第二十三話 愛される花嫁

 闇の中で佇んでいると、香楓を呼ぶ声がした。とても優しい声で、それが、陽輝様の声のような気がする。


 ご無事でいらっしゃる。それだけで、穏やかかな気持ちになった。


「早く目を覚ますがよい。心配しているものが、数多くいるでのぅ」


 次に聞こえた声は、重低音で穏やかな声だった。その声を、昔から知っているような気がする。


「私の体は、天の明神様に御力をお借りする代償といたしました。ですから、天の明神様の物でございます」


 暗闇に、幾筋かの光が差し込んだ。


「お前など、もらっても困るわい。まったく……。どれだけの覚悟で、あやつを助けたのだ。さすがに、ちっと妬けるかのぅ」

 笑うような気配があった。


「えぇ…………?」

 何を言われたのか、理解できなかった。


「なにをしているのだ。早く戻れ。お前など、いらん、いらん」


「あっ、あの…………」

 声の主について聞きたかったのだが、香楓の声は遮られた。

「たまには、いや、これからは、しょっちゅう顔を見せられるのか? やっぱり、ちっと妬けるのぅ」


「えっと……」


「なにをやっておる? はよ、帰れ」

 

 聞きたいことが沢山あるのに、眩しい光が差し込んで目をつぶる。


 眩しさがおさまって、目を開けると三人の女性が香楓の顔を覗き込んでいた。


「香楓様!! お目覚めですね。お食事をお持ちします」

 一人が部屋から飛び出すように出ていく。

「お水を飲みましょうか」

 体を起こしてもらい、椀に口をつける。


 冷たい水が、体に染み入るようだ。


「ありがとうございます」


「あの、行きたいところがあるのです」

 飲み終わった椀を渡しながらお願いすれば、女性は嬉しそうに笑う。


「お食事と湯浴みが終わりましたら、参りましょう」


 布団から抜け出して庭を見ていると、食事が届けられた。

「今日は、卵雑炊です。野菜は細かくして、じっくり煮込んでありますので、お腹にも優しいはずです」


「ありがとうございます」


 匙で少しだけ掬い、息を吹きかけてから恐る恐る口にする。


「あつっ!! でも、美味しい」


「それは、よいことです!! どんどん食べてくださいね」


 熱々の雑炊に何度も息を吹きかけ、ゆっくりと食べすすめた。


 三人の女性は香楓から離れることはなく、世話を焼き続けている。

「湯浴みに向かいましょう」

 当然のように、陽輝様の湯殿に案内された。


「ここを使っても、いいのかしら?」


「もちろんでございます」

「で、でも……」

「さぁ。香楓様が行きたいところは、どこでしょうか。御祓をすませてから、向かいましょう」


 香楓の行きたい場所には、体を清めてから向かった方がいいだろう。

 ありがたく湯殿を使わせてもらうと、着物を着付けてもらった。


 菜の花色の小袿こうちきだ。狩衣装束ばかり着ている香楓には、馴染みがない。


「誰のものを貸していただいているのでしょうか?」

 襟を擦りながら問えば、「香楓様のものでございます」と教えられた。


「陽輝様が準備していたものでございます。私どもも、香楓様に仕えております」


「ん? えっと……」

「詳しいことは、私どもの口からでは……。陽輝様にお尋ねください。香楓様がそういったことを聞いてくださるだけで、私どもは大変嬉しく思います」


 両手を胸の前に組み、瞳を輝かせて言われては、それ以上追求できない。


「わ、わかりました。陽輝様に聞いてみます」


 なんとなく、玻璃院に行けば会えると思っていた。


「御髪を乾かしましょう。本当に、美しい御髪ですね。香楓様が寝込んでいるあいだに、痛んでしまわれなくて本当によかったです」

 香楓の髪を優しく鋤いてくれる。


 自分はどうしてここにいるのだろうと、考えを巡らす。


 女であることを隠し謀っていた香楓を、陽輝様が許してくださったことまでは覚えている。許してくださったからといって、看病までしてくれるのは、手厚すぎるのではないだろうか。


