第十五話 楓の上生菓子
『菓子職人の新作ができたので、食べに来るように』という文を持った使者がやってきたのは、それから五日後だった。
「いらっしゃるのは、いつになりますか?」
指定された日に予定があったとしても、皇子様のお誘いを優先するのが当たり前だ。
「私が決めてもいいのでしょうか?」
失礼に当たるのではないだろうか。
「香楓様が確実にいらっしゃることができる日で、と言われております」
香楓は落ち着いていた。
「特に予定はありませんので……」
「では、明日、午前中にお迎えに上がります!!」
香楓が終いまで言い終わるのを待つことなく、食いぎみに、しかも、身を乗り出して、決められてしまった。
「お、お願いします」
使者の勢いに腰が引けたが、落ち着いて答えられたと思う。
そんなやり取りがあって、家族、特に父に、「陽輝様に気に入られたのか」と驚かれた。
何故かは知らないが、気に入られてしまったのだ。
これが、女として気にいられたのなら、嬉しかったのに。男として生きる香楓では、絶対に叶わない希望を胸に抱く。
花街へ行ったときには、まだ、頭が真っ白になったような、浮き足立つような、ふわふわとした感覚があった。しかし、しばらく家で過ごしているうちに、落ち着いてきた。
もともと忠誠を誓った陽輝様を好きになったとして、彼のために働くことは変わらないのだ。
より一層、尽くすことができるかもしれない。
そう思えば、好きになってしまったことも怖くはなかった。
家族には迷惑をかけたくないから、全ては香楓の判断で行ったことだ。香楓の恋心からの我が儘ということにしておけば、都合がいい。
迎えにきた従者に続いて大内裏に入れば、数日前と変わらない清らかな空気が流れていた。
「こちらでお待ちください」
通されたのは、玻璃院にある、小さめな一室だった。
「おはようございます」
すでに到着していた聡司に挨拶を返す。
花街に行ったときの約束を違えずに、聡司まで呼んでくれたことに誠実さが伺える。役に立てなかったと沈んでいた聡司も、元気そうで安心した。
「香楓はあの後、この前の変事について、考えましたか?」
火之神様の
「陽輝様と花街へ、聞き込みに行ってきました」
「へ? あそこへ狩衣で行ったら、呼び込みに捕まって話を聞くどころじゃないだろ?」
聡司の読みがすごい。確かに女郎に声をかけられまくって、遣り手に聞いた以上の情報は聞き出せなかった。
「お店のやっていない、昼の時間でしたので」
「あぁ~。そりゃそうか。んで、何かわかったか?」
「普段から、
「見回りの
雷門家と光代家は、花街の見回りに参加していない。
「見回りに来るのは、水色の狩衣だそうです」
「あれだけの鬼を閉じ込めるのだから、ある程度力のある人物だとは思うんだがな」
聡司は「う~ん」と唸って、天井を仰いだ。
「どういうことだ?」
声の方を向けば、陽輝様が入室するところだった。
香楓と聡司は、居ずまいを直し、頭を下げる。
「やめろ、やめろ。ここには二人しか呼んでいない。俺は、二人にこれを見せようと思ったんだがな。聡司、先に話してくれ」
陽輝様は、布に包まれた細長いものを手にしていた。香楓と聡司の前に、どかっと胡座をかいて座ると、聡司に続きを促す。
「大内裏でみた
聡司の父とは、雷門家当主である。高齢で病気を患っているものの、手練れの術師だ。
「それを確かめるために、見回り途中に見つけた陰の気を、
鬼になるような濃い陰の気ではなかったらしいが、うまくはいかなかった。
「
もっと大がかりな儀式をするのであれば、聡司でも
もちろん、聡司が作った
「花街では、普段から
大津藩に向かわせていたものが、昨日帰ったそうだ。地方ではよくあることだが、藩専属の
大津藩に鬼が出たときも、流れの
中央から役人が送られてきたことで、藩主は観念して洗いざらいしゃべったらしい。
「それとは別で、土守家と千金家に、花街で変わったことはなかったかと聞いたんだ。どちらの家も、特に変わったことはなかったと」
「
香楓が確認すれば、陽輝様も聡司も頷く。
「力のある
「五家って……」
「聡司の話では、家の守り神の力を使ったんだろう」
聡司は、天の明神様の御力をお借りしなければ、
「でも、五家って……」
香楓には信じられない。都の守りの要である五家の誰かが、帝を、延いては国を、危険に晒そうとしているなんて。
「香楓は信じられないか?」
陽輝様が穏やかな表情で笑った。
「帝や国のために動くのが、五家ではないのですか!?」
「まぁ、そうなんだがな。こちらとしても遣えてもらえるように努力はしているんだ。報酬も十分なはずだし、なるべく顔を合わせて話すようにしている。しかし、父が若いうちに
陽輝様は、眉を下げる。
