第12話 エルフの家へ
「お父様! 僕は、あれはお父様が悪いと思うんです!」
ふわふわと空を飛びながら、ノアールが怒っている。先ほどから白フクロウはアルゴーの頭の上に止まって、髪の毛を一本一本抜いている。
「痛っ 髪の毛はやめてはくれまいか。痛っ! あれは仕方がないだろう!」
「いいえ、僕はそうは思いません。それこそイズミさんにも、エルフの方にも失礼な話じゃないですか!」
猫ドラゴンのぷんすこ、という擬音がよく似合いそうな怒りっぷりに、イズミは思わず声を出して笑ってしまった。
「笑わないでください! もっとイズミさんも怒るべきです!」
「ノアールさん、お気遣いどうもありがとうございます」
「いやいや、イズミが友達がいないというのがよくわかるわい」
「うがぁーっ! お父様! お父様はデリカシーがなさすぎます!」
「あなた、イズミに謝りなさい!」
白フクロウがアルゴーの耳に嘴で穴を開けようとしながら言った。
「むむぅ。そうか。——すまん」
コテンパンである。
「いいんですよ。だいたい私もあの人たちが何を怖がってるのか、全然わからないんですから。私は〈
諦めるのが当然という口調で、イズミは返した。
「あの——ちょっといいか」
一行のやり取りに戸惑いながら声をかけたのは、リラカだった。
「魔女様、先ほど、〈虚無の騎士〉を狩るとおっしゃったが、ええと、なんというか、それは可能なことなのか?」
「あ、イズミでいいですよ。はい。できると思います。元に戻すことは難しいですけど、〈虚無〉っちゃった存在を行動不能にするのは比較的簡単です。もちろん私にとっては、というだけで、他の人には難しいかもしれませんけど」
「もしよろしければ、その方法を教えていただけるとありがたいのだが——」
リラカの言葉に反応したのは、白フクロウだった。
「なるほど、森に出るという〈虚無の騎士〉を、リラカさんも追っているのですね」
リラカによれば、ホワイトビーチ氏族で、〈大移住〉に参加しなかったのは、三名だったという。一人がリラカで、他にリジャとリコーネの夫婦が残った。
最初に〈虚無〉と接触したのは、夫のリジャだった。彼が森で発見した魔獣の死骸が、今まで見たことがない種類だったという報告が始まりだった。外見は二本脚で歩く狼——ライカンスロープに似ていたが、全身が捩れ、全身がミイラ化しているように見えたという。
魔獣の周囲の木々は枯死しており、何か尋常ではない事態が起きていることは明らかだった。
リジャが死因を調べようと魔獣に触れた瞬間、彼は息ができなくなった。自分の身体から急速に魔素が抜けていく。飛び退いたが、急激に体温が下がり、意識が途切れそうになった。
全身の魔素が足りない。
エルフにとっては、魔素は身体を組成する重要な要素だ。それが枯渇すると死に直結する。
身を引きずるようにして戻ってきたリジャの報告を受け、翌日からリコーネとリラカがその魔獣の死骸を確認しに行ったが、枯死した木々が残っているだけだった。戻った二人がリジャにそう伝えると、リジャは、もし同じようなことが起きるなら、逃げた方がいいし、対処法があるなら、それを調べるべきだと告げた。
「リジャはその後、回復するまでに三年以上掛かった。その後、夫婦は森を出て、あの魔獣について調べるために旧帝国を回っている。三十年に一度くらいは帰ってくるのだが、前回からもう三十年以上経っているし、数年に一度はあった連絡が、ここ最近は一つもない。最後の手紙では、リジャが虚無の手先になってしまったと書かれていたのだ」
リラカはそこで一度言葉を切り、絞り出すような声を上げた。
「俺は、例の〈虚無の騎士〉に二人が囚われたか殺害されたと考えている。考えたくないが、〈虚無の騎士〉は二人からこの森のことを聞きつけて訪れたという可能性も疑っている。もちろんリコーネが帰ってこないのは、事故や、単純に大陸の果てまでリジャを追っている可能性も考えられる。ただ、どちらにしろ〈虚無の騎士〉を討つことは、今後の安寧な生活に必要不可欠と考えているという訳なのだ。魔女様、どうか〈虚無の騎士〉を無力化する方法を教えてはくれないだろうか——」
