第九話 それぞれの秘め事

 朝食は簡単に、握り飯と味噌汁が出された。きつく巻いてしまったさらしのせいで、空腹の割に食が進まなかったが、少食について言及されなかった。各々、二つの人形ひとがたについて考えながら、黙々と食べ進めた。

 何らかの思惑で、大内裏に置かれた人形ひとがた。それに加え、昨日よりもひどくなった地鳴り。


「火宮で解決できるとよかったのだが。少し様子を見にいくか」


 陰の気が吹き出しているのは、火宮家がお祀りしている神宿かみやどりし岩である。火宮家が鎮めて、今後も力を貸してもらえるように、よい関係を作る。それが一番なのだが、事態が悪くなっているのなら、手を貸して早く解決した方がいい。


 大内裏から出るために大門へ向かと、昨日鬼が出た松の木は、爽やかな風に揺れて、何事もなかったかのように佇んでいた。


「皇子様、ご機嫌麗しゅうございますか」


 鈴を転がすような声がしてそちらを向けば、紫色の着物を着た美しい女性がお供をつれて立っていた。

 清水家の姫である。

 姫は陽輝様に微笑みかけ、聡司と香楓にも小さく会釈した。


 その立ち姿は凛としていて美しく、涼やかな目元は長い睫で縁取られ、目線を下げると大変色っぽい。瑞々しい唇も、艶めく長い髪も、これぞ姫という感じがして、香楓は見入ってしまった。


 香楓と比べては烏滸がましいほどに美しい姫と、陽輝様の顔を順番に見比べる。


 お似合いのお二人だ。


 火の姫は、目鼻立ちがはっきりとしていて華やかな美しさだが、水の姫は、涼しげで清流のような美しさであった。


 どちらの姫が陽輝様の隣に並んでも、きっとお似合いになる。


 そう考えると香楓は、胸に痛みが走った。


 あぁ、私はきっと、残念なんだ。そう、心のなかで呟く。


 香楓は、光代家の当主代理として召集に応じた。今はまだ、父が老体に鞭打って、当主としての勤めを果たしてくれているが、もし、勤めを果たせなくなったら……。今回の足の怪我がひどくて、祓除ふつじょ師として働けなくなったら……。そのときは、香楓が当主になるときだ。

 しかし、香楓は偽りの当主。弟が元服すれば、当主の座は速やかに渡す。

 そのとき、当主の座を受け渡す理由が必要だ。香楓が死ぬか、勤めを果たせぬほどの重傷になるか。行方不明になるという手もあるが、どちらにせよ香楓は都にいられない。


 帝を謀った酬いであるであるから、しかと受け止めて都を出て静かに暮らそうと考えている。幸いにして、祓除ふつじょの力があるから、食っていける。


 なにが残念かといえば、尊敬する陽輝様が、最愛の妻を迎え、この国を導いていくところを近くで見られないこと。近くでお支えすることができないことだ。


「あまり良くはないな」


 陽輝様から出た冷たい声に、引き戻される。

 憮然とした態度に驚いていると、水の姫はそんなことなど気にする様子もなく、くすりと笑う。


「火宮のことですね。あの者達は、意気込みだけは十分なのですから、早く事を鎮めてくださればいいのに」


「そう言うな。建国以来、起きたことのないことに戸惑っているのだろう」


 水の姫は、細い指を唇に当てた。

「そう言えば、火の姫が、騒いでおりましたよ。怖くて家に帰れないと。官の部屋に泊まればよろしいのにとお伝えしたら、『そんなところで寝られるわけがない』と、顔を真っ赤にしていらっしゃいましたね」


 香楓は昨晩、その部屋で寝ようと思っていた。姫とは、そういうものなのかと驚く。


「家に帰れば、立派な術者がいるのだから、安心すればよいと伝えておいてくれ」


「嫌ですわ。私が、あの女と会話することなど、ございませんの。それに、一晩たっても地鳴りが収まらないなんて、どこが立派な術者なのかしら」


 なぜか聡司が、香楓の狩衣の袖を、がしっと握ってくる。

 ぶつぶつと呟いていると思えば、「女、怖い。女、怖い」と連呼していた。


 水の姫は首をこてんと傾けると、「大したことない術者なんでしょうね。だから、無能な姫なんて産まれるのよ」と可愛らしい声で呟く。

 動作が可愛らしければ可愛らしいほど、吐き出す毒が際立って、背筋に冷たいものが伝った。


「そちも、気を付けるがいい。昨日から、大内裏にも鬼が出ているからな」


「そうね。いくら、祓除ふつじょ師の家系といっても、姫は守ってもらわなければならないわ。でも、皇子様が火宮に向かうのでしたら、安心ですね。御武運をお祈りいたしておりますわ」


