第十二話 火之神とその後2

 よい笑顔で背中を叩く陽輝様に、困った顔をする聡司。香楓はどんな表情を浮かべていればいいのかわからなかった。


「酒盛りでもしたいところだが、香楓を清めてやらねばならないからな。また使いを送る。今日は帰って、ゆっくりと休め」

 返事をする聡司に、待ってくれと腕を伸ばしたときだった。


 その腕を陽輝様に掴まれて、引っ張られる。

「さて、香楓はこっちだ」

「で、ですが!!」


 なんだかんだと聡司が苦言を呈して、陽輝様を止めてくれていた気がする。男色の気がある陽輝様と、二人きりになるのは非常に不味い。我が身が危険だ。

 女としてではない。万が一、触れられれば、すぐに男でないことなどばれてしまう。


「さきほど、鬼神に触れられただろ? 黒い靄の中にも入っていたし。清めるのが先だ」

「それくらいでしたら、自分でできます。家に帰れば、家族も手伝ってくれますし」


 不敬に思われない程度に抵抗を試みるが、小柄な香楓の力など大したことはなく、陽輝様に引きずられるように連れていかれる。


「俺は、心配しているのだ。少しでも早く清めたかったのに、火宮では誰が悪いのかで揉めるし。内裏で清めた方が早い」


 それはその通りだが、内裏で二人きりは我が身の危険が伴うわけで!!

 などと、皇子様に言えるわけもなく。足を踏ん張って、強く抵抗することもできない。

 機嫌の悪そうな陽輝様をちらりと見れば、その視線に気がつき、にこりと笑いかけてくる。


 私は男色の気はない。むしろ、そんなに優しくされると・・・!!

 変な気を起こさぬように、頭をぶんぶんと振る。皇子様に特別な感情など持ってはならない。


 私は陽輝様を尊敬している。陽輝様にお仕えしているのだ。


 心の中で繰り返すのに、ばくばくと波打つ心臓は収まってくれない。


「少し、じっとしていろ」

 きれいな布を清水に浸して軽く絞ると、香楓の顔を拭っていく。

「あの、顔なら洗ってしまった方が早いので!!」

 至近距離で見つめられたら、心臓の音が聞こえてしまいそうだ。

「じっとしてろ」

 陽輝様は小さく唇を動かしている。「清め給へ」と紡いでくれていた。


 香楓のために、御力を使ってくださっている。


 皇子様である陽輝様の御力は、国のために使われるべきもので、香楓のような個人のために使われるべきではない。

 そう思っても、言い出せない。流れ込む清らかな御力が心地よく、拭ってくれる布が冷たくて気持ちいい。

 陽輝様は香楓の顔を少し持ち上げて、顎の下を拭ってくださる。

 そのまま首へ。

「ひゃぁ!!」


 陽輝様は、いつのまにか布を持ち替えていた。清水に浸したばかりの、大変冷たい布を首に押し当てられて、変な声が漏れる。


 女みたいな声が出た……。


 陽輝様の御様子を伺えば、香楓のことを食い入るようにじっと見つめている。頬もほんのり赤いように感じるが、どういう表情だろうか。


 まさか、女だとばれて……。

 それとも男色の陽輝様に、情事を想像させる声だったとか!?


 どちらにしても、不味い。


 陽輝様は楽しそうに「ふふっ」と笑った。


「ぅうん」


 冷たい布が押し当てられても、さすがに二度目となれば慣れる。先ほどのような声は出なかったので安心していたら、陽輝様が「ふふふ」と楽しそうに笑う。


「手は洗った方が早いね」


 冷たい清流で手を清めると、陽輝様が服を払ってくれた。


「とりあえず、これでよし。香楓は、こっちにおいで」

「清めていただいて、ありがとうございます。私は、帰れますので」

「もう少し、ゆっくりしていけばいいよ」


 部屋に連れ込まれるのは、不味い気がする。

「えぇ~っと、その、そろそろ、帰った方がいいかと……」


「でも、甘味があるんだ。すぐに用意させるよ。金木犀でも見ながら食べよう」

「は、はい」

 まぁ、外なら……。

 部屋でなければ、陽輝様と過ごす時間は、何事にもかえがたい時間だ。


 その言葉を聞いた従者が長椅子を運んできた。陽輝様は、香楓の手を引く。


 手を繋いでいるみたい。


 隣に座ったものの、その距離が近く、心臓の音が聞こえてしまいそうだった。

 しばらく手を握られたままで、男でないことを申し訳なく思いつつも、女として好きになってしまいそうで、必死で駄目だと自分に言い聞かせていた。


「こちらをどうぞ」

「わぁあ~!!」


 上生菓子が運ばれてくると、感嘆の声が漏れる。黄色から赤の色調の変化が美しい。紅葉もみじだろうか。


紅葉もみじ、きれい……」

「いや、楓だ」

「へ? 楓……」


 陽輝様は、男としての香楓を好いてくれているようだ。頭を抱えそうになるが、なんとか平静を保つ。


 陽輝様は、半分に切ったものを菓子切で突き刺して、口にいれる。


「食っていいぞ」

「あ、ありがとうございます」


 小さく切り分けて口に運べば、上品な甘味が口のなかに広がる。

「おいしい」

「だろ?」


 内裏の菓子職人の作だろうし、美味しくないわけがない。それよりも、その菓子職人に、楓の和菓子を、陽輝様が頼んでくれたのだろうか。

 そう思うと、なんだかむず痒いような、男でないことが申し訳ないような、落ち着かない気分になってくる。


 美味しいものは、なくなるのも早い。次から次へと口に運んでいたら、皿の上の楓の葉は、あっという間に無くなってしまった。


 従者が皿を受け取りに来たので渡す。その途端、陽輝様に抱き寄せられた。ふわりと香が香り、逞しい腕に心臓が跳ね上がる。呼吸も忘れて、陽輝様を見上げた。


 次の瞬間、別の意味で心臓が大きく音を鳴らす。

 こんなに密着したら、胸が当たって女だとばれてしまう。


 陽輝様の身体との隙間に、なんとか腕を入れて、密着を防いだ。

 一生懸命、陽輝様を押し返す。顔が真っ赤になっている自覚がある。


「陽輝様、お止めください。私は男色ではございません」


 陽輝様の腕の力が弱まったので、滑るように抜け出して距離をとる。

 失礼なことをしている自覚はある。皇子様のためならば、全てを差し出すのが臣下というものだろう。普通の臣下なら、皇子様の寵愛は、喜んで受け取るのだろう。


「申し訳ございません」


 大きく頭を下げると、もうここにはいられなかった。内裏の門はすぐそこだ。香楓一人でも帰れる。もう一度門の近くで振り返り、大きく頭を下げると、内裏を後にした。



 香楓の姿が見えなくなると、陽輝様が大きなため息をつく。

「男色じゃないことくらい、わかってるよ。えっと、護衛も兼ねて、そなたがいい。がちゃんと家に帰れたか、見てきてくれ」

 陽輝様の護衛の中でも腕の立つ若者が、香楓の後を追っていった。

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