一行がリラカの家に着いたのは、街を出て三日後のことだった。
「本当はもっともっと森の北の方に住んでいたのだが、次第に息苦しくなってね。枯死する木々も増えてきたので、五年くらい前にこちらに移住してきたのだ。街に行けば魔素が確保できるという噂は、ずっと前から聞いていたしね。この拠点は一通り生活できるようになっているし、リジャとリコーネが帰ってきた時のための部屋も作ってある。何日泊まっていってくれてもいいんだ」
「ありがとうございます。エルフの家にお招きいただくのは初めてです」
ノアールを抱っこしたイズミが扉から部屋に入ると、外からの印象よりも中は広かった。落ち着いたグリーンのファブリックで統一された家具はよく手入れされ、部屋の中は綺麗に掃除されている。このエルフにはやや神経質なところがあるが、清潔に暮らすということに関しては、その性質は長所として働くようだ。
「先ほど言ったように、この拠点は、もともと三人暮らしだったこともあって、部屋が三つある。二つの部屋は誰も使っていないから、それぞれドラゴン様と、魔女様で使ってもらっていい。残念ながら客人として招き入れるには、ちょっと貧相すぎて申し訳ないのだが、そこは容赦していただければありがたい」
「構わん構わん。それでイズミ、先程の話は本当なのか」
「はい。アンジェリカに使えて、私に使えない魔法はありませんでしたし、彼女は私のオリジナルの魔術は使えませんし、有効だと思うんですよね」
ここに来るまでの間、一行はどうすれば〈虚無〉に冒された存在を行動不可能にできるかについて検討を行ってきたのだ。
立ったまま話をしている二人は、リラカからソファに腰掛けるように促され、一行はテーブルについた。お茶セットを持ってきたエルフが魔法を使って卓上で湯を沸かし、お茶を淹れてくれた。
温かいお茶が身体に染み渡る。
「ですから、さっきも言ったように、一番簡単なのは閉じ込めちゃえばいいんです。地の底とか。壁の中とか。石の中とか。まぁ、こちらは私にしかできないというのが問題といえば問題ですが——。ただ、これなら逃れる術もないはずです。これを行う場合は、魔素を通さない物質の中が一番良いでしょう。確実を期すなら鉛がいいかな。適当なサイズの鉛を用意するのは難しいですけど」
この世界では、鉛は魔素を持たない〈死んだ鉱石〉と呼ばれている。それで覆ってしまえば、外部から魔素を供給できないという単純な理屈だ。
「それは、魔女様の力がないと難しいんだな」
「ええ。そうですね。身体に真のドラゴンほどの魔素があればいけると思いますが、それでもアルゴーさんの例を考えると、接触したら無事じゃ済みませんよね。同じ理由でエルフでも難しいでしょう。実際のところ、人間種は魔素を必要としないから、頼るべきはそちらかなーとは思ってるんですけど、残念ながら、戦いとかでは、彼らはあまりにも無力なんですよね」
イズミは腕を組み、眉間に皺を寄せた。
〈虚無〉と戦う実力のある人間種が集められれば、対抗手段として有効だという話は、一行がリラカの家に到着するまでに何度か出た話だった。しかし一方でそれは人間種は容易に〈虚無の魔女〉の手先になりうるということでもある。自分達にとって深刻な問題だと理解していなければ、目先の利益に左右されるだろう。
「まぁ、いくら可能だからといって、魔女様に全部頼り切りという訳にもいかんだろう。別の手があるかは考えておく必要がある。ともあれ、今夜はゆっくり休んでくれ」
そう一行に声を掛けたリラカに、ノアールがあくびで返事をして、ソファで丸くなった。
(つづく)
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【著者より】
リラカの氏族の一人は〈虚無化〉して大陸を彷徨っています。その妻は夫を封じようとしましたが、今は音信不通です。記述に矛盾があった点などを修正しました(2024/09/19)。
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