第4話 友達のいない魔女と旅の準備

 ノアールは、貴金属と宝石類の山を前に途方に暮れていた。

 彼の父親でもある龍の巣穴の主は、急に他のドラゴンに会いに出かけるぞと言い出して、ノアールを困惑させた。その前に人間族(正確には異なるらしい)の女性が現れ、父親と風の精霊との間の確執を完全に解消してしまったことが原因だ。

 それ自体はとてもめでたい話であり、ノアールにとっても嬉しいことではあるのだが、いかんせん急な話だ。

 そもそも、ここから旧帝国の首都までの距離をノアールは知らない。この地は最寄りの人間種が住む土地からは、最短でも徒歩で三ヶ月は掛かるという話は耳にしている。

 件の女性は、たった一人でこの地を訪れた。その際に掛かった日数を告げている。これは驚嘆すべきことだ。旅の間の食糧と水を確保し、それを運搬することを考えると、人間種が単独でこの地にたどり着くことは困難を極める。きっと、あの女性の魔法使いは、人間種の中でも指折りの実力者であるに違いない。


「それにしたって、急に出ていくお父様もお父様です」


 ノアールは父であるブルードラゴンの寝床をどう片付けようかと思案しつつそう口を尖らした。


「そうかね?」


 急に背中側から声を掛けられて、ノアールは全身の毛を逆立てて飛び上がった。


「ど、どうされたんですか。急なお戻りですが」


 人間の老紳士の姿を取ったブルードラゴンは息子の微笑ましい姿に目を細めた。


「いやいや、人間種のフリをしてここから移動を始めたが、それでは時間が掛かりすぎるということがわかってな。どこか近くていい場所まで飛んでいって、それから歩いて行こうという話になったのだ。それに、もう少し小さい単位の現金が必要だ。古い時代の金貨ばかりでは、両替をするにも面倒なことこの上ない」


 納得できる理由だった。思いつきで行動するからですね——そう心の中で呟きながらノアールは頷いた。


「まだ数日しか経っていないのに出戻ってきてしまってすいません。お手数をおかけしますね、ノアールさん」


 そう告げたのは先ほどの単独でこの地にたどり着いた女性である。少なくとも、まだ若いドラゴンであるノアールよりもよほど実力者といえる。


「イズミさん。話は大体理解したのですが、人間の足では、目的地まで具体的にはどの程度の時間が掛かるんですか。あの、僕たちは飛べるので——」


 ノアールは背中の羽をパタパタと羽ばたかせた。


「ここからだと、七千キロメートルくらいあるっていう話なんですよねぇ。参考になるかはわからないんですが、ここに到達するまでに、私は同じくらい遠い土地から、単純に移動だけで三年掛けています。徒歩だけじゃなくて、馬車に乗ったりその前に下準備として、もっと長い年月を掛けて地図を集めたり、人に道中の話を聞いたりしていますね。あと、途中の有力貴族の領地を抜けるのに許可が必要だったりしたので、その許可証を得るべく根回ししたりで時間を取られたり、普通にすっごく時間が掛かります。さて、どうしましょう」


 イズミはノアールの問いに、真剣な顔で答えた。体験者の言葉は強い。きっと彼女は十年近く掛けて旅を計画し、実行に移してきたのだろう。


「もしもイズミさんが移動のために魔法を使えるのであれば、どれくらいの時間で旧帝都まで行けるんですか?」


 ノアールがそう尋ねると、イズミは困ったような顔を見せた。


「あー。言っちゃってもいいのかしらこれ」


 彼女は前置きするようにそう呟いた。


「私は旅を始める前に、ちょっと仕掛けをしてきましたから、王都までは一瞬で跳べます。そこからは、天候次第ですが一ヶ月か、長くても二ヶ月ですね。乗合馬車もありますので、もっと短縮できますよ」


「え、早い。何でここから徒歩で出発されたんですか? 必要ないですよね」


「それはー。アルゴー様が歩いて行きたいっておっしゃったからですー」


 歯切れが悪い。要は父がわがままを言ったということか。


「いえ、もちろん世界を見てまわりたいというアルゴー様のご意志を尊重してますが、そもそも私の旅のメインの目的が、魔法の衰退を確認することでしたから、全く問題ないんです。ただ、途中で誰にも会わないのは飽きたとおっしゃられまして——」