 水の姫は、すっと身を引き頭を下げた。

 その横を平然と通りすぎる陽輝様と、いつまでも袖を離してくれない聡司。


 背を曲げて小さくなっている聡司の耳元に、唇を寄せる。

「女性が誰しも怖いわけではありません。人によると思います」

 びくっとなって、耳に手のひらを当てる聡司に驚く。


「そ、そ、そ、そ、そ、そうでしょうか!? 私には、香楓の方が・・」

「なにをやっている!?」


 耳を押さえたまま真っ赤な顔でそっぽを向く聡司と、なにが起こったのかわからず首をかしげる香楓。陽輝様が、じとっと目を細めて二人を見比べた。


「香楓は、俺の横を歩け。聡司は後ろだ」


「へ? そ、そんなぁ~」

 聡司は、変な声を上げる。

「ですが、私たちは、陽輝様のお付きのようなもので、横に並ぶなど・・」

「俺が許しているのだ。見えないところで、二人でこそこそされては敵わない」


「こそこそしていたわけでは!!」


 なんとなく険悪な空気が漂ってきた。雰囲気を変えたくて、話題を絞り出す。

「陽輝様は、どちらの姫にするのですか?」

 本当は聞かない方が良かったのかもしれない。その答えを聞いてしまったら、心が痛みそうだった。


「どちら?」

「はい。年頃の姫は二人だけだったと思いますが」

 香楓と悠月も年頃だが、二人とも男として育てられているので、姫として認識されていないはず。その証拠に、嫁に来て欲しいという打診は一度も受けていなかった。まぁ、姫と認識されていたら困るのだが。

 それ以外では、土守家に、生まれて間もない姫がいるが、輿入れとなると、まだまだ先の話。五家、三家以外の祓除ふつじょ師の家系なら、たくさんの姫がいるが、力を衰えさせないためには、皇子様の妃は五家か三家から選ばれるのが通例だった。


 陽輝様のお母様は例外中の例外。五家でも三家でもない祓除ふつじょ師の家系だ。帝は政治に専念されていて、民衆思いの立派な方であるが、祓除ふつじょ師としては五家に適うかどうかという強さだったと聞く。嫁は、祓除ふつじょ師として能力の高い女性がよかったのだろう。名家ではないからこそ、外聞など気にせずに、祓除ふつじょ師として働いていた女性を妻として迎えた。

 家柄の卑しい娘を嫁にしたなどと非難もあったようだが、陽輝様の強さを思えば、その判断が正しかったと思わざるをえない。


 陽輝様はご自分が強くていらっしゃるので、奥さまに強さを求める必要はないだろう。


「そうですね。土守はまだ幼いですし。陽輝様も大変ですね。あぁ、怖い、怖い」

 聡司は、両腕を擦って身震いする。


 二人とも陽輝様の事は好いているようだったし、あとは陽輝様のお気持ち次第だと思われる。


「大変ですねって、おまえも同じだろ?」

「私は、傍系から養子をとることも考えています。陽輝様となると、そういうわけにはいきませんよね」

「さすがに養子となると、最終手段だな。でもな、俺は、姫を決めているんだ」


 聞きたくないのに、気になって仕方がない。

「どちらの姫ですか??」

 前のめりになって聞くと、陽輝様が顔をしかめた。

「今、言うわけがないだろ?」


「ここだけの話で、教えてくれてもいいじゃないですか」

 一晩で、だいぶ親しくなったのだろう。聡司が馴れ馴れしい調子で聞く。

「今は、まだ、言えない」


 「二人しかいないのに」と聡司が食い下がった。


 そのときだった。


 天を引き裂き、大地を揺るがす雷鳴が轟いた。

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