友達のいない女魔法使いと老ドラゴンと風の大精霊

神沼三平太

第1章 旅の始まり

第1話 友達のいない魔女と西の果てのドラゴン

 この地に至るまでに、今までどれだけの時間を費やしてきただろうか——。


 薄汚れた灰色のローブを羽織った長身の女性が、岩でできたトンネルの隙間を抜けていく。かつてこのトンネルの奥に挑み、奇跡的に生還した者の手記を片手に、彼女は十年以上の時間を掛けてこの地を目指してきたのだ。

 トンネルの奥には古い時代から言い伝えられているドラゴンが巣食っているはずだ。目標となるドラゴンは、〈古のドラゴン〉と呼ばれる一体だ。伝説によれば、数千年も生き続けているという。ここ百余年ほど目撃例はないが、ドラゴンならば、それぐらいの期間寝て過ごしていてもおかしくはない。


「そろそろ着くか」


 女性は小さく口にした。メッシュの入ったショートカットに革鎧を身につけたスレンダーな身体。年の頃は二十五歳から三十歳ほどに見える。従者も連れず人里から遠く離れたこの地に挑んでいるのだから、ただものでないことは確かであろう。ここ百年、龍の巣を訪れたものは数えるほどで、しかも生きて戻れた者はいないという。見れば、彼女は荷物の一つも背負っていない。薄汚れたローブに、薄青いつばの大きい日除けの帽子を身につけている。帽子には端切れがパッチ状に当てられている。ダボっとしたシルエットのズボンを履き、靴は山道用の底の厚いブーツ。片手には捻じ曲がった杖を持っている。テンプレートな魔法使い装束だ。


 気がつくと、彼女の足元は平板になっていた。誰が整えたのか、これでは参道のようではないか。歩を進めるのに全く苦労はない。旅の最後がこんなも安楽なものになるとは、彼女自身予想していなかった。

 一方で彼女は心に妙な引っかかりを覚えていた。周辺の空気に含まれる魔素が少し濃すぎるような気がするのだ。それも風の精霊の属性が強すぎる。

 数百メートル歩いたところで空間が大きく開けた。きらきらと輝くブルーの小山。その裾は黄金色に輝いている。空から陽の光が入ってきており、今までの薄暗い通路を歩いてきた目には眩しすぎた。彼女は目を細め、立ち止まって大きく息を吸い込んだ。


「お休みのところ失礼します!」


 彼女の声が空間に響いた。その声に呼応するようにじゃらじゃら、がらがらと金属同士が擦れ合う音が返ってきた。続いてちゃりちゃりと音を立てて金貨が床で跳ねた。

 女性の目の前のブルーの小山が動き出した。ただの金属の山のように見えていたのは、まさにドラゴンの背中だったのだ。滑らかな鱗が陽光を弾いて輝いている。体長およそ十五メートル。尾の先まで入れるともっと巨きい。


「失礼します!」


 女性は再度声を上げた。


「ほう。珍しい。小さい生き物がこんなところに何の用だね」


 ドラゴンは古い帝国語で答えた。話が通じるのはありがたい。ドラゴンといえば人間に対して問答無用で襲いかかってくるという話を聞いていたが、問答無用に宝を奪おうとすれば、それは相手も必死に抵抗するだろう。


「お休みのところ失礼します。私は、魔法を修行している者です。唯一生き残っている古のドラゴンにお尋ねしたいことがあって、この地を訪れました」


「このおいぼれに何かできることがあるというのかい。わしは今となっては空も飛ぶこともできない出来損ないだぞ」


 ドラゴンは笑みを浮かべて体をゆすった。巨大な体躯の下の金属が軋む音が響く。その笑みに対して、女性はさらに声を上げた。


「お尋ねしたいのは、どうしてこの世から魔法が消え去ろうとしているかなのです。ドラゴンはあらゆる魔法を使うことができると聞きます。私の師も、もし魔法のことで行き詰まったらドラゴンを尋ねろと言っておりました。私はその言葉に従い、この地を訪れました」


「師の名は」


「ユーフィー・アルコット」


 その名を聞いたドラゴンは、目を細めた。


「——懐かしい名を聞いた。ところで奴も小さい者たちの中ではずいぶんと長生きだったはずだが、奴が死んでから、相当の時が経っているな。国が何度も滅ぶほどの期間だ」


「八百年あまりが経ちました」


「そうか」


 ドラゴンはそう言うと、小さくため息を吐いて続けた。


「あんたは〈世界渡りプレインウォーカー〉なんだね。だから歳を取らんのか。それは大変だな。古い知り合いの弟子となると、きちんともてなさねばなるまいよ」


 じっと動かずにいたドラゴンは首を持ち上げた。


「お客様だ。ノアール。ちょっと出ておいで」


 自分の背後に向かってそう呼びかける。すると、山猫ほどの大きさで翼が生えた生き物がとことことやってきた。全身が真っ黒なふわふわの毛で被われいて、緑色のきらきらした瞳。ぴょこんと飛び出た三角の耳に長い尻尾をゆらゆらと左右に振っている姿も猫そっくりだ。


