第十四話 花街
「香楓! 花街に行っても、女を買っては駄目よ」
見送りに来ていた姉様が、急にそんなことを言う。ちなみに、悠月は維希と奥の部屋で遊んでいる。使者や陽輝様の前で、「香楓お姉さま」などと口走ってしまっては、訂正することができないから。
「姉様……。わかっています」
いくら狩衣装束を着ていても、小柄で元服しているかわからないような年の男を、花街の女性が相手にするわけがない。
「わかっていないのは、香楓よ。そりゃあ、上位の女郎は違うわよ。でもそれ以外の女郎なんかは、お金次第よ」
狩衣を着ているだけで、裕福な家の息子に見えると言いたいのだろうか。
「安心してください。高いお金を払ってまでも、女郎を買うつもりはありませんから」
姉様は、まだ納得していないらしい。
「でも、皇子様が女を買ったとしたら、香楓もという話になるわよね」
姉様は大内裏に奉公へ行き、輿入れ先を見つけるだけではなく、そういった話まで覚えてきたらしい。
顔がひきつるのを、不自然な笑顔で誤魔化した。
「皇子様は、そんなことしませんから」
「香楓は純粋だから~。皇子様だって、女遊びをしたいときはあるでしょう。皇子様だからこそ、身近な女性に手を出すって訳にはいかないでしょうし。偽装に香楓を連れていくんじゃないかしら? 香楓は女なんて買いそうには見えないから、いい目眩ましよね・・・」
まだ続いている姉様の話を聞き流す。
殿方の話に、聞き耳を立てすぎではないだろうか……。
「・・・香楓ったら、聞いているの?」
「皇子様は、そんなことはしません!!」
ついつい、言葉に力が入ってしまった。
だって、陽輝様は、男色だから。
姉様は香楓の勢いに、「そ、そうね」と引いてしまった。
ごめんなさい。姉様。でも、言えないの。陽輝様が男色で、男の香楓を狙っているだなんて。
「お迎えに上がりました」
昨日と同じ使者が呼びに来たので、支度を始めると、門から陽輝様が馬に乗っているが見えた。まさか、皇子様ご本人が迎えにいらっしゃったのかと、父上も姉様も顔を青くしている。
この状況を想定できた香楓は、二人ほど驚くこともなく、急いで支度を始めた。
一人の従者が手綱を握っていて、それ以外にも護衛がたくさんいる。お忍びで女遊びに行くという姉様の予想は、すでに外れたようだ。
「馬で出掛けられますか?」
使者が、近くに繋いである馬を見ながら聞く。
「すぐに行きます」
香楓が馬の用意をしている少しのあいだに、父上が陽輝様に御挨拶をしていた。
「お待たせしました。行って参ります」
他の従者が、香楓の馬の手綱も引いてくれる。陽輝様と並ぶ形になった。
花街は都の西にある。都の住人が歩いて通える距離ではあるが、しばらく馬に揺られることになる。
「昨日は驚かせたね。そのことは気にしないでくれ」
秋風に目をほそめながら爽やかに言われても、香楓には無理そうだ。今でも、抱き寄せられたときの感覚が残っていて、思い出しては顔が赤くなる。
なにか、返事をしなければ……。
「陽輝様の個人的なことは、口外いたしませんので」
「個人的なこと?」
「はい。その……。好みの話とかです」
馬の手綱を引く従者が後ろを振り向いたのにもかかわらず、香楓と目が合いそうになると、慌てて前を向いた。
「あ、あぁ。口外しないでくれ」
陽輝様は皇子様だから、男色だと知られては都合が悪いだろう。
しばらく無言で前だけを見ていた陽輝様が、「そういえば」と話しかけてきた。
「今日は、大内裏に出た鬼について、聞き込みをしたいんだ。警戒されないように飲み食いもしたいんだが、香楓はどんなものを食べたい?」
