この森のことは任せて。トレント達と守っておきますから」
一方その頃、ベルトの街では騒ぎが広がっていた。
魔法使いギルドが〈放浪の魔女〉を敵に回したという噂が流れ、一部の魔法使いによって侮辱を受けた魔女によって、近いうちに街が滅ぼされると、住民達は浮き足立っていた。
〈放浪の魔女〉がベルトの街を魔素の濃い街に仕立て上げたのは、この街を魔物たちの餌場にするためだ、という理屈である。
先だっての歓迎会の際にトラブルがあったという話は、宿から一行が去るところを目撃した住人達によって噂になっていた。泊まるはずだった部屋もキャンセルされ、怒ったような顔でエルフと共に街を出ていった話も広まっている。
そして、魔法使いギルドのトップである、ホーバー・ゼンセイをはじめとして、数名の騎士と魔法使いが、領主の命を受けて出立したことも、住人の不安を煽っていた。
だが、住民の不安に反して、領主はイズミに対して感謝をしていた。〈虚無の騎士〉を封じた件が伝えられており、その後の調査によって、危機は脱していることが証明されているからだ。
領主は、静観しておけば落ち着くだろうという判断を下した。
だが、魔法使いギルドと、イズミ一行がトラブルを起こしたことは事実だ。そこでゼンセイはイズミを探し出し、再度ベルトの街に招待し、今後〈虚無〉に対して、どのように対処するべきか意見を賜るべきだと領主に進言した。
そのための役は自分が請け負おう。
ゼンセイは自らの覚悟を領主に伝えた。
領主は老齢のゼンセイを街から出そうとは思っていなかったが、自分の意見を変えない老魔法使いに、幾つかの条件を示した。
無事に帰ってくること、十分な手練れを従者として連れて行くこと、そして魔法使いギルドの長として、後継者を指名してから行くこと。
老魔法使いは、それを承諾した上で、街を離れた。
ゼンセイのパーティは、彼以外に一人の女性の魔法使いと騎士三名からなり、馬車で街道を移動している。彼らが目指しているのは王都だ。途中の街などでイズミ一行に追いつければよし。追いつけなくても、王都で待つか、協力者を募って探し出す手を打つ。
老魔法使いはそう考えている。
「今回の旅では、この
騎士の一人がゼンセイに尋ねた。
彼らは馬車の中央に横たえられた
「これがあれば、道中で魔物などに襲われても、我々は君たちに守られるだけでなく、魔法を使って戦うこともできるのだ」
ゼンセイの横に座った若い女性の魔法使いが答えた。
(つづく)
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【著者より】
ドラゴンと精霊には人間のような明確な性別はありませんが、自認によってどちらの性にもなることができます。リュカーシャは性自認が雌ですが、これはドラゴンの世界では比較的珍しい存在です。
ゼンセイはベルトの街の魔法使いギルドの汚名返上を図るとともに、ベルトの街の魔素を強化する方法をイズミに依頼する意図で動いています。ただ、第一章にありました通り、イズミ達一行はベルトに戻ることはありません。
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