第2章 森から山へ

第15話 森歩き

「エルフの精霊魔法の中でも代表的なものに、森歩きの魔法がある。これを使いながら森の中を進んでいけば、わざわざ街道を辿って大回りをする必要などなかろう」


 リラカがそう言って森の中の案内を買って出てくれた。

 当初は街道を辿って王都を目指すという予定だったが、先にドワーフに会う方が良いだろうということで、森の中を移動することになったのだ。ベルトの街でのトラブルは魔法使いギルドを通じて、王都にまで伝わっているだろうし、その関係で街道に検問所が設置されないとも限らない。面倒を避けることも目的の一つだ。

 リラカによると、〈エルフの森歩き〉とは、精霊魔法を利用して、通常の人間種の十倍近い速度で森の中を移動できるようになるという。


「我々の隣にいつもいてくださる、森の精霊の助力が不可欠なのだ。水と光と風に感謝し、木々に祈りを捧げることで、その力をお借りすることができる」


 元々エルフは種族全体が森の精霊を信仰している。彼らの生活全般が精霊の力を借りることを中心としていると言っていい。風の精霊や水の精霊にも助力を仰ぐが、基本的には氏族の住む森の精霊と共にある種族なのだ。


「森の中では、エルフ以外にも、トレントが森の精霊を信奉しているな。しかし、あちらは集団での生活を好まない。森林の中で単独生活をしている者がほとんどだ。そもそもトレントは、樹木のような身体構造を持っているし、森の中で出会っても、見分けがつかない場合がほとんどだろう」


 リラカは地面に何やら紋様を描いた。


「俺は魔法使いのエルフというのは、ほとんど会ったことはない。だが全てのエルフが精霊使いだ、さぁ、道を開くぞ」


 一行の目的地は、リラカの氏族である、ホワイトビーチ氏族が住んでいた、大森林北部の拠点である。

「拠点までは、人間種であれば、少なくとも二ヶ月ほどは森を彷徨うことになる。森の中には獣道以外に道らしき道はないからな。単純に距離もあるから、エルフの森歩きの魔法を使っても、ここから一週間ほどは掛かる」

 実際に彼が拠点から街に近い場所に移動してきた経験からの日数だろう。

 リラカが説明している間に、先ほど描いた紋様から霧が沸き、周囲を白く染めていく。

 しばらく経つと、周囲はすべて真っ白に変わった。腕を伸ばした先も見えないような濃霧である。その一部だけが晴れており、まっすぐ奥まで視界が開けている。地面には両手を広げたほどの幅で木道が敷かれている。


「こちらの木のトンネルをまっすぐ行けば辿り着く。途中で休憩を入れながら歩いていけばいい。くれぐれも森の精霊に感謝を忘れないようにな。休む時には森の中に何ヶ所かある〈揺籠〉と呼ばれる場所を利用する。これは森の精霊との契約で、安全に休むことができる場所だ」


