第16話 若き水のドラゴン
早朝。
イズミの腹の上に置かれた帽子がむくりと持ち上がり、中から黒い猫ドラゴンが顔を出した。
「あ。まだお休みでしたか」
鳥たちが囀り、もう朝だと告げている。イズミはまだ朦朧とした意識の中で、帽子を持ち上げて寝返りを打った。それを邪魔しないように、ノアールは翼を羽ばたかせ、ふわりと宙に避けた。
「おお。ノアールか。おはよう」
「お父様、おはようございます」
地上に降りたノアールは、ぴんと立てた尻尾をゆらゆらと揺らしながらアルゴーへと近づいていく。
「昨晩はこちらのお姿で休まれたんですね。しっかりとお休みになられましたか?」
「ああ。しかし、小さい者たちと行動をしていると思うのじゃが、いささか我が図体は育ちすぎておるな」
「それは年を経たドラゴンですから仕方のないところでしょう。ドラゴンは一生大きくなるものと相場が決まっております。まだ僕はとても小さいので、羨ましい限りです」
「ははは。すぐにでも大きくなるさ」
「ドラゴン様、おはようございます」
リラカが起き出してアルゴーに挨拶をする。
「ノアール様、昨晩はお仕事は捗りましたでしょうか」
「はい。大丈夫でした。イズミさんが転送を掛けた鉛の塊はそのままですが」
ノアールの実力では、鉛の塊を持ち上げることができなかったらしい。
「ああ、それは無理もないわい。そのうち本人が何とかするじゃろ」
その本人は、まだ起きてこない。
「あやつを起こさねば、美味い朝飯には与れんということになるな。そうなるとノアールが適役かのう」
「広場は森の中に幾つもあるんですか?」
イズミがリラカに尋ねた。
朝食を終え、荷物もまとめ終えて、そろそろ出発という状況だ。
「ああ。次の〈揺籠〉まで、また歩きずくめだ。一週間だから、あと六日。飽きるだろうが勘弁してくれ」
「いえ。大変感謝しています。こんなルートがあるなんて、知り合いのエルフの方にも聞いていなかったものですから」
イズミは懐かしそうな顔を見せた。
「そのエルフは——」
「エルフの森の出身で、しばらく一緒のパーティで行動していたのですけど、魔法海を渡って西の大陸に移り住んでしまったので、それ以来会えていません」
「そうか。俺たちも移り住んでいった奴らのことは気にはなるが——もう二度と会うこともないだろうな」
その言葉を聞いたイズミは、何かを考えているようだった。
「ありがとうございます。それではそろそろ出発しましょうか」
アルゴーとノアールの方を振り返る。
アルゴーは既に人間種の姿を取っており、準備は万端だ。
二日目、三日目、四日目と、特に何事もなく過ぎていった。
リラカが木道を降りて、紋様を描いた。
「今日の〈揺籠〉は、少し注意した方がいいかもしれない。エルフ以外の利用者がいるようだ」
「エルフ以外だと、どんな種族の方ですか」
「前にも言った通り、人間種もいれば、トレントもいる。まぁ、諍いごとは〈揺籠〉の中では禁止事項だから、身の安全という意味では特に気にすることもないとは思うが」
霧が晴れた。あまり変わり映えのない広場の隅に、全身黒ずくめの青年が立っている。
黒い外套に黒い鍔ひろの帽子、黒く染めた革鎧とズボン、黒い靴。真っ黒だ。
青年の背はイズミと同じ程度だ。
同じ旅人同士、または森で生活をする職種というには違和感があった。荷物を一切持っていないのだ。その意味ではイズミもアルゴーも異常なのだが、彼らには荷物を持たなくて済む理由があり、一行にはそれが理解できている。
「あれは、人に化けた若いドラゴンだ。近づいてくるわしの気配に気づいて、慌てて挨拶しに来たんじゃろ」
青年を一目見たアルゴーが口髭を捻った。
「失礼をご容赦願いたい。そこの人型を取られているのは、名のあるドラゴンとお見受けする。ご挨拶をさせていただいてもよろしいか」
離れた位置から一歩も動かずに、黒ずくめの青年は声を張った。
「よかろう。まずは名乗りたまえ」
アルゴーが返した。
「我が名はリューリカ。この森に住むまだ幼き水のドラゴンである。この度、この森にただならぬ同族の気配を感じ、馳せ参じた次第」
「あー。堅苦しい挨拶はそこまでで良いわい。我が名はアルゴー。この大陸の西の果ての山脈に住む風のドラゴンだ。水のドラゴンだと? 〈水のドラゴン〉リュカーシャの息子か?」
「はい。母は先日、西の大陸に渡りました。私はまだ幼いため、水の精霊様と契約を果たしておりませんが、今後水の精霊様と契約を果たし、〈水のドラゴン〉を襲名しようと思っております」
