第十三話 家族とのひととき
家まで馬を駆けるが、どんどんと不安が増してくる。
皇子様の求めに応じず、逃げてしまった。逃げなければ女だとばれてしまったわけで、どっちにしろ罰せられることは確定している。少しだけ延命しているような状態だ。
それならば、家族とのお別れをすませよう。
そう思えば少しだけ心が軽くなる。顔を上げると、光代家の門が見えてきた。遠くであるにも関わらず、香楓に気がついた門衛が、手を振って喜んでいる。
「心配しておりました。香楓様、よくぞご無事で」
涙まで滲ませて、帰りを喜んでくれるとは思わなかった。
「皆さん、待っておられますよ」
そう言うと、馬の手綱を持った。お言葉に甘えて馬を預けると、母屋の方向が騒がしくなる。
光代家は、使用人を含めたとしても、そんなに多くの人がいるわけではない。
他の家なら、家族の倍以上の使用人を雇っていて当たり前だが、我が家は少数精鋭だ。香楓と
それなのに、この騒がしさは何が起こっているのかと見ていれば、姉様と悠月と
「あぁ~、香楓!!」
姉様が呼ぶ声につられて、維希が叫ぶ。
「香楓おねえ・・・」
ごちん!!
「維希!! 外では、ダメだって何度言えばわかるの? 外って言うのは、建物の外ってことよ!!」
姉様の拳が脳天を直撃して、うずくまる維希。
着物姿の姉様に変わって、悠月が維希を諭している。
「本当のことを知られれば、香楓様は首を切られるの。維希、あんたが、香楓様を殺したいの?」
そんな脅しに、維希は顔をひきつらせ、涙目になっている。
香楓は微笑みかけながら、維希の頭を撫でた。
「大丈夫。首斬りになるとしても、維希のせいじゃない。自分の至らなさのせいだから」
香楓が皇子様から逃げてしまったから。お優しいかただけど、皇子様の秘密を知ったまま逃げた香楓を、そのままにしておくはずがない。
「ちょっと待って。いま誰か馬にのって通った気がする」
悠月が門の先を睨み付けていた。
香楓も振り返る。お迎えが来たのかと思ったのだが、人が入ってくる様子はない。
「母屋で話しましょう」
火宮家には負けるが、香楓の光代家も有数の豪邸である。母屋に入ってしまえば、塀の外まで声が漏れることはなかった。
維希のように叫ばなければ、であるが。
母屋に入れば、先に身体を清めるように言われた。「報告が先です」と言っても、「父上は、あなたのことを大切にしているのよ」と母上に言われてしまう。結局、姉様に風呂に放り込まれてしまった。
自分で巻き直したせいできつく締めすぎた
様々なことが、頭の中を巡る。
陽輝様が男色で、男装をした香楓に興味を持ってしまわれた。しかし、私は………。
お優しくて誠実な陽輝様を、この国の将来の帝としてお支えしたい。大変、尊敬できるお方だから、誠心誠意、尽くしたい。そう思っていたのに。
女として、好きになってしまいそう。
男色の陽輝様には、迷惑な話だろう。逃げ帰ってきた以上、もう会うことはないだろうけど。遠くからでいい。もう一度だけ、お会いしたかった。
ほろりと涙が零れた。
家族が心配する。声を上げて泣くわけにはいかない。
歯を食い縛り嗚咽をこらえ、風呂のお湯で顔を洗って涙を隠す。
陽輝様と二日間。友人のように一緒にいられただけでも、貴重な時間。香楓は幸せだった。
そう納得するまで言い聞かせ、なんとか風呂を出ると、心配そうな顔の姉様が待っていた。
「お腹減った……」
「急な召集だったから、緊張していたんでしょう。父上に大きな報告だけすませて、後は食べながら話しましょう」
香楓に父上のところへ早く行くように促すと、姉様は煮炊き場の方へ急ぎ足で消えていった。きっと、食事の時間を早めるように伝えに行ってくれたのだろう。
緊張していて食べられなかったわけではない。しかし、
香楓は、起こったことだけを話そうと心に決めて、父上のところに向かった。
「あぁ、よく無事で帰ってきてくれた。香楓が腹が減っていると聞いたのでな、すぐに食事にしよう。その前に、火宮では何があった?」
「火宮家の
父上が息をのむ。香楓には、その気持ちがよくわかった。光代家では絶対にあり得ないことだから。
「当主ではなく弟子が、か?」
「火宮では、御奉仕のほとんどを晃太が行っていたようで、火之神様は晃太に特別な感情を抱いているように見えました」
光代家の御神体は内裏にあり直接拝むことははできない。だから、五家ほど神様が身近ではなく、想像しづらい話ではある。しかし、長年
少し考えると、すぐに頷いた。
「封じたのではなく、鎮めたというわけか」
「火之神様が、御自身で依代に戻りました。火宮に、刀を持ち込んだ人物は、特定されておりません・・・・」
香楓が誰とどこで何をしていたのかを省いて、起こったことを淡々と説明する。大内裏に、大津藩や花街の鬼が出たことも告げた。
「わしが不甲斐ないばっかりに、ご苦労であった。わしの足も捻っただけのようだ。数日すれば歩けるようになる。香楓はしばらく、家でゆっくりとするがよい」
