第3話 青いドラゴンと風の大精霊
「なるほど。あの時の待っていてくれが、今にまで響いているのだな」
青い鱗を持つ老ドラゴンは頭を抱えた、ように見えた。
どうやら彼にとっても如何ともし難い理由があるようだった。
「お父様、一体何があったのです」
ノアールが尋ねると、老ドラゴンは、自らの若かりし頃の昔話を語った。
最果ての地に湧いた〈虚無〉を追い返すために、彼の地に飛び、そこで数百年の戦いの時を過ごして戻ってきた時に、異常が発覚したのだという。
「〈虚無〉のせいで精霊との意思疎通が全くできなくなっていたのだ。呪いの一種だと思うが、今でもできない。だから待たせ過ぎてしまったというのは、不本意だがわしの不得の致すところだ」
「今でも意思疎通ができないんですか?」
「ああ。小さい者よ。今のわしには精霊の声が全く聞こえないのだ」
イズミはその言葉を聞くと、自分の両手を広げ、両手の指に嵌った三十本の指輪を眺めた。
どれほどの間、両手を見つめていただろうか。
彼女は不意に顔を上げて、じっと彼女を見守っていた老ドラゴンと猫ドラゴンに向かって告げた。
「私なら何とかできるかもしれません」
要するに老ドラゴンと精霊との間に、意思疎通のための
イズミはそう理解している。
そもそもドラゴンは全身が魔素でできているようなもので、同じように魔素からなる精霊と極めて親和性が高い。イズミの理解では、ドラゴンと精霊は、姿こそ違うが本質としては同等である。
——精霊とドラゴンは、お互いに魔素を介して意思疎通をしている。〈虚無〉は老ドラゴンのその器官を変質させてしまった。
ならば、乱暴な話ではあるが、その要素を一切取り除いてしまえばいい。当然ながら一部の感覚器官を切り取られるようなもので、苦痛を伴うかもしれない。だが、ドラゴンであれば、その能力は蘇生させられるだろう。
自分であれば、ドラゴンを蘇生させるだめの治癒魔法を用いることができるはずだ。それだけの修行は積んできたし、試行錯誤も繰り返してきた。必要とあらば、〈塔〉を呼び出せばいいだろう。ローブの形に変えているが、あの塔の中には、魔法のための素材をぎっしりと詰め込んである。どうしてこの世から魔法が消えようとしてるのか。その答えを訊くためにも、老ドラゴンには元通り精霊と意思疎通をできるようになってもらわないと困る。ドラゴンに恩を売れるような機会など、今後あるはずもない。これは自分にとっても、そして人類全体にとってもチャンスなのだ——。
イズミはそんなことを考えていた。一方で、あの風の大精霊のことを考えると、少し憂鬱な気持ちにもなった。彼女が愛するドラゴンのことを、善意とはいえ、老ドラゴンが許可しているからといえ、一方的に傷つけるのは余りにも罪深くないか。
「——お父様は大丈夫でしょうか」
ノアールが尻尾を左右にゆっくりと振りながら声を掛けてきた。彼も心配なのだろう。
「大丈夫。うまく行くと思います。でも、それよりも前に、することがあるかな」
イズミは先に大精霊に老ドラゴンの意思を伝えるべきだろうとノアールに伝えた。
「あのね。精霊に直接伝えることができなくても、言葉で伝えることはできますでしょう? 私も風の精霊に頼んで大精霊様とお話をできたのだから。同じことがドラゴンにできないはずがないと思うんです。伝わる伝わらないはともかく、あなたのお父様には風の大精霊様に一言伝えるべきですよね」
猫ドラゴンは尾をピンと立てた。
「そうですね。では、イズミさま。まずはそのことをお父様に伝えます。イズミさまの方で、精霊との交渉を行なっていただけますか?」
「もちろんです」
ドラゴンを切り刻むような大魔法は、その次の手段だ。
彼を切り刻んでしまえば、数百年、または一千年を超えて眠り続けるかもしれない。風の大精霊様をその間ずっと待たせることになるではないか。
できれば二人をそんな目には合わせたくない。
あと——ドラゴンスレイヤーにもなりたくないとイズミは思った。
「なるほど、人の言葉で精霊と会話せよと、そういうことか」
「話が早くて助かります。それでしたら、馴染みの精霊に頼めば、きちんと翻訳した上で意思疎通が可能になります」
「で、わしが風の大精霊に謝ればいいんだな」
「ええ。経緯はともかく、彼女を待たせたのは確かですから」
「それは当然だな」
ブルーの鱗を持つ老ドラゴンは、納得したようだった。
「本来は自分自身が行えばいい話ではあるのだが、残念ながらこれから自分で似たような魔法を組むには、少し時間も掛かりそうだからな。今回は小さい者に願い出るとしよう。いや、いつまでも小さい者呼ばわりは失礼だな」
老ドラゴンは目を閉じ、イズミの足元の床に顎をつけた。
「偉大なる〈放浪の魔女〉イズミ・アルコットよ、最も古き龍の一頭たる〈ブルードラゴン〉アルゴーが、首を垂れて願う。風の大精霊に謝罪するために力を貸していただけないだろうか」
ドラゴンがこんなにも真摯に願い出るなどということは、イズミが過去に読んだどの文献にも書かれていないことだ。
それだけ彼にとっても重要なことなのだろう。
「もちろんです。偉大なる古いブルードラゴン。アルゴー様」
そしてイズミは指輪に魔力を通し、再度虚空に向けて声を張り、風の精霊に協力を呼びかけた。
先ほどイズミが呼び出した精霊に再度依頼をして、老ドラゴンと精霊との間に
「ずっと待っていたんですからね!」
「それについては、本当に申し訳なく思っている。すまなかった」
「もちろん、今すぐ返事を聞かせてくれるんでしょうね!」
「当然だ。我、〈ブルードラゴン〉アルゴーは、大いなる風の精霊を伴侶として選び、世界が終わるまで共に過ごすことを誓う」
その言葉は、イズミの予想を超えていた。
——これって。誓いの言葉だよね。すごい。ドラゴンと精霊の結婚式だ!