 陽輝様は、お優しすぎる。


「では、どこに参りましょうか?」

 髪を乾かし終わった女性が、声をかけてきた。


「天の明神様に御礼を申し上げたくて、お詣りすることはできますか?」


 以前来たときと同じく、天の明神様の神宿かみやどりし岩は、堂々たる貫禄であった。

「私どもは、ここでお待ちしております」


 女性達は、少し離れたところで手を合わせている。香楓は近づいてもいいのかと疑問に思ったが、天の明神様の依代を見上げれば、近づいてもよいと思えてくるから不思議だ。


 供物机の前まですすみ、手を合わせた。


 目を閉じて心を落ち着けると、ふわりと暖かい気配がする。御力をお借りした御礼を伝えて、夢の中での会話を思い出す。

 「お前など、いらん」と言われてしまったが、香楓を現し世に帰すために、そんなことを言ったのだろう。


 天の明神様も、お優しい神様なんですね。


 春のように暖かい風が、香楓の頬を撫で、髪を靡かせた。



 時が止まってしまったかのように、香楓はしばらく動かなかった。

「香楓様。冷えてまいりました。お体に触ります。お部屋に戻りましょう」

 ふわりと押し戻すような風が吹いた。


 手を合わせたまま頭を下げると、女性達に連れられて陽輝様の寝所へ戻ってきた。


 ここは、香楓のいる場所ではない。陽輝様にご挨拶したら、家に戻ろう。そのためには、服を着替えて、玻璃院で陽輝様を探して……。


「あの。私の狩衣装束は、ありますか?」

「香楓様?」

「お借りしたものを、着て帰るわけにはいきませんので」


「…………香楓様……」

 何故か、嘆息されたような気がしたのだが。


「もうしばらく、お待ちください」


 三人の女性は側にいるものの目線は合わず、香楓がこれ以上尋ねるのを拒んでいるようだ。

 御挨拶をしてから着替えさせてもらうか、このまま帰って後で届けさせるか。

 そんなことを考えていた。


「香楓!! 体調はどうだ?」


 耳に心地よい声が聞こえ、狩衣装束の陽輝様が駆け込んできた。

 少しお疲れが、にじんでいる。


「陽輝様のお陰でございます」

 床に手をついて頭を下げる。

 陽輝様はどんどんと近づいてきて、香楓のすぐそばに膝をついた。

「香楓、顔を見せろ」

 上目使いに陽輝様のお顔を見上げれば、くいっと顎を持ち上げられる。


 心臓が早鐘を打つ。さきほどまで落ち着いた気分で、陽輝様のことも変に意識しないでいられた。このまま御礼を伝えて、帰ろうと思っていたのに。

 急激に恥ずかしさが増し、陽輝様のお顔が見られない。視線を逸らすが、効果もなく、どんどんと顔が赤くなる。


「顔色は悪くないな。いや、ちょっと赤いか? 熱があるか?」


 陽輝様の指が、頬や額を優しく撫でる。


「あの……。陽輝様……。私は、女です」

「へ? ・・・・・・ふはっ」


 沈黙してしまったと思ったのだが、急に吹き出した。


「香楓は、どこまで聞いていたのだ?」


 陽輝様を謀ったことを許してもらえたのは、聞いた気がする。しかし、男色の陽輝様には女の香楓は対象外で、こんなふうに触れられては、香楓の心臓も精神ももたない。


「では、天明陽輝が命じる。光代香楓は、皇子の妃となれ」

 有無を言わさぬ命令だが、声は穏やかで温かさがこもっていた。


「・・・・・・えぇ!!」


 陽輝様は慌てる香楓を覗き込んで、にやりと口角をあげて笑う。

「反論は許さん。香楓は、俺のために、その身も想いも差し出すのだろ?」


 鬼を祓うときに出た言葉だ。神に誓ったものなので、紛れもない真実なのだが……。


「で、でも、陽輝様は男色で……」

「ふっはっは。まだ言うか!? 本当に光代は、真面目で堅物だな。香楓が女だと、昔から知っているさ。それを知っていて抱き寄せたんだ」


 そのまま抱き寄せられて、膝の上にすっぽりと収まってしまった。香楓は身動きがとれないくらいには、頭が真っ白だった。


「まぁ、嫌でも少しづつわかるさ。香楓は少しでも食べた方がいい。飯にしよう」


 膳が運ばれてきても、陽輝様は離してくれない。

 匙を持ち上げたので、香楓は陽輝様から離れようとした。

「自分で食べられますので」

 腹に回った腕に力が入る。

「俺が、甘やかしたいのだ」

「ですが! 私の心臓が、もちません!!」

「ん…………。まいったな……。…………愛おしい……」


 最終的に、陽輝様の膝の中で、自分で器をもって食べる形に落ち着いた。


 食事をすませると、陽輝様は湯浴みにでてしまった。そのあいだに、香楓は夜着に着替えさせられる。

 お腹の辺りで緩く結ばれた帯が心もとない。


「まだ、病み上がりですからね。皇子様には優しくしていただいてくださいね」

 その言葉に、がしっと女性の腕をにぎる。


 陽輝様が妃にと言った言葉に、やっと実感が伴ってきたのだ。

 香楓が家に帰されなかった理由も。


「どうされました?」

 腕を掴んだ香楓の手を、優しく剥がすように外していく。

「心の準備が……」


 ついさきほどまで、陽輝様は男色だと思っていて、御礼を言って帰るつもりだったのだ。


「大丈夫です。皇子様なら、熱く愛してくださります」

 ふわりと嬉しそうに笑って、部屋から出ていってしまった。


 布団は一枚。ぽつんと香楓を残して。


「香楓」

「ひゃあぁぁ!!」


 陽輝様に名前を呼ばれただけなのに、飛び上がるほど驚いてしまった。


「なにを、そんなに驚いているんだ?」


「あ、あの……。その……」


 心臓が、口からでてしまいそうだ。


うぶすぎないか? まぁ、香楓の体調が万全ではないからな。まだ、お預けだ」


 真っ赤な顔で見上げれば、「一緒に寝るだけだ」と香楓を抱き上げる。その言葉どおり、香楓を包み込むように抱き締めた。


「香楓。こっち向いて」

 そっと陽輝様の方へ顔をむければ、顎に手を添え、唇を食まれた。

 優しく啄むような口付けは、次第に深くなっていく。


 もう一度、もう一度・・・・。


 息があがって、思考が蕩けていく。陽輝様の体温が心地よくて、そっと身を寄せた。


「ずっと、昔から好きだったんだ。こうしていないと、香楓に逃げられてしまいそうで、怖いな」

 抱き締める腕に、力が入る。

「陽輝様をお慕いしております。陽輝様のためでございましたら、この身を捧げます」


 言ってしまった……。


 陽輝様が、ふっと笑った気がした。


「早く元気になれ。香楓を愛したい」

 耳元で囁かれた言葉が、脳を揺らす。


 心臓がばくばく鼓動して眠れないかと思ったら、陽輝様の腕の中は思った以上に心地よく、しっかりと寝てしまった。

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