第二十一話 眠れる愛しき人2
「どうなさりましたか?」
聡司が小走りで横に並ぶ。
「香楓が目覚めたら、食べるものってなんだ?」
何を聞かれたのか理解できなかったのか、聡司は「ふぁ?」と変な声を出す。
「天の明神様からのお告げだ」
その短い言葉で、理解してくれたようだ。
火之神様が顕現しているのを、その目で目撃したからだろう。
「体調の悪いときには、粥ですかね」
「粥を供えればいいのか」
「それですと冷めますし、香楓が美味しく食べられないかと」
「では、なんだ?」
「米ではどうですか?」
「米……か?」
料理などしないので、材料を供えるという発想がなかった。
俺と聡司の話を聞いていた従者が動く。煮炊き場に走っていった。
天の明神様が喜ぶものを一緒に供えようと、料理番に相談しているうちに、稲穂が届けられた。神事のためにとってあったものから、一部をもってきてくれたらしい。
その稲穂と天の明神様のための小鉢を供えると、もう行けとばかりに強風が顔に当たった。
それにも動じず、香楓の回復をもう一度祈ると、その場を後にした。
「聡司、お使いを頼みたいんだが」
「なんなりとお申し付けください」
「文を書くからな。ちょっと待ってろ」
自分の部屋は香楓が寝ているので、玻璃院の文机を借りる。
さて、何から書き出せばいいものやら。
まずは、香楓の体調のことだろう。それと、香楓を男として育てる前に、相談しなかったことへの苦言を書き付けた。
光代家の現当主にはちょっとした罰を与えたいところだが、娘が立て続けに嫁に行く事になるのだ。あの親には、十分罰だろう。それに、末の弟が成人するまで、当主として頑張ってもらわなければならない。
今後のことだが、香楓の回復を待たなければならないので、流れだけは書き付けた。
すべて書き終えると、聡司を呼ぶ。
この男も光代に負けず劣らず、権力に興味のない男だ。しかし、大人しくて真面目。だからこそ、側に置いておける。歳が近くて話しやすいということもあるが。
慢心のある五家よりも、術師としても優れていると思う。おそらく、話にでていた弟よりも優れた術師なのだろう。
病弱な雷門家当主が、いつまでも嫁をとらない聡司を、次期当主に指定し続けているのだから。
嫁をとらない理由は、結構有名だった。男色だというのだ。
気色悪いと悪口を言っているのも耳にしたが、俺にとって都合の良い男だと思った。
香楓に興味をもたないと思ったのだ。
聡司の反応が予想と違ったときのことを思い出す。
玻璃院にいるときから、香楓にやたらと話しかけているではないか。隙さえあれば、香楓のことを可愛いと言う。香楓が可愛いというのは同意だが、まさか、この男、男色という噂は間違っていたのか。
夕方になっても、火宮の地鳴りはおさまる気配はない。せっかくの親しくなる機会だから、もう少し香楓と一緒に過ごしたい。
だからといって、香楓を官の休憩場所で寝かせるわけにも、官の湯殿を使わせるわけにもいかなかった。他の男に寝顔などみられては、我慢ならない。
俺の寝所を使わせるしかない。からかいつつも、一人ずつ湯浴みをするように誘導した。
しかし、俺が湯浴みをしているあいだ、聡司と二人きりではないか。
やきもきしながら湯殿から戻れば、お茶が振る舞われている。はっきりとは言わなかったが、従者の様子から聡司が香楓を口説いていて、その邪魔をしたのだろう。
まったく…………。油断も隙もあったものではない。俺の気持ちも、香楓が女だと言うことも、従者がわかっていたからよかったものを。
聡司が湯浴みに行っているあいだに、もう少し香楓を口説きたかったのだが、思ったより早く戻ってきて……聡司は聡司で、香楓のことが気になっていたのだろう。
香楓を湯殿に送り出した後、聡司はしばらく考え込んでいた。
「御忠言申し上げます。陽輝様は、この国の未来でございます。ゆくゆくは、この国を背負っていかれる御方です。その御役目には、次代を繋げるということもあるはず。姫について、真剣に考える時期だと思うのです」
こんな発言をするということは、聡司は香楓を男と思っていて、本気で世継ぎの心配をしているということだ。
まだ香楓が娘だと明かすわけにはいかない。「真剣に考えている」などと言えるわけもなく、神妙な顔で頷いておいた。
しばらく聡司は口ごもっていた。急に居住いを正すと、床に付くほど頭を下げる。
「陽輝様に誠心誠意仕えさせてください。今回、
まさかの言葉だった。
香楓を聡司に譲れば、俺は姫について真剣に考えざるをえず、聡司は想い人を手に入れられる。一石二鳥というわけだ。
それにしても、香楓の性別を少しも疑っていないのか。
しばらく考えて、やっと理由を思い当たった。
女が苦手な聡司は、自分が好きになったのだから男であると盲目に思い込んでしまったのだろう。
俺からしてみれば、聡司は男色ではない。彼は、男女問わず中身を見て好きになっているだけなのだ。その証拠に、これだけ長い時間一緒にいれば香楓の男装にも襤褸が出ていて、女性だとわかるような態度も取っている。女性らしい雰囲気を不快に思うこともなく、逆に頬を赤らめているときすらある。
「嫌だな」
譲れるわけがない。
「お願いいたします!!」
何となく従者の動きが忙しくなってきた。香楓の湯浴みが終わったのかもしれない。ずいぶん早いが、こんな状況だ。急いで出てくることは十分に考えられる。
聡司との会話に決着を付けておかねば。
「
「もちろんです。陽輝様のために尽力させていただきます」
「あまり、張り切らなくていいぞ」
「いえ。欲しいものを手に入れるためとあらば、手は抜きませぬ」
大きなため息が出た。
聡司は年も近く、ゆくゆくは右腕として働いてもらいたい男だ。男色という噂もあったが、それならば逆に、香楓と一緒に行動させても心配ないと、好都合だとさえ思っていたのだが。
香楓を譲ることはできない。だからといって、聡司がどうなってもいいとは思わない。
聡司に合う、姫か……。
有り難いことに、一人だけ当てがある。娘が聡司を気に入るかどうかは、また別の話だが、聡司にはその娘を紹介してやるとしよう。
話が終わったことを察知した従者が、夕飯の膳を運んでくる。緊急事態のせいだろう。いつもよりは質素なようだった。
次の日、花街の鬼が出たとき刀まで抜いたのは、聡司に手柄をたてさせる訳にいかなかったからだ。
火之神様が鎮まって下さった後、「打ち捨てられても不満はない」などと言い出すとは思わなかったが。前日の会話もあったし、差し出がましいことを言ってしまったという反省があったのだろう。
火之神様の押し潰されそうなほどの重たい空気のなかでは、なにもできなくても仕方がないだろう。逆に香楓が、
その場で言いくるめて、聡司には香楓を諦めさせた。従者に様子を確認させたりと、少し気を使ったのは確かだ。
長い文を書き終えると、封をして聡司にもたせた。神妙な顔で急いで出ていったが、今頃は慌てているのではないかと、あいつのそんな顔が頭に浮かぶ。
さて、事の始末をしなければならない。目的の人物を探して、玻璃院の中を急いだ。
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