「父上の足が治るまでは、私が当主代理です。鬼が出れば、この香楓が向かいます」
香楓の処分は、陽輝様のご意向でどうなるかはわからない。まさか、光代ごと潰されることはないだろうが、こんなときに悠月を外に出したくない。
「そうか。では、頼めるか」
父親の顔が覗いた。今、相談すれば、香楓を遠くに逃がしてくれるかもしれない。しかし、そうなると、家に不利益があるはず。それに、相談するとなれば、陽輝様の男色のことも打ち明けねばならない。皇子様の性癖など、軽々しく話すものではない。やはり、香楓が罰せられるのが一番よい。
そう考えたら、腹に石が詰まったかのように食欲がなくなってしまった。
次々に膳が運び込まれ、皆が揃い食べ始めたのに、箸すら持つ気が起きなかった。
「どうしたのかしら? 香楓?」
母上の声には、うっすら微笑んで返す。心配させるのは本意ではない。箸を持ち上げると、飯を少しだけ口に運ぶ。
「香楓……。そんなに大変だったか? やはり、しばらく休んだ方が……」
「大丈夫です」
煮物を口にいれるが、味がしなかった。
「姉様、悠月が立派に勤めて見せますよ」
「悠月に負担をかけたくないの」
悠月も男装。悠月に至っては、髪も男のように短く切り揃えている。香楓の失敗が、悠月に飛び火しかねない。
「香楓は、早く休んだ方がいいかもしれないな。食べれるだけ食べたら、寝なさい」
まだ、薄暗くなったばかりだというのに、寝かしつけられそうだ。そんな家族の暖かさに、涙が出そうになるのを必死にこらえた。
「失礼します。皇子様の使いというものが、来ております」
とうとう来た……。家族の顔が見れたのだし、もう悔いはない。
「私が行きます」
家族が心配するのを振りきって、使者のところに向かう。
使者は、陽輝様の従者をしているものだった。
やっぱり……。
自分のもとに戻ってこいと言われるのか、自分のことは秘密にしたまま自害しろと言われるのか。
「これは、これは、香楓様に直接お渡しできることを嬉しく思います」
やけに愛想のいい使者だと思いながら文を受け取る。
封を開けるように促すので、恐る恐る開くと、『花街へ調査に出掛ける。付き合え』と簡素な文が入っていた。
他に何か書いてあるのではと思い裏返してみても、実は二枚重なっているのではと思い擦ってみても、何もない。
「これだけ……?」
「花街の住人に自然な話が聞きたいそうで、狩衣は水色でと承っております。それでは、明日の午前中にお迎えに上がります」
恭しく頭を下げて帰っていく使者の姿を、何が何だかわからずに眺めていた。
五家と三家はそれぞれ家の色があるが、それ以外の
お忍びだろうか?
「香楓? 何だったの?」
「あぁ、姉様。明日、花街への聞き込みへ同行するようにとのことでした」
一緒に悠月も維希も顔を出す。
「安心して行ってきてください。家のことは私がいますので」
悠月は、香楓が心配することなく家を空けられるようにと、気を使ってくれているのだろう。
「明日は、遊んで欲しいと思っていたのに!! 香楓お姉さまのばか!!」
ごちん!!
姉様の拳骨が、維希の脳天に落ちる。
「いってぇ~!!」
「あんた! 余計なことばっかり!!香楓のことが好きなら、黙ってなさい!!」
使者が敷地内にいるかもしれないときに、大声で叫べば聞こえてしまうかもしれない。香楓にとって、それくらいのこと、小さなことだった。
「維希、いい子にしているのよ」
維希は頭を押さえながら、香楓にしがみつくように抱きついた。維希の頭を撫でてやる。
家族のいつものやり取りで少しだけ和むと、心に余裕が生まれた。
先ほどの使者の様子から、家族については、そこまで心配しなくても大丈夫そうだ。どちらかといえば、香楓の身の方が危ない。
「もう少し食べたら、先に休むわ」
「そうね。慣れないことで疲れてしまったのよ」
姉様は、優しい。慣れないことがたくさんあったのは確かだ。しかし、一人になりたい理由は、それとは違う。
陽輝様は、どういうつもりなのだろうか。男色の陽輝様に、小柄で元服しているかも疑わしく見える香楓が、魅力的に見えているのだろうか。
今日抱き締められたときには、陽輝様の香が香り、心臓が止まるかと思った。近くにいると、麗しいお顔から目が離せなくなる。そのお顔が目の前にあり、愛おしそうに目を細めて香楓を見ているその表情に、全てを許しそうになった。
この際、女だとばれてしまってもいいから、身を委ねたくなってしまったのだ。
このまま陽輝様と時を過ごしたら、香楓は陽輝様のことを女として好きになってしまう。どうしたら、好きにならないでいられるだろうか。
布団に入ってからは、そんなことを一人で悶々と考えていた。
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