第八話 未明の鬼
「皇子様!! 鬼が出ました!!」
場所は大内裏の西の端。飛び起きたまま駆けつければ、すでに鬼が暴れていた。
近くの木の枝が折れて垂れ下がり、枝の先を地面につけている。
背が高く体格のよい鬼は、豪華な着物を身に纏っていた。美しい曲線を描いて上に延びる二本の角は、滑らかで艶がある。
白み始めた空の下、静けさの中に、低い唸り声が不気味に響く。
「呪ってやるぅ~!! 殺してやるぅぅ~!!」
腹に響くような声に恐怖を感じ、ばくばくと心臓が波打つ。
昨日の鬼と違い、語りかける前から鮮明な言葉を話す。主に一人の感情のとき。その感情が明確なら明確なほど、はっきりと話す。
「夕霧~!!」
鬼は、両手で頭を抱えるように空に吠えた。
「夕霧? 何故、ここで?」
陽輝様が、困惑の表情を浮かべる。
昨日の鬼は大津藩のもので、この鬼は花街のもの。
「先日嫁いだ、花魁ですね。彼女が微笑めば、月をも赤くなると言われたほどでした。身請けの日は、花街で大量の鬼が出て、大変でしたので覚えています」
香楓のみならず、陽輝様も聡司も覚えているはず。
花街はもともと鬼の出やすい土地だが、人気の花魁が身請けされる際には、事前に
それを祓うのに、五家や三家はもちろん、それ以外の
「私は、花魁に全てを捧げる人の気持ちはわかりません」
聡司は生気の抜けた表情で、ぼそっと呟いた。彼がますます、女嫌いになってしまいそうだ。
「鎮まり給へ 鎮まり給へ」
鬼は香楓たちに反応せず、呼び掛けに応じる気配はない。
「俺の、女~!!」
目を凝らして辺りを見回す。夕霧を探しているのだろうか。
こちらには、なんの関心もないようで、開けている方向へ歩いていこうとする。
「鎮まり給へ 鎮まり給へ」
三人の術句が重なり、淡い光が差して、鬼をその場に縫い止めた。
「俺と一緒になるって約束しただろ!? どれだけ、金を使ったと思っているんだ!? 俺から逃げるなら、死ねぇ~!!」
一気に捲し立てると、淡い光から逃れようともがき始めた。
香楓が一歩踏み出し、両手で印を結ぶ。
「
天まで焼きつくすような怒りを 鎮め給へ
海より深く悲しみに沈む御心を 癒し給へ
ここに、御魂の声、聞く者あり
鎮まり給へ 癒し給へ」
「邪魔だ~!!」
頭をかきむしるようにして絶叫すると、その場で暴れ始めた。いつ光の檻を壊してもおかしくない。
「香楓、危ない!!」
陽輝様に腕を捕まれて、後ろに引かれる。陽輝様は、香楓を隠すように前に出た。腰に差した刀を抜き放つ。
ようやく上ってきた朝日を映し、煌めく刀身が美しい。陽輝様のもつ刀は、祓いのための
香楓は、その美しさに目を奪われた。
「うわぁあああ!!!」
鬼は叫び声をあげ、纏わりついた淡い光を振り払い始めた。
このままでは、また暴れ始める。
陽輝様が一歩引いたので、肩の辺りが香楓の顔に当たる。広い背中に隠されて、鬼の姿が見えなくなった。
臣下である香楓が、陽輝様の盾とならなければいけないのに、隠されて守られるのは、心外だ。
「陽輝様。危ないので、私どもにお任せください」
香楓は陽輝様より前に出た。
「おい、馬鹿!! こいつには話が通じない!! 俺に任せておけ!!」
悲しみであれば、話を聞くことで祓えることがある。怒りでも、鬼が正しく怒っている場合は、筋を通すことで怒りを鎮めて祓うことができる。しかし、今回に限っては、完全に逆恨みだ。
花街が色を売る場所だから悪いと言われたら元も子もないのだが、花街としては決まりを守り花魁を身請けさせた。
夕霧の身請けも、問題のないものだった。
一番金払いのよい大旦那のところに身請けされたが、大旦那の彼女を思う気持ちは本物で、大切にされ、幸せそうに妻としての勤めを果たしているらしい。
聡司も、印を結んで舞うように前に出た。
視線で合図し、息を合わせる。二人の声が、ぴったり重なった。
「
我、天の明神様の代理なり
天まで焼きつくすような怒りを 鎮め給へ
さもなくば、天の怒りに触れるであろう
天の明神様のお力をお借りして、御魂を祓う
鎮め給へ 鎮め給へ」
それに合わせて、陽輝様の落ち着いた声が響いた。
「
我が名は、天明陽輝 天の明神様の代理なり
天まで焼きつくすような怒りを 鎮め給へ
さもなくば、天の怒りに触れるであろう
天の明神様の御力をお借りして、御魂を祓う
鎮め給へ 鎮め給へ」
陽輝様が刀を天に掲げ宙を切るように振ると、明るい光が鬼目掛けてまっすぐに進む。
踠くように暴れた鬼は、その光に包まれて塵となって消えていった。
「陽輝様、ご無事ですか?」
香楓と聡司が駆け寄ると、陽輝様は朗らかに笑った。
「鬼に近づいてもいないんだ。大丈夫だよ」
「しかし、刀を抜くほどの鬼だったのですか?」
香楓にはそれほど恐ろしい鬼には見えなかったのだ。
「いや、たまにはいいだろ。術も使わねば、腕が鈍る」
話を聞くことで気持ちが鎮まり、祓えるのが一番だろう。負の感情を抱いた者の気持ちも浄化されるはずだ。大津の鬼のように助けを求めていれば、手を貸すこともできる。
しかし、理不尽なことで怒っていたり、怒りで我を忘れてしまっている場合は話を聞くことなどできない。
そのときには、神様の御力で押さえつけて祓うしかない。
御力を借りる神様については、
三者とも同じ神様に呼び掛け、陽輝様の
香楓は、性別を偽っている以上、本来の力が発揮できない。それでも父に匹敵するくらい、そして、次期当主と偽るのに遜色ない
陽輝様に顔を覗き込まれて、潜考から戻る。
「よし、今回は、泣いていないな」
今回のように神様の御力をお借りして、捩じ伏せるように祓う場合は、鬼の感情に同調することがないので、精神的に不安定になることはないのだが。
どこまでもお優しい人。
この方をしっかりとお支えしなくてはならない。
「何故ここで、花街の鬼が出たのでしょう?」
聡司が、鬼が暴れていた場所に近づく。大内裏を囲む塀の際に植えられていた木が、折れてしまっている。この木は、桜だろうか。その根本には、未だに黒い靄が漂っている。
香楓も近づくと、陽輝様も一緒に歩を進めた。術句を紡ぎながら覗き込めば、真っ黒く変色した木片が塵となり消えていった。
『呪い給へ 怒り給へ 嘆き給へ』
書かれた文字だけが、頭の中に残った。
「昨日のものとは、筆跡が違うようです」
昨日のものは荒々しかったが、今日の木片は丁寧で読みやすい文字で書かれていた。
「形も大きさも、違いますね」
「こんなことをしている者が、二人以上いるということか」
こんなおぞましい
「こうしていても仕方がない。顔だけでも洗い清めて、朝拝をしたら、飯にしよう」
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