香楓からすれば、術師としても強く、民衆思いで、様々なことを気にかけている陽輝様は、命を懸けてお仕えするのに値する人だ。
「父から聞いたことには、過去にも帝のお命を狙う事件があったそうですね」
「まぁ、昔は、直接切付けたらしいがな。実は火宮にもあの時の状況を聞いたんだ。塀に傷があったことを指摘したら、人がいない時間があったらしい。つまり、準備さえしていけば、だれでも刀を持ち込むことは可能だったんだ」
清水家と御木家にも話を聞いたが、火宮を攻めるばかりで話にならなかった。
「二人に見て欲しいものは、これなんだ」
細長いものの布をめくると、刀が姿を表した。火之神様の
「ここを見てくれ」
陽輝様の指し示す先は、変色していた。
「錆びていますね……」
「あのとき、雷と突風は発生していたが、雨は降っていなかっただろ」
火之神様は、水が苦手なはず。いくら怒りに身を委ねようとも、自分の嫌いなものは避けるだろう。
「土の水分で……」
「それなら、切っ先の方が痛むはずだろ?」
陽輝様の言うように、鍔に近い部分が一番錆びている。香楓が引き抜こうとしたときには、刀の半分ほどが岩に入っている状態だった。どこまで岩があったのかは見えなかったが、もし、岩を突き抜けていたとしても、土に触れていたのは切っ先だけだ。
「では何故?」
「水を使ったんだろ。火と水は相剋だから」
火は水によって弱められてしまうということ。火の力を弱めるために、水を撒くか刀を濡らした。そのために刀は錆びてしまったと考えているのだ。
「では刀の金属と水は相生ですか」
金属が水を生み出す。つまり、水の力を強めるということ。
「そうだ」
刀の力、もしくは、水の力を最大限に生かせる家は限られてくる。全てが同じ人物の仕業だとすれば、五家のうちどの家かは絞られる。
「警戒しておいてくれ。では、ここからが本題なんだが……」
陽輝様が真剣な顔で、従者に目配せする。さっと動き出した従者は、上生菓子をのせた膳を運んできた。
「へ? あの、真面目な話は終わったのですか?」
「これだって、大事だろ? 香楓との約束だからな」
約束を守ってくださるのはありがたいが、先ほどまでの暗い雰囲気がきれいな上生菓子に似合わなすぎて、拍子抜けする。
香楓は皿に上品にのった、上生菓子に視線を落とした。
丸めた白餡の上に、大きく切れ込みの入った葉が何枚も重ねられている。色付き始めたばかりの葉、黄色から赤に移る途中の葉、真っ赤な葉が幾重にも重ねてのせられていて大変美しい。
「
聡司が先日の香楓と同じことを聞く。
「楓だ」
「あぁ、そうでしたね……」
聡司の呆れたような気配が伝わってきたが、それ以上態度には現さなかった。
「畜生!! どこまで気づかれているんだ!?」
大内裏に呼び出されたが、皇子の態度は飄々としていて、ほとんどの真相を暴いているようにも、ほとんど何もわかっていないようにも見えた。
「俺こそ、稀代の
口にだせば、それが正しく、間違いのないことだと実感する。
一人、倉に向かうと、重たい扉を開けて中に入った。誰も入ってこれないようにしっかり扉を閉めると、その暗さに慣れるまでじっと待つ。人目につかないところに置いた、抱えるほどの箱を取り出した。その箱は、沢山の御札で封をされていて、異様な気配が漏れだしていた。その封を解いてそっと開けると、中から黒い靄が吹き出してくる。
靄が濃すぎて中身を確かめることはできないが、この中には男が溜めた
帝に仕えるのが男の役目だが、自分より弱い男に忠誠など誓えない。ましてや、元服したばかりの若僧なんかに、仕えられるわけがない。
俺は、誰よりも強いんだ。
他の家がどう思っているのか探ってみても、皇子様はお強いお方だから仕えられるという意見が大半。なぜあの若僧が強いと思うのか。
俺の方が強いのだから、この国を治めるのは俺だろう。
男の身から、どす黒い靄が溢れ始めた。
「もう少し大人しくしていろ。俺の役に立つのだぞ」
箱の中の
封をするための新しい札を、次々に貼っていく。箱の中でがさがさと音がしているような気がした。
「不味いな。封印がもたない。すぐにでも計画を実行しなければ」
男の見立てでは、皇子の力は男に迫るものがある。であれば、不意打ちで倒せるはず。そのための計画も十分練った。
皇子が色々と探っているようなので、先手を打つなら今のうちだろう。
皇子さえ殺してしまえば、術師として強くはない帝なんて赤子の手を捻るようなもの。
「わっはっはっ、はっはっはっは」
この国の頂点に座し、この国を自分の好きなようにする。それを考えると、笑いが止まらなかった。
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