この世界のドラゴンは、多くは同族同士でつがいとなることはせずに、精霊と契約して半身とする。アルゴーの場合は風の大精霊が半身となっている。精霊と契約を成したドラゴンは〈真なるドラゴン〉とされ、その性質を大きく変化させる。
「ドラゴンが三頭も顔を合わせるなど、大変珍しいことだな」
アルゴー、リューリカ、そしてノアール。そのうち二頭はまだ幼いドラゴンだが、椿事であることは間違いない。
「アルゴー様、もしよろしければ、私の家で一晩お休みいただけないかと思い、この場所まで参りました。ご一行さまもよろしければ、我が家にご逗留いただきたく存じます。我が家では、この魔素の薄い時代にあって、例外的に豊かな魔素の地を築くことができておりますので、是非お立ち寄り願いたく——」
「固い固い。もっと柔らかく喋れ。肩が凝ってたまらん」
「あ。はい。我が家では、アルゴー様にご堪能していただけるように、魔素をふんだんに浴びていただけるようにしてありますので、どうぞ皆様、お泊まりください」
「イズミ、だそうだぞ。この黒ずくめは、我が旧友〈水のドラゴン〉リュカーシャの息子だそうだ。どうもこの森に巣を作って縄張りとしておるらしい」
「リューリカ様、お言葉に甘えてもよろしゅうございましょうか」
「イズミ様はかの高名な〈放浪の魔女〉様でございますね。もちろん歓迎でございます」
どうにも固いが、このドラゴンは元々このような口調らしい。
そのやりとりの後で、意外なことに白フクロウが自己紹介を始めた。
「私は風の大精霊の眷属です。本体はアルゴーと共にありますので、分体のようなものだとお考えいただけますと幸いです」
ぺこりと頭を下げた。それに倣って二人が続けた。
「私はノアールと申します。〈ブルードラゴン〉アルゴーの子息にして未だ精霊様との契約を成していない幼きドラゴンです。よろしくお願いします」
「この森の最後のエルフ、ホワイトビーチ氏族のリラカだ。よろしく頼む」
「了解いたしました。ここから我が家まではすぐでございます。ご足労をお掛けいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「これはご丁寧にどうもありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」
挨拶を受けた黒ずくめの青年は、ぺこりと頭を下げた。
「ほほう。ここはいい場所だな」
リューリカの案内で、柵で囲われた土地に招かれた。
土地の中に一歩足を踏み入れると、イズミにも魔素が濃いことがすぐに理解できた。ベルトの街の魔素よりもさらに濃い。西の果ての山脈にある、アルゴーの巣と同等の濃度だ。これならば、ドラゴンもエルフも過ごしやすそうだ。
「空気が濃いですね」
白フクロウがイズミの肩で呟いた。
木漏れ日の柔らかい日差しが降り注ぐ広場に、おとぎ話にでも出てきそうな小ぶりの家が建てられている。
目につくのは、その家の前にある井戸だ。そこからはまるで泉のように水が湧き出ていた。湧いた水は小川となり、柵の周囲を巡っている。
イズミが小川を覗き込むと。小魚が泳いでいた。
「風の大精霊様、この地は精霊の結界の内側という理解でよろしいでしょうか」
イズミが尋ねる。
「そうですね。あの川が結界になっているんでしょう。エルフの精霊魔法と同じように、ドラゴンが精霊魔法を使っているということのようです。あの青年は、ここの精霊に大変愛されているのでしょうね」
早く
「あのドラゴンは、魔素を奪われていない井戸の水で、この土地に結界を施しているのね。イズミも覚えておくと良いわ。地上から魔素を奪い去っても、土中の魔素や地下水の魔素までは奪い切れていないってことよ」
(つづく)
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【著者より】
風邪気味です。拗らせないように気をつけます。
そのうち精霊魔法の仕組みもまとめないといけませんね。
★応援コメント・レビュー・誤字脱字誤用の指摘等、心よりお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
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