どんなものをと言われても、何があるのかもわからない。鬼が出たとなれば駆けつけるが、それ以外ではほとんど家から出たことがないのだから。
「陽輝様が食べたいものを食べましょう」
そう言うしかないのに、なぜか陽輝様は面白くなさそうな顔をする。
「何でもいいんだ。売っていなくても、今度、ご馳走するよ」
そんなことになったら、次は内裏に招待されてしまう。なんとか絞り出さなければ。
「あぁ~」
普通、どんなものがあるのだろうか。ありそうなものを答えたいのに、全く思い付かない。
「えぇ~っと」
「ふはっ」
陽輝様が吹き出した。
「そんなに困るか?」
「あまり家から出たことがないので」
陽輝様が目を丸くした。
「あぁ、そうか。では、見つけたものを片っ端から食うか」
陽輝様は、その説明に納得してくれた。表情を窺えば、機嫌がよくなったようだ。
「香楓、しっかり食べているか?」
「…………食べていると思います」
ここ数日食欲はないが、普段は普通に食べている。
「昨日も、一昨日もほとんど食べなかっただろ? 菓子は食べていたから、甘いものが好きなのか?」
「甘いものは、ほどほどです。実は、豆の風味がわかるくらいの、ほどよい甘さの方が好きです」
贅沢なことを言っているのはわかっている。
甘ければ甘いほど高級と言える菓子を、ほどほどの甘さがいいなどと言えるのは、砂糖をふんだんに使うことができる名家育ちだからだ。
だから、世間の常識は知っている。自分の言うことが贅沢だということもわかっている。相手が皇子様だから、素直に話した。砂糖の値段を気にしてはいないだろうし、性別以外の嘘は、つきたくないと思ってしまったから。
「気が合うな。では、昨日の菓子は少し甘すぎたか?」
好みが同じだと思うと嬉しくなってしまった。隣を見れば、陽輝様も嬉しそうにしている。
「昨日のものは小さかったので、ちょうどよかったかと思います」
「そうか。菓子職人に伝えておこう。昨日のものとはべつの菓子を作ると、張り切っていたからな、また食べに来てくれ」
また、内裏に呼ばれる流れになってしまった。
「…………」
気軽に「はい」とは言えない。
「…………」
「今度は、聡司も呼べばよい」
「ありがたく、お受けいたします」
もう一度、馬を引く従者が振り返る。香楓と目が合いそうになると、慌てて前を向いた。
陽輝様は、なにか考え込んでいらっしゃる様子だ。
「これだから、光代は……。まぁ、いい。馬を降りるぞ」
花街に入る手前で馬をおり、陽輝様の従者に預ける。護衛が風景に溶け込むように存在感を消した。
「あんまり、きょろきょろするな」
護衛がどこにいるのかも気になったが、異国情緒溢れる花街の建物も、香楓の目を奪った。
背の高い建物は、独特な装飾がなされていて、普段生活している場所とは違う、非現実感がある。たくさんの提灯が垂れ下がっていて、夜になり、火が入れられたら、幻想的な世界になりそうだった。
「お兄さんたち、初めてかい?」
露店で準備をしているおじさんが、声をかけてくる。
「僕たち、修行に行ってこいって言われて、ここなら、陰の気が出るんじゃないかと思って来てみたんです」
半人前の
「あぁ。そうなのか。残念だが、普段から、交代で見回りをしてくれているんだ。今朝も来てくれていたから、陰の気を探すなら、他へ行った方がいいよ」
「毎朝、交代で来ているんですか?」
陽輝様が大きく驚いたので、香楓も一緒に驚いた振りをする。
「いろんな顔を見るから、交代だと思っているんだが、知らないかい?
