第2話 友達のいない魔女と風の精霊

「風の精霊と直接お話して、理由を聞いてみます」


「大丈夫ですか。失礼ながらそんな魔法を実行キャストするには、魔法書も触媒も、捧げ物もお持ちではないようですが」


 ノアールが不安そうな声を上げると、イズミは彼に両手を広げて見せた。どの指にも細い三連のリングが嵌っている。


「ここに三十本のリングがあります。これは全部魔法のリングです。だいたいの魔法はこれだけで実行できますし、それでも足りなければ、魔術書は手鏡の中に図書館程度は入れてきていますから、何とでもなります。お任せください」


 〈放浪の魔女〉の本領を見せる時だ。

 イズミは小屋の外に出ると、ドラゴンに声を掛けた。


「古のドラゴンにお願いいたします。私が魔法を使うことをお許しください」


 古いしきたりだが、他人の家の中で大きな魔法を使うのは、マナー違反だ。


「よかろう」


 その言葉を受けて、彼女は人差し指に嵌っている指輪の一本に魔力を通した。各指三本の指輪に通す魔力の組み合わせで使える魔法が変わる。そこでこのように検索できるようにしているのだ。

 あった。精霊と意思疎通をする魔法。検索結果は脳内にイメージで展開される。そのイメージに従って左手の中指にある三番目の指輪と、小指の二番目の指輪に魔力を通す。あとは指輪を管理する魔法がうまい具合に詠唱を組み合わせてくれる。全てイズミのオリジナルの魔法だ。


「風の精霊よ、この地を統べる風の大精霊様ににお尋ねしたいことがあります——!」


 イズミは虚空に向かって声を上げた。


 彼女が風の精霊と会話をするのは初めてのことではない。まだ彼女にとっての最初の師が生きていた頃に、人と話をすることができない環境では、精霊と会話するといいと勧められて始めたのだ。

 彼女の最初の師、ユーフィー・アルコットは、イズミが出会った時点で既にかなりの老齢で、彼の言によれば他の人間の三倍は生きてきたという。この世界では人間の年齢は七十歳を超えることは珍しいので、おそらく、二百歳ほどだったのだろう。彼は塔の頂上に住む魔法使いで、その塔は今もイズミが引き継いでいる。

 ユーフィー・アルコットは賢者ではなかったが優しい人物で、優しいが故に悩みが多かった。その大部分は若い頃の人間関係に由来しており、結局は自ら塔に引きこもってしまったのだ。

 イズミが師を求めて塔を尋ねた時には、人間とは付き合わないことにしているのだと言って追い返そうとした。彼女が自分は〈世界渡り〉と打ち明けなかったら、きっと弟子入りを許してくれなかったに違いない。

 彼は不老のイズミを決して羨まなかった。むしろ憐んでさえいた。

 彼の死に臨み、もっと長く生きて、自分を導いて欲しいと告げたときに、彼は後継者を見つけたことで自分の人生は完成したのだと告げた。人生が完成した瞬間の満足で、自分の人生は報われた。これ以上は望まないのだと微笑み、その数日後に彼はこの世を去った。

 彼の管理していた塔だけではない。膨大な書き付けと、人生を掛けて蒐集した書籍は、今でもイズミの手元にある。

 時にひどく冷酷になってしまう彼女は、時々彼のことを思い出して、もっと優しくならなくてはいけないと反省する。


「イズミ。随分とご無沙汰じゃないですか。このちにとどまる風の大精霊様とお話をしたいのでしたら、少しお力を貸せるかもしれませんよ——それにしても、あの大魔法使いとの間には、そんなことがあったんですね」


 イズミと師とを知る風の精霊から反応だった。世界に精霊は偏在しているが、魔法を使ったとしても、精霊の中で人間と直接意思疎通のできるものはそう多くはない。大精霊であってもそうだろう。なので、大精霊と意思疎通をするために、セオリー通り、その介在をするための精霊を用意したのだ。


「再び風の精霊にお会いできて嬉しく思います。お久しぶりですね。精霊の時間だと少し昔の話というほどのことなのかもしれませんが、定命である人の時間ではずいぶんと長い間が経ってしまいました」


 ひゅうと風が舞い、きらきらとした光が周囲を包む。

 精霊が笑っているのだ。


「ここはずいぶんと風の精霊の力が強い場所のように思えるのですが、ひょっとして、大精霊様がいらっしゃるのですか?」


 そう問うと、精霊は肯定のイメージを送ってきた。


「大精霊様とのやりとりを引き受けてくれますか?」


 この質問にも肯定のイメージが返された。

 ああよかった。これで意思疎通のパスが開ける。


「初めまして、風の大精霊様。人間種の魔法使いユーフィー・アルコットの娘にして、未だ修行中の魔法使い、イズミ・アルコットと申します。この度はお目見え致しまして大変光栄に存じます」


 風の大精霊であれば、師のことを覚えているはずだ。当時の自分では未熟さ故に大精霊との意思疎通はできなかったが、今なら大丈夫だろう。

 大精霊との間に縁が生じ、通信のための「パス」が通った。


「はい。イズミ。初めまして。でもこちらはあなたのことを知っておりましたよ」


 意外と近い距離感なのは、翻訳してくれている風の精霊の持つ属性によるものだろう。優しく上品な老婆のような温かみのあるイメージが伝わってきた。


「ありがとうございます。この度は、この地を古くより治めるドラゴンが、風の精霊に嫌われているという話を聞きまして、その理由をお尋ねしたく存じます」


「それはあいつが待たせるのが悪いの」


「待たせる?」


「待っててくれって言ったのはあいつなの。他の精霊にするか、自分にするか迷った末に、まだ決めかねているのよ。向こうから謝ってくるまで、風の精霊はあいつに力は貸しません」


 イズミは混乱した。大精霊の言葉によれば、あの老ドラゴンが風の大精霊に何かの返事をしないまま待たせ続けているということらしい。おそらくは数百年というスパンで。


「ご返答ありがとうございます。もし、ドラゴンからの謝罪があれば、受け入れていただけますか」


「当たり前です。こっちはずっと返答を待っているんですよ」


 これはどうやら老ドラゴンが一方的に悪い。だが、話は早そうだ。


「お答えありがとうございます。これより先、風の大精霊様の御心が永久に穏やかなものでありますように」


 そう告げると通信が途切れた。こうしてはいられない。これは早急に解決せねばならない事案である。

 優柔不断で女を待たせるなんて! しかも千年以上もの間!


「ノアールさん! ご相談があります!」


 イズミは今先ほどの風の大精霊との通信の内容を猫ドラゴンに告げた。


「お父様は、ずっとお待たせしておられる……?」


「ドラゴンなんだから忘れているはずはないんでしょうけど、おそらく何らかの行き違いか誤解かがあって、あなたのお父様は、風の大精霊様にお返事を告げていないということのようです。急ぎましょう。早くお返事を!」


(つづく)


--

【著者より】

神沼は、ファンタジーの原体験がTRPGだった古いタイプの人類です。何歳になっても、ドラゴンには憧れがあります。なお余談ですが、アルゴーがドラゴン形態なのは、まずは三話目までです(そのうちまた出てきますが)。猫ドラゴンは猫ドラゴンの形態のままです。有能な猫ドラゴンがうちにも来て欲しい。

ではまた次回!

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