「証人は、〈放浪の魔女〉たるイズミ・アルコットと、〈猫ドラゴン〉ノアール、そしてこの地にいる多くの精霊たち。地の果てにまでアルゴーが真のドラゴンとして生まれ変わったことを伝えるがいい!」
老ドラゴンはそう宣言した。その直後、風の大精霊は老ドラゴンを包み込んだ。一瞬周囲に飛ばされそうなほどの強さの風が吹いたが、すぐに静かになった。
「びっくりしたぁ」
ノアールが目を丸くしている。口調が先ほどと違っているが、こちらが素なのだろう。
「〈ブルードラゴン〉様、大丈夫ですか?」
イズミが声を掛けると、ブルードラゴンはふわりと浮き上がった。
「この通り。風の精霊と番になったからな。自由に空も飛べるし——こんなこともできる」
スーツ姿の老紳士がそこに立っていた。白くなった髭も丁寧に刈り込まれ、上品な印象だ。どこぞの貴族の執事のようだ。
「そのお姿は? そして大精霊様は——?」
イズミが動転してそう尋ねると、老紳士は笑い声を上げた。
「ははは。これからイズミと共に旅に出るのに、大きすぎる図体では大変だろう。あと風の大精霊は常にわしと共にある。安心せよ」
彼は楽しそうに笑って続けた。
「しかし目に見えないのも不便だろうから、眷属の形でイズミを見ていてもらうことにする。わしが知る限り、〈
その言葉に、白いフクロウがイズミの肩に舞い降りた。
展開の速さに、ついていけない。
イズミは混乱していた。
一体彼は何を言っているのだろう。混乱した頭で言われたことを整理すると、ドラゴンと大精霊のご夫妻が、これから自分の放浪についてくるというのだ。
「え、そうなるとノアールさんは?」
イズミがそう尋ねると、足元でノアールが答えた。
「僕はお父様とお母様がお戻りになられる場所を管理しておかねばなりませんから」
「いや、一緒に行くのがいいんじゃないか」
「それを決めるのはお父様ではなくて、イズミさまですよ!」
ちょっと待って。待って待って。
前提から確認させて欲しい。イズミは努めて冷静を装おうとした。
「どうして、一緒に——?」
「そりゃお前さんの疑問に答えるには、〈虚無〉との戦いの最前線にまで辿り着く必要があるからだ。あとはわしらの結婚の報告を他のドラゴンに伝える必要もある」
イズミの知る限り、この地を神話の時代から統べるというブルードラゴンが、この世界での最後のドラゴンということになっている。
そのことを告げると、老紳士は呵呵と笑った。
「ドラゴンをそんなに舐めるもんじゃない。ただ今の世の中が退屈すぎて寝ているだけだ。まずは我が旧友たる〈黒鉄のドラゴン〉こと、プシファに逢いに行こう。きっとあやつめ、驚くぞ。あとはこの土地にいつでも帰って来れるように、イズミにはこの指輪を渡しとく」
老紳士から指輪を一本渡された。どうやらこの場に転移することができる指輪らしい。
「これでいつでもノアールにも会える。この地なら争いなどにも巻き込まれることはないだろうし、ちょっとした安全地帯として使えばいい。なりは小さくても、真のドラゴンの息子が護る地だ。存分に使うがいいだろうよ——」
続けて老紳士は、自分のことはアルゴーと呼び捨てにすればいいと告げた。
それに対しては、年上を呼び捨てにすることはできないと、イズミが返した。実際何千歳も年上なのだ。
「せめてアルゴー様と呼ばせてください。こちらの心の安定のために。お願いします」
焦るイズミをからかうのが面白いのか、老紳士に化けた老ブルーゴラゴンは、まるで新しい友人を得たかのように明るい表情を見せている。
——まあ、いっか。幸せなことなのだし。
勝手に結婚の報告をしに世界を回るなんて決めちゃって。
どこまでも自分勝手でやっかいな老人だが、心強いことは確かだ。
「それではよろしくお願いいたします。行き先は——」
「ああ。帝国の城の地下だな。プシファはそこに囚われたまま寝ているはずだ」
アルゴーは何でもないことのように言うが、帝国は既に滅んで久しい。
今では人が近づけるような場所ではないと聞いている。
どうやら次の旅は、いい意味で一筋縄ではいかなさそうだなと、イズミは心の底で感じていた。心はとても暖かかった。
(つづく)
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【著者より】
この話、最初はここまでを寝ている間に夢で見て、Twitterに大枠を書いたのが始まりです。そこからあれよあれよと設定が膨れ上がり、登場人物は勝手に振る舞い始め、ずっと若い頃に思いついたまま活かせていないアイディアを色々と放り込んだものになります。さあ、アルゴーくんの新婚旅行の始まりです。
それではまた次回、どうぞよろしくお願いします。
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