陽輝様は、盛大にため息をつく。
「僕たちの家は、大内裏を挟んで、反対側なんです。だから、ここら辺のことは詳しくなくて。こんな着物を着ている人が来るんですか?」
陽輝様は、自分の狩衣をつまみ上げて聞く。
「そんな色だな。肩を落とすなって。せっかく来たんだから、少し遊んでいったらどうだい?」
「そうですね。もう少し、聞いてみて、美味しいものでも食べて帰ります」
「少ししたら、店も始まるよ。遠くからなら、姉さんがたの姿を見ても金は取られないから、こっそり見ておいき」
おじさんにお礼を言うと、花街の中心へ向かった。
「まだ、店がやっていないな」
ほとんどのお店が準備中。軽装でふらふらしている女郎の姿もある。
「陽輝様は、あまり来ないのですか?」
「ごほっ!! 当たり前だろ!? 今日だって、いつ行けば話が聞けるか、
姉様は、皇子様こそ花街へ行くようなことを話していたが、男色の陽輝様には縁のないところなのかもしれない。
「話が聞けるってことは、忙しくないってことで、そりゃ、店はやってないよな。うまいものも多いって言うから、楽しみにしていたんだが」
陽輝様が見回しているが、ほとんどの店が営業前だ。
「あら、いい男。今晩、うちに泊まらない? あなたなら、安くしておくわよ」
二階の窓から女郎が声をかけてきた。ひらひらと手を振っている。歳は香楓と同じくらい。化粧を落とした素の顔は、幼さが残っていた。
「僕たち、修行に来たんですけど、陰の気って見ませんでしたか?」
窓枠に腰を掛け、頬に手を当てて首を傾げる。
「最近では見ないわねぇ~。あらぁ~?? 隣にいる子も、とってもかわいいじゃない。そうねぇ、あと三年したら、もう一度いらっしゃいな。お姉さんが、あなたのお相手をしてあげるわ~」
香楓からみれば同じくらいの歳なのに、男としては三つも若く見えるらしい。
「この辺を見回っている
女郎は態とらしく、膝を上げた。白くて細い腿を、指でなぞる。
「さぁ、おばばに聞いたらわかるかしら? あぁ、いいことを思い付いたわ。今晩泊まっていきなさいよ。夜になれば、陰の気も出るかもしれないわ」
「今晩、なにかあるのですか?」
陽輝様が一歩踏み出し、声を張り上げた。
夕霧ほどではなくとも、有名な女郎の身請けでもあるのだろうか。
「それは、教えられないわ~。自分の身体で確かめなさいよ」
女郎は「ふふふ」と笑う。その仕草が、可愛らしくもあり、妖艶でもあった。
「こら、こら。
「やだっ!! おばばだ」
女郎は「は~い」と返事をして部屋の中に入ってしまった。
おばばと呼ばれた老齢の女性が、「すみませんね。うちの若いのが」と近づいてきた。
「この遊廓で、遣り手をしております。今日は、どうされました?」
「僕たちは修行で来たんですが、この辺を交代で見回っている
「色んな家で回しているようなんです。その交代にいれてもらおうって寸法でしたら、土守家か千金家ですね」
都を守る五芒星の西側にある頂点が、土守家と千金家。五家のうち花街に近い家が、管理をしているようだ。
「この前、花魁の身請けのときに、鬼が出たと聞いたんですが」
「あぁ~、あのときは、
そんなに鬼が出たのなら、
「来てくれていたのは、やっぱり白と黄色の狩衣なんでしょうか?」
「そうだったと思いますよ。危ないから、建物の中に避難してくれと言われて外に出なかったんで、しっかり見てはいないんですが」
陽輝様がお礼を言うのに続いて、香楓も頭を下げた。
あのときは、最終的には他の家も駆けつけた。初めは土守家と千金家で対応していたのだろう。
「陽輝様、何かわかりましたか?」
「う~ん。とりあえず、土守と千金に聞いてみるしかないな」
その後も、主に陽輝様が、女郎に声をかけられるので、お店が開くまで待つことなく帰ってきてしまった。
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