第10話 〈放浪の魔女〉と〈虚無の魔女〉
イズミの興味は、エルフがなぜこの大陸に残っているのかという点だった。
「もうエルフ自体は基本的にはこの大陸にいないのだが、全員が移住したっていう訳ではない」
その事情を教えて欲しいと伝えると、リラカは別に秘密にしている訳ではないからなと軽く答えた。
「先ほども言ったが、全員が西の大陸に移り住んだ訳ではないのだ。あれは戦うことを決めた人たちだけ。俺たちは日常を過ごすと決めた。決して取り残されたとか。見捨てられたとかではなく、ここで過ごすことを自分で選んだんだ。いつか移り住んだ仲間が戻ってこようと思っても、どこにも居場所がないというのは寂しいことだからな」
そうかもしれない。
イズミにとって、それはよく理解できる主張だった。
「それでは、今でも西の大陸のエルフたちとは交流があるんですか」
そう尋ねると、リラカは首を振った。
「西の大陸のエルフ達との交流はもうないな。あと、俺もだいぶ色々と忘れてしまっている。昔はホワイトビーチ氏族以外の氏族の名前も親兄弟の名前も言えたんだが、すっかり忘れてしまった。ドワーフ達とも交流があったのだが、もうそれも途切れてしまった。——何せ五百年だからな。この百年ばかりは、この街で亡くなった人の名前とか、街から旅立っていく人たちの名前とかを忘れないようにしているだけで精一杯だよ。印象的だったのは、西に旅立っていった人たちか。その人達は〈放浪の魔女〉という人物を追っていてな。その魔女を探し出して、奪われた魔法を取り戻せば、昔みたいにもっと強力な魔法が使えるって信じていた」
話では、もともと彼は森から出るつもりはなかったというが、この街の方が魔素が濃いので、顔を出すようになったらしい。
「人間種ばかりのところにエルフが混じると、だいたい好奇心で見られる。十年以上一つの街に顔を出していたら馴染むけどな。歳を取っても見た目が変わらないくらい、そんなに気にならないようだ。ああ、エルフっていうのはそんなもんなんだって、納得してくれている感じだ」
「人に馴染むようなコツってあるんですか?」
「人に馴染むコツか。コツは色々あると思う。例えば、嘘をつかないこと、約束を守ること、好意には好意で返すこと、悪意には決して屈しないこと。あとは友達のことを思いやること」
「友達、ですか」
「ああ。そういう人が沢山いれば、人の間を間違えないように歩めると、ホワイトビーチ氏族では若いエルフに教えるのだ」
俺はもう若くないがね、とリラカは笑った。
「ホワイトビーチ氏族の友人は、この大陸にあと二人、いや一人かな。百年に一度くらい帰ってくるんだ。百年離れていても、すぐにいつもの調子で話せる。そういう友人がいるから、俺も森で過ごせる」
リラカはそう言うと、奥のテーブルで白フクロウを抱いたまま、何やら魔法使い達に囲まれている。
エルフは心底不思議そうな目で、質問攻めにされている老紳士姿のドラゴンを見つめた。
「そういえば、アルゴー様は、白フクロウをずっと抱きしめているが、あのフクロウは何か特別なものなのか——?」
その疑問にイズミが答える。
「あの白いフクロウは、風の大精霊様の眷属なのですよ。風の大精霊様の意思を、人間種の私に伝えられるようにって配慮してくださっているのです」
「風の大精霊様!」
「ええ。アルゴー様が、先日風の大精霊様とご結婚なさりまして。この旅は新婚旅行みたいなものなんです」
リラカは耳を疑った。人間のいる街に新婚旅行にやってくるドラゴンなど、いるものなのだろうか。
その当のドラゴンは、魔法使い達の質問攻めにどう答えればいいのか困っている。ようだ。その様子を見て、イズミが笑顔を見せた。
「私、友達がいない魔女だったんです。もうずっとずっと長い間——」
「おいこら! イズミ! この人間達がドラゴンの魔法を見せろと言うのだが、魔法は使っても構わんのか?」
「周囲に迷惑をおかけにならない範囲でお願いしますね! 魔法使いの皆様も、どうかあまり世間知らずのドラゴン様にご無理を言わないであげてくださいましね!」
イズミのその言葉に、アルゴーは困ったような情けないような顔を見せた。
「それじゃ、余興だ。今はわしが人間の姿をしているから、ドラゴンだと思えないという輩もいるじゃろう。なら今すぐ本物のドラゴンを呼び寄せてやるわ。そうすれば信じるじゃろうて!」
アルゴーが物騒なことを言う。だが、彼の腕の中の白フクロウが落ち着いているので、イズミも止めない。いざという時には両手のリングに魔力を流す準備はできている。
「いいか、ドラゴンを瞬時に呼び寄せる魔術は、ドラゴンにしか使えぬ魔術だ。詠唱も不要だ。どうだ!」
その言葉の直後に、室内を風が吹き抜けた。魔法使いはあまりの風圧に服の裾を押さえているが、テーブルの上の蝋燭は、全く揺れることもなかった。
「え、何ですか。お父様! 何をなさってるんですか!」
コウモリの翼を生やした大柄な黒猫が、テーブルの上に座っている。その目は明らかにアルゴーを非難していた。尻尾がぺったんぺったんとテーブルを叩き、不満であることを訴えている。