「こやつはノアールといってな。わしの息子みたいなようなものだ。わしはここから動けんから、こやつに色々と尋ねるがいい」


 ドラゴンが言い終わるとノアールと呼ばれた猫ドラゴンは、その場ですっくと立ち上がった。それでも人間の腰くらいまでの背丈しかない。


「お客様、どうぞこちらにいらっしゃいませ。お茶くらいしかありませんが、ここで人間種の方が口にできるものはその程度しかありませんので、そこはご容赦願います」


 ノアールの口から放たれたのは、流暢な旧帝国語だった。


「私の名は、イズミ。イズミ・アルコット。またの名を〈放浪の魔女〉と言います。ノアールさん。どうぞよろしくお願いします」


 魔女——イズミが案内されたのは、御伽話にでも出てきそうな小屋だ。ドア脇のコート掛けに脱いだローブを下げる。

 部屋は八角形で、中央に楕円形のローテーブルとふかふかのソファが設えてある。そのソファに座るようにと告げられた。


「おもてなしと言っても、ここ数百年ほど、どなたもいらっしゃっておりませんから、何か粗相がございましたら申し訳ございません」


 ノアールはそう言って、器用にポットからカップに紅茶を注いだ。ノアールの言を信じるなら、数百年は保存されていることになる。だが、漂ってくる香りは高級な茶葉で、全く品質も落ちていないことを告げている。さすがドラゴンの魔法ということだろう。


「それでは〈放浪の魔女〉さま。私に何でもお尋ねください。答えられる範囲でお答えさせていただきます」


 椅子の上に四つ足で座り、前足をぴっと揃えたノワールは、コウモリのような翼が生えている以外は、ほぼ大柄な猫だ。


「——あの、訊きたいことが増えてしまったのですが、大丈夫でしょうか」


「ええ。構いませんよ」


 ノアールは目を細め、微笑んでみせた。


「あなたのお父様、先ほど飛べないっておっしゃってましたけど、それは本当ですか? ドラゴンは何もしなくても飛べる、それこそ翼がなくても飛べるはずではないのですか? もしお手伝いできるなら、何でもお手伝いできるとよろしいんですが——」


「お父様、こちらの質問にはお答えしてもよろしいものでしょうか?」


 ノアールはそう呟き、続いてうん、うん、と何度か頷いた。おそらく外の古のドラゴンと会話しているのだろう。


「お父様が言うには、構わないそうです。まずはドラゴンがなぜ空を飛べるか、という話から始めた方がよろしいでしょうか?」


「お願いできますか」


 イズミもドラゴンが何故あの巨体を宙に浮かべることができるかについては、一通り師から学んでいる。だが、実際にドラゴン自身から説明を聞く機会など、二度とないに違いない。そう判断した結果の返答だった。


「私みたいに、体が軽い若い龍であれば、自分の魔力だけで体を支えることは可能です」


 ノアールは〈龍〉という単語にアクセントを置いた。どう見ても猫なのだが、彼は誇り高き古い龍の末裔なのだ。それも微笑ましい。


「ですが、お父様のように巨大な体を持つまでに育った龍は、自前の魔力だけでは素早く飛ぶことができないのです。そこで風の精霊に力を借りるのです。龍は全ての精霊を自在に使役することができますから」


 ここまでの説明は、イズミの知る通りだった。


「この洞窟は、風の精霊の力が強いように思うんですが——。それでも彼は飛べないのですか?」


 彼女は猫ドラゴンの説明に口を挟んだ。これも疑問の一つだったのだ。


「ええ。お恥ずかしながら。お父様は、風の精霊に嫌われておりまして」


 ノアールの耳が、項垂れるようにぺしゃんと垂れ下がった。

 ドラゴンが精霊に嫌われる——?

 それはイズミには意外なことだった。全ての精霊はドラゴンに絶対的な好意を持っているはずだからだ。

 ——もしかしたら。


「それは私にもお手伝いできることがあるかもしれません」


「本当ですか?」


 ノアールの目が大きく見開かれた。


(つづく)


--

【著者より】

みなさま初めまして。神沼三平太と申します。普段は実話怪談とか書いているのですが、この度は息抜きできるようなファンタジー小説を書きたいと思い、執筆を始めてみました。世界中を巡る長い旅になる予定です。のんびりお楽しみください。

★コメント・レビュー等お待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。

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