第8話 ベルトの街と魔法使いギルド

 結局、街までは丸一日掛かった。森の外れで一泊し、川沿いの街道を下っていく。途中で農地や牧場の荷馬車と何度かすれ違った。その際に、毎回好奇の目で見られたような気がしたのは、イズミの服装と、アルゴーの肩に止まった白フクロウが原因だろう。


「魔法使いなんて、珍しくなってしまったんですよ」


 イズミは寂しそうな口調でアルゴーに説明した。現在の魔法使いからは、かつての強大な力は失われてしまっており、薬草から簡単な傷薬や痛み止め、熱冷ましなどを作るぐらいが席の山なのだ。他にも指先に小さな光を灯す、ごくごく小さな火を起こすといったことができる程度だという。

 アルゴーはその説明を聞いて納得したようだった。


「確かに、これだけ魔素が薄くなっていれば、魔法を使うのは難しいだろうな。精霊の力も感じない」


 ドラゴンは濃厚な魔素の塊であり、たいていの魔法を自前の魔素で賄えてしまう。しかし、そんなドラゴンでも、強大な魔法は精霊の力を借りる必要がある。

 アルゴーは番となった風の大精霊の力を自在に利用することができるが、一般の魔物は、偶然地下から噴き出る魔素が濃い土地、いわゆる〈魔素だまり〉でなければ、本領を発揮することはできないだろう。そしてそれは、魔素を転換して力として利用する、ほとんどの魔法使いにとっても同様である。


「でも、あの街は魔素が他より濃そうですよ。あれがベルトの街——ですよね」


 白フクロウが視線を向けている先には、高い石造りの城壁と塔があった。



「こっちは王都から来た魔法使いで、そっちはその従者? そのフクロウは狩猟用っと。できれば街の中では鳥籠に入れるか、鎖か何かで逃げないようにしてくれないかね」


 担当の衛兵は、イズミの出した書類と彼女の顔を何度もじろじろと見て言った。身分の保証はベルトの街の魔法使いギルドが行うという書類だ。

 ベルトの街は古い石壁によって環状に囲われており、その壁の一部には監視のために塔が建てられている。その下が門だ。西門と東門があり、イズミ一行が審査を受けているのは西門だ。


「魔法使いギルドへの行き方はわかるか? この門を入ってまっすぐ行けば運河に出る。それを右折してまっすぐ行けば広場に出る。そこの古くて大きな建物がそれだ。しばらく滞在するなら、最初にそこに行って身分証を作ってくれ」


 イズミは再度書類を受け取ると、ポケットから数枚の銀貨を出して衛兵に渡した。

 アルゴーと二人で門から伸びる道を歩いていく。人間種に化けたブルードラゴンは、興味津々な様子で、キョロキョロと周囲を見回している。まるで田舎から出てきたお上りさんだ。