「ノアール様!」
イズミがノアールに駆け寄り、ノアールのことを抱き上げた。
「魔法使いの皆様、こちらはアルゴー様のご子息、猫ドラゴンのノアール様です。この大陸で最も若いドラゴンでございます」
「はっはっは。勢い余って呼んでしまった。こちらはノアール。我が息子だ。魔法使いどもよ、よろしく頼むぞ」
イズミは呆れた。先ほどの口上から、おそらくアルゴーがノアールを呼び寄せようとするのは読み取れたが、事前に同意が得られているものとばかり考えていたのだ。まさか何の予告もなく、いきなり西の果ての山脈から呼び寄せたのか。
「よろしくお願いします」
ノアールは事情をよく理解していないようだが、ぺこりと頭を下げた。
「いや、しかし——ドラゴンは人に敵対するものだと考えられてきたが、これは考えを根本から改めねばならんぞ」
一人の魔法使いがそう呟いた。
「それに関しては、偉大なる〈放浪の魔女〉イズミ・アルコットに感謝するがいい。少なくともわしとノアールは、イズミには大恩があるのでな。あやつが嫌がるようなことはせんよ。トラブルは避けるものというのは、人間種の間では当たり前のことなのだろう?」
その言葉に、耳をぴくりと動かしたのは、リラカであった。
「え、〈放浪の魔女〉だって? 〈放浪の魔女〉って、西へ向かったのではなかったのか? 西に向かった人たちが、魔法を奪われたって言っていたのは、あなたのことだったのか?」
彼はイズミの称号を耳にして戸惑っているようだった。
「あー。アルゴー様、言っちゃったかぁ——」
イズミは一度両手で顔を覆ったが、すぐに姿勢を正した。
「あの、皆さん。ご存知のない方もいらっしゃるかもしれませんが、私イズミ・リラコットが、〈放浪の魔女〉です。この街に魔素を蓄積するような仕掛けを作ったのも私です」
その言葉に、食堂に集合した全員が口を噤んだ。
リラカは静まった空気の中で、絞り出すような声を上げた。
「——もう一度訊こう。〈放浪の魔女〉が〈虚無の魔女〉の手先として、世界から魔素を奪い取ろうとしているという話は本当か?」
その質問に答えたのは、イズミではなく、アルゴーの肩に止まった白いフクロウだった。
「エルフよ、それは間違いです」
「しかし大精霊よ、〈放浪の魔女〉が〈虚無の魔女〉の弟子だったのは、ここにいる全員が知っているはずだ。魔法使いの敵であり、全ての魔素を持つ者の仇、その弟子が、なぜこの街に魔素を蓄積仕組みを作ったというのか!」
「それは——魔法使いのためには、魔素が必要だからです。現在の大陸における魔素濃度では、魔法使いは魔法を使うことができないのは、あなたにもお分かりでしょう」
「それは〈虚無の魔女〉が魔素を奪っているからだろう! 私の友は、おそらく現在、〈虚無の魔女〉によって、全ての魔素を奪われた結果、〈虚無〉の手先となって〈放浪の魔女〉を捕えるために大陸を探し回っている。〈放浪の魔女〉を捕らえて〈虚無の魔女〉に差し出せば、元の体に戻ると信じているんだ!」
その言葉に、アルゴーが応えた。
「エルフよ、わしも一度は〈虚無〉と戦い、魔素を奪われ、回復しない傷に絶望していたのだ。それをイズミの大魔法によって克服できたが故に、彼女と旅を始めたのだ」
リラカはその言葉に視線を床に落として呟いた。
「しかし——」
ゼンセイが静かな声でエルフに声を掛けた。
「人間種は体が魔素を必要としないようにできている。故に、空気や大地、水から魔素を集めて魔法として使う必要がある。エルフも魔物もドラゴンも魔素が必要だ。あんたもこの街だと息が楽だと言っておったじゃないか」
「しかし——」
「あの、よろしいでしょうか」
イズミがリラカに語りかけた。
「信じてもらえないかもしれませんが、私は、千二百年くらい前に〈
帝国が滅んだのは、〈大移住〉の六十年前だ。
「——アンジェリカは、まだ自分が元の世界に〈渡る〉ことを諦めていないんです。彼女は帝国を滅ぼし、不幸を撒き散らかしました。放っておけば、この世界の全ての魔素と引き換えにしてでも、彼女は必ず〈世界渡り〉の魔法を行使します」
そこでイズミは一度言葉を区切り、その場に集まった魔法使い全員の顔を一人一人見ながら宣言した。
「でも、それは私が絶対にさせませんから。勝ち逃げなんて、絶対させません——だって、私は、そのために〈放浪の魔女〉として旅を続けてきたんですから!」
(つづく)
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【著者より】
リラカのセリフを適切なものに修正しました。エルフには尊大な物言いをして欲しいということで。あとイズミがアルゴーに対する呼び方も「アルゴー様」で統一します。なお、ノアールには「ノアールさん」と呼称することで統一します(第1章完結後に一気に修正を入れます)
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