 キャンプ地のようなものだろう。


「ならば、早速行くこととするか。だが、これなら馬車のようなものを使ったほうがより早いのではないか」


 アルゴーがそう言うと、リラカが難しい顔をした。


「だがな、ドラゴン様、この道は徒歩専用だ。森の精霊は、金気を嫌うので、蹄鉄を履いた馬はこの道を通ることができないのだ」


「なるほど」


 アルゴーは納得したようだった。


 一行は木道の上を歩いていく。木道より先は霧で白く溶けているが木道の上は木漏れ日が差し込んで、快適な旅路だ。

 エルフは大きな背嚢を背負っているが、イズミとアルゴーは何も背負っていない。白フクロウと猫ドラゴンはアルゴーの頭に止まったり、イズミに抱かれたりしている。


「ドラゴン様、荷物は魔法で収納されているんですか?」


 リラカがアルゴーに尋ねた。そろそろ昼食の頃合いだからだろう。


「いや、わしは何も持っておらんよ。今までずっと惰眠を貪ってきたからな。百年ほどは寝なくても問題ないし、食う必要もない」


「そんなこと言わないでくださいよ。食べるものはいっぱい持ってきたんですから」


 イズミがそう横から口を挟んだ。だが、彼女自身も何も持っていないように見える。


「皆さんのお弁当くらいなら、指輪の中に保存しておけますから」


 そう言って左手を突き出すイズミに、ノアールが尋ねた。


「お弁当、いつ作られたんですか?」


「ええと、聞かないでください!」


 イズミが誤魔化そうとした。だが、白フクロウがイズミの頭の上に止まったことで、彼女は観念したようだった。


「私が西の果ての山脈に旅に出る前——です」


「え、それって十年くらい前ってことですか?」


「——はい。指輪の中は、時間が進まないから、作りたてのままなんですよ」


 一同がざわめく。


「そんな魔法、わし知らんけど」


「多分、他に使える人いないんですよね。オリジナルの魔法ですので」


 イズミが言い訳するように言ったが、全く効果はないようだ。


「そんなとんでもないものを持っていたら、商人とか、一代で成り上がれるぞ」


 リラカが口にした。


「——あ、はい。それもう、ずっと前にやりました。で、ちょっとやりすぎたかなって思って、反省して引退したんです」


「おい待ってくれ。いつ頃の話だ」


「今から百三十年くらい前? でも九十年くらい前には引退して、お店も譲っちゃってます。五十年くらいで旅の資金を荒稼ぎした感じですねー」


「荒稼ぎ?」


「荒稼ぎ?」


「荒稼ぎ!?」


「荒稼ぎ!」


 最後は白フクロウまで参加して、イズミのことを見つめた。


「え。違います違います。もうそんなにお金ないです。王都にはまだお店がありますけど、もうそこのお金は当てにできないですし!」


 イズミは誤魔化すようにニコニコと笑顔を振りまき、そろそろお昼にしましょうよ! と提案した。



「本当に時が止まってるんだな。どうしたらこんなに瑞々しいサンドイッチが旅の途中で食えると言うのだ」


 エルフがため息をついた。


「で、これがまだ大量にある、と」


「はい。正直、私は食べ飽きちゃっているんですけど、他にもいくつか種類があるんで、明日以降、それも出しますね」


 彼女は旅先ごとに、携帯して食べられそうなものがあると、大量買いしてストックしておくのだと説明した。


「ベルトの街でお弁当を仕入れられなかったのは失敗でしたねー」


「ところで、水も出せるのか」


「何ならお酒も出せますけど、それは夜でいいですよね?」


 先ほどから難しい顔をして会話を聞いていたアルゴーが、不安そうに尋ねた。


「それ、貯めてある水を一気に出す、とかできないよね?」


「残念ながら、出入り口がバスケットの口くらいしかないので、そこがボトルネックになります」


 質問の意図を正しく理解したのか、イズミはニコニコしながら答えた。その答えを聞いて、やっとアルゴーも笑顔を見せた。



「着きました。ここが〈揺籠〉です。」


 夕方になった頃に、リラカが立ち止まった。リラカは木道から横に一歩踏み出し、朝と同じように何やら紋様を描くと、祈りを捧げ始めた。

 次第に霧が晴れていく。するとそこは森の中にある円形の広場だった。


「ここはエルフだけではなく、森の精霊を信仰している者であれば、誰でも安全に利用することができる広場になっている。人間種であれば、木こりや狩人なども利用しているはずだ」


「火は使わない方が良いでしょうね」


 イズミが尋ねる。


「火は広場の中央に簡単な炉があるはずだ」


「でも、お夕飯もお弁当でよければ温かいままですし、わざわざ火を使わなくても良いかもしれません」


 イズミの提案に、一行は頷いた。火事の危険がないならばその方がいいだろう。

 この広場では、森の精霊の力で、温かく、暖を取るための火は必要ない。


 夕飯を終えた後で、リラカが説明を始めた。


「ここで各人適当に枝の間に布を張って、雨よけをして寝てくれればいい。俺も布を張って、その下で寝るつもりだ。ただまぁ、今夜は雨の心配はなさそうだがな」


 その説明を受けて、イズミがノアールに尋ねた。


「それなら、ノアールさんは西の山脈のご自宅に一度お戻りになりますか? 私はここで大丈夫ですが。もちろん明朝こちらにいらっしゃってくだされば、合流できると思います」


 その言葉にノアールが尻尾を立てた。


「いいんですか? 仕事を途中で放り出すことになってしまって、ずっと気になっていたのです」


 先日のアルゴーの強引な召喚以来、彼は巣に戻っていない。


「どうぞどうぞ。ほら、この帽子のところから」


 猫ドラゴンは礼を言って帽子の中に飛び込んだ。すると、彼の姿が見えなくなった。

 リラカが横で驚いた顔をしている。彼が〈転移門〉の魔法を見るのは初めてのことだ。


「——あの小さなドラゴン様は、ちゃんと戻れたのか?」


「ええ。大丈夫なはずです。それでは夜の支度をしましょうか。ここは森の精霊様の加護で、気候も穏やかですし、敷布だけで大丈夫でしょうか」


 アルゴーはそれを聞いた後で、リラカに尋ねた。


「ちょっとドラゴンの姿に戻っても大丈夫じゃろか。これだけ森の奥なら、人に姿を見られることもあるまい」


 リラカはそれを聞くと、目を閉じて何度か頷いた。


「ドラゴン様のご意志とあらば、森の精霊様も止めだてすることはございますまい」



「その姿も久しぶりに感じますね」


「そうじゃろ。ノアールがおると、なかなか羽根を伸ばすこともできんからな」


 青い鱗を薄く発光させた老ドラゴンが伏せると、広場の大半が埋まった。


「それでは明日の朝まで寝る」


 アルゴーはすぐに寝息を立て始めた。その鼻先に白フクロウが止まっった。


「ずっと気を遣ってくださってるんです」


 感慨深そうにドラゴンの姿を見つめているリラカの後ろから、イズミがそう声を掛けた。


(つづく)


--

【著者より】

第二章が始まりました。次の目的地はドワーフの住む北の山脈です。一行はベルトの大森森を抜け、大峡谷を抜け、エルフの大森林跡を抜けていくという旅路を予定しております。およそ4万字から5万字程度かな。引き続きよろしくお願いします。


★応援コメント・レビュー・誤字脱字誤用の指摘等、心よりお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。

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