「もっと格好良くしてください」


 白フクロウが彼の肩でため息を吐いた。

 しばらく歩くと先ほど衛兵が話していた運河に出た。そこで右折して、イズミは大きく息を吐いた。


「バレないでよかったです」


 先ほど衛兵に見せた書類は、イズミが偽造したものだ。アルゴーを従者として街に連れ込むための苦肉の策である。


「あんまりああいうのは好きじゃないんですけどね」

「イズミは生真面目さんですからね」


 また白フクロウが言った。すれ違う人間が、驚いた様子でアルゴーの肩を見る。


「イズミは生真面目さんですからね」


 白フクロウは、まるで芸でも仕込まれているかのように、先ほどと同じ言葉を繰り返した。


 魔法使いギルドの扉を開けると中は薄暗く、かろうじて受付に小さな光球が浮いている。この光球を維持するのは、魔法使いギルド所属の魔法使いの役割だ。

 その光の下のカウンターには中年の男性が座って、分厚い書籍に目を通している。イズミら一行以外に客らしき人影はない。

 イズミは受付に歩み寄り、男性に声を掛けた。


「ホーバー・ゼンセイ師はいらっしゃいますか」


 その言葉に男性は顔を上げた。彼はイズミの顔をしげしげと眺めた。


「え、まさかアルコット先生ですか?」


 その返事が彼の口から漏れるまで、たっぷり三十秒待たされた。


「ええ。生きて戻りました。ゼンセイ老師はギルド長室にいらっしゃいますか。案内は特に要りません。私と、同行一名と一羽です」

「はい! ギルド長はお部屋にいらっしゃるはずです。午前中は特に来客の予定もないということでしたから、この時間なら問題ないはずです」

「ありがとうございます。それでは受付の方、引き続きよろしくお願いしますね」


 イズミは受付に頭を下げると、カウンターの内側からアルゴーに手招きをした。

 二人で階段を上がっていく。イズミは迷うことなく一つの扉の前まで歩いていってノックした。


「どうぞ」


 中から男性の声がした。


「ゼンセイ老師、ご無沙汰しています」


 扉を開けたイズミは、書籍のうず高く積まれた奥の老人に微笑みながら声を掛けた。


「おお。おおお。これはこれは。アルコット先生。今お戻りですか!」


 老人は椅子から腰を浮かせると、よたよたと頼りない足取りで、イズミの前まで足を運んだ。


「先生がこの街を離れてから十年ほどになりますか。いや、ご無事で何よりです。ギルドのメンバーを集めて歓迎の催しをせねばなりませんな!」


 ゼンセイは相好を崩しながらイズミと握手した。


「ところでアルコット先生、こちらの方は?」


 イズミの斜め後ろに立っていたアルゴーに気が付いて、ゼンセイはイズミに質問した。おそらく、イズミがギルドに人材を連れてきたとでも思ったのだろう。


「こちらは人間に化けておりますが、西の果ての山脈の主、〈ブルードラゴン〉のアルゴーです。私、ちゃんとドラゴンの元にまで辿り着いたんですよ」


 老人は目を丸くした。


「——それはそれは。アルゴー様。よくぞいらっしゃいました。私は人間種の魔法使いホーバー・ゼンセイと申します。アルコット先生ほどではありませんが、魔法の研究に携わって百年ほどの若造でございます」

「そうか」


 ドラゴンはイズミ以外の人間に話しかけられて、どう反応していいのかわからなかったのだろう。一言そう答えると、不安げな表情でイズミに視線を送った。それを無視してイズミは話を続ける。アルゴーは肩から白フクロウを下ろし、胸に抱えた。


「ところで、ゼンセイ老師、この街の魔素は特に問題ありませんか?」

「おかげさまで、先生のおかげで、この街では魔法使いが生きながらえることができております。もっと北では、完全に魔素が枯渇してしまって、魔法が使えない場所も出てきておるようで——。その話も含めて、後でお話ししましょう」


 イズミが頷いたのを確認して、ゼンセイはアルゴーに再度向き合った。


「アルゴー様、貴方様は、この街を訪れて下さった初めてのドラゴンです。偉大なるドラゴンのお姿を間近で拝見したいのは山々なのですが、残念ながらこの建物の中では狭すぎて叶いませぬ。できましたならば、人の姿のままご滞在願えますと幸いです。どうかこの街にご滞在の間、アルゴー様が気持ちよく過ごされますよう、僭越ながら魔法使いギルド一丸となって心配りさせていただきます。何事もご遠慮なくお申し付けください。また何か不都合などございましたら、ご容赦いただけますと痛み入ります。ベルト領主もおっつけご挨拶に参るかと思いますが、今は領主に代わりまして、ベルトの街の魔法使いギルドにおけるギルド長である、ホーバー・ゼンセイがご挨拶申し上げます」


 老人はアルゴーに向けて、深く深く頭を下げた。


「お、おう」


 白フクロウを抱えたままのアルゴーは、明らかに戸惑っている。


「アルゴー様、ありがとうございます。ところでアルコット先生、もうどちらかに宿は取られているのですか?」

「まだです。ところで、急ぎ知りたいことが一つありまして。私のことを追っている集団のようなものの噂が耳に入っておられませんでしょうか」


 イズミの質問に、ゼンセイは表情を曇らせた。


「最近、〈虚無の騎士〉という噂話があちこちから入ってきているのですが、もしや、それかもしれませんな——。この話もまた後日、落ち着いてから」


(つづく)


--

【著者より】

街に到着しました。この街の地下には、イズミが十年前に訪れた際に構築した、川から魔素を集める仕組みが現役で動いています。これによって他の街よりも魔素が濃いため、魔法使いたちの活動が活発になっているのです。ただ、魔法使いの中には恩恵を受けながら、それが何らかの罠なのではないかと疑っている一派がおり、ギルド長の派閥と対立しています。

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