 当然だ。数日ぽっちでは、人里まで出るにもまるで足りない。


「ならば翔べばいいのだ。ドラゴンの姿であれば、ひとっ翔びで世界中のどこにだって行ける。一人くらい背中に乗るか手の中に入っていればいい」


 アルゴーの発言に対してノアールは短絡的な行動は慎むべきですと答えた。


「ドラゴンはもうだいぶ長い間、人間種の前に姿を現していないというではありませんか。いきなりだと人々を驚かしてしまいますよ」


 人間種の間でドラゴンが滅びたと考えられているとするならば、急に神話的存在のブルードラゴンが天空を横切るのは大ごとになり得る。調査または討伐のために軍が編成され、人々はこの地にまで押し寄せるに違いない。


「気にすることもないと思うがなぁ」


「気にしますよ」


「お気になさってください」


「思慮が足りません」


 最後の発言は、風の大精霊の眷属である白フクロウだ。大精霊様も呆れているということか。晴れてつがいになったのに当たりが強い。むしろ番になったからこそか。


「ならばどうする。夜にでも翔んでいけば簡単だろうが。そうでなかったなら、イズミのその仕掛けとやらを使えばいいじゃないか」


「お父様、無理をおっしゃらないで下さい。イズミさんにも都合というものが——」


「あ。そのために戻ってきたんですよ」


 イズミは即答した。


「平らな場所がないから、山の中に塔を建てるのは難しいんです。ですからこの場所をお借りできたらいいかなーって」


 この長身の魔女はどうやら自在に塔を出し入れできるということらしい。


「師匠の塔を素材倉庫にしちゃってるんですけど、この場所に〈門〉を作るなら、そこから色々取ってこないといけないんです。私も飛ぶくらいなら何とかできるんですが、流石にドラゴンの飛ぶ速度は出せませんし、私の速度に合わせていただくのは、ちょっと遅すぎてアルゴー様にも大変でしょうし——」


 塔を資材倉庫にしている?

 何を言っているのかよくわからない。


「ちょっとアルゴー様の寝床を片付けても大丈夫ですか?」


 願ったり叶ったりだ。


「黄金の類も、後でちゃんと整理しとかないといけませんよ。それでは失礼して、とりあえずは収納しちゃいますね」


 〈放浪の魔女〉は、返答を待たずにドラゴンの寝床、つまり黄金でできた小山の前まで移動した。白フクロウを肩に乗せたアルゴーも興味深げにその後をついていく。無論ノアールも例外ではない。


「後で丸ごと出せますから安心しててくださいね」


 彼女は指輪に魔力を通した。即座に黄金の山が消え去った。


「え、なにこれ。こわ。わしこんな魔法知らんのだけど」


 驚きで、アルゴーの口調が変わっている。


「一時的に収納しました。元々は師のオリジナル魔法ですが、それを改良しております。それじゃ、塔を出しますね」


 イズミはローブを脱ぐと、空を見上げながらうろうろし始めた。


「あれは何をやっているんだ」


「わかりません」


 もちろん、良い位置を見定めようとしているのはわかる。

 何か条件が整うのを待っているのか、他に何か見定めようとしてるのか——。


「あぶないですよー。下がってくださいー」


 女性はローブを床に置き、ノアールたちの元まで駆け足で戻ってきた。


(つづく)


--

【著者より】

イズミが空間魔法のようなものを使っていますが、この魔法は開発当初から国家機密であり、開発当初は不安定だったこともあって、実用化に至っていませんでした(大事なものを入れておいたら、いつの間にか消えてしまっていたら困るので)。その後、長い年月を掛けて安定させたのはイズミ自身です。つまり彼女のオリジナル魔法であり、この魔法を使えるのはイズミのみです。故にドラゴンも知らない魔法ということになります(イズミもこの魔法が流出したら社会が大混乱に陥るのを理解しているので、他人に教えるつもりもありません)。

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