第七話 湯浴みは一人で2
通された部屋は広く、立派な庭園に面していた。玉砂利が敷き詰められた先には池があり、静かな湖面に月が映っていた。
「見事だな」
「魅入ってしまいますね」
案内してくれた者に近くで見てもいいと言ってもらえたので、庭に面した廊下に出て端に座る。
赤や黄色に染まった木々が、常磐木の中で美しく映えている。鬼のことなど忘れてしまいそうなほど美しい。
池の上を渡ってきた風が、少し冷たく身体を縮こめた。
「あそこらへんの赤いのは、楓だろうか?」
「どうでしょう。楓か紅葉か。うちの楓も、ちょうどあんな色です」
庭園は素敵でどれだけでも見ていられるが、隣に座っている聡司がもぞもぞと動いているようで、どうしてもそちらが気になってしまった。
「どうしましたか?」
聡司は香楓のほうを見るが、言い淀んでいて嫌な予感しかしない。そんなに言いづらいことなら、話さなくても構わないのに。
そんな思いは、伝わらなかったようだ。聡司が「あの~」っと口を開いた。
「香楓は、あの~、その~、……好きな人はいるのか?」
やはり、ろくなことではなかった。好きな人などいるわけない。性別を偽っているので、家族以外と深い付き合いはない。
鬼が出て駆けつけたときに、同じ
「う~ん」
「いないのか?」
何故か、少し嬉しそうにする。
「好きとまでいかなくても、気になる人もいないのか?」
話したことがなくても、見た目などでいいなと思う人物ということだろうか。
嫁入り先を探すことができない香楓に、姉様たちが何度も聞いてきたので、考えたことはある。
そのときは、いないと答えたのだが、本当は、畏れ多くて御名前など出せなかっただけだ。
凛々しいお顔立ちをされた皇子様は、都で鬼が出たと聞けば駆けつけてくれる優しい御方だ。どんな娘でも一度は憧れを抱くといわれるほど整った顔立ちで、民衆にも優しいとなれば、香楓も興味を抱いた。
話したことなどないので、憧れのような気持ちである。
遠目から見たことしかないが、背が高く凛とした立ち姿は素敵だと思っていた。
誰もが抱く、憧れと同じものだと思っていたのだが……。
近くで見てしまうと、その涼やかな瞳は色気を含んでいて、どきっとしてしまうことがある。お優しいことは変わらないが、人当たりもよく親しみやすい。
女だと知られてはならないので、親しくなりすぎないようにしなければならない。だから、自分の気持ちが、憧れを越えてしまわないように、どきどきしないように、意識しないように、と気を付けていた。
「そんなに考え込むなんて、いないのか?」
勝手に納得してくれたことを、此れ幸いと頷く。本当のことを言うわけにはいかないのだから。
「では、俺と友人になってくれないだろうか? 香楓さえよければ、もっと親しくなってくれてもいいのだが、今度、うちに泊まりに来ないか?」
聡司は、身体の向きを変えて近寄ると、香楓の手を取った。優しく両手で包み込まれるが、「女は苦手」と言っていなかっただろうか。
「私は、女です」という言葉が飛び出しそうになって、喉元でなんとか押し止めた。
こんなときは、どうすればいいのか。特に女だと明かせない場合は……。頭を抱えたくなった。
「んうぅん!! 聡司様、香楓様。お茶をご用意しました。こちらにどうぞ」
助かった……。
心の中で盛大に息を吐く。丁度よく声をかけてくれた従者に感謝して、茶器の前に座った。
「大陸の大国から仕入れたものです。心が落ち着く作用がございます」
椀を顔に近づけただけで柑橘系の爽やかな香りが鼻をくすぐる。
「いい匂い」
口に含むと爽やかな香りと仄かな苦味が広がった。
「美味しい」
まったりとした空気が流れる。
「ところで、香楓。さっきの返事だが。友人になってくれないか?」
男としての友人だったら、いいのかもしれない。同世代の友人が欲しかったので、この提案に乗るのもいい気がしてきた。
「待たせたな」
頷こうとしたときだった。陽輝様が湯殿から戻っていらっしゃった。いつ鬼が出てもおかしくない状態では、夜着でくつろぐこともできない。狩衣装束に烏帽子を被った、先ほどとほとんど変わらないお姿だった。
ほんのり色付いた頬の色だけが、湯浴みを済ませたことを知らせていた。
「ほら、聡司、次にいけ」
「わ、私ですか?」
「一応、年功序列ってやつだ」
「そ、そうですね」
聡司は、従者に案内されて部屋を出ていった。
陽輝様は香楓の隣に座ると、椀を手に取る。少しむっとしているようだ。茶が飲みたかったのだろうか。
「聡司とは、どんな話をしていたのだ?」
「どんなと言われましても、友人になる、ならないの話です」
陽輝様が乗り出すように、香楓に近づく。血色のよい頬が色気を際立たせていて、心臓によくない。
「にして、香楓はなんと答えた?」
どう答えただろうか。陽輝様に見とれそうになるのを必死で現実に引き戻し、聡司との会話を振り返る。
「あっ!! 返事をし損ねました」
一度目は従者がお茶を持ってきて、二度目は陽輝様が戻っていらっしゃって、会話が中断したのだ。
「ぷっ、くっ、く。それでよいと思うぞ。くっくっく」
「しかし、返事をしないというのも、申し訳が・・・」
「次に聞かれるまで放っておけ」
そんなものだろうか。男性同士の付き合いのほうが事務的なことが多いと聞くが、それは仕事上の付き合いの話だろう。
首を傾げていると、陽輝様に軽く背中を叩かれた。
「まぁ、気にするな」
そう口では言いながら、陽輝様は香楓に触れた手を見て目を丸くしている。
まさか、体格で女だとばれてしまったのか……。
「それよりも、俺は、香楓のことが知りたい。庭を見ながら、話さないか?」
そんなにまっすぐ見つめられると、心臓がおかしいくらい鼓動し、顔が熱くなってくる。
男のはずの香楓が、皇子様に見とれて頬を染めるなんておかしい。これは、日の沈んだ庭を見ながら話したほうが良さそうだ。
返事をすると、廊下の端に座って庭のほうへ顔を向ける。
「香楓は、酒は飲むのか?」
「清めのために少々といったところです。陽輝様は?」
酒で酔っぱらって、男装がばれてはいけないので、唇を濡らす程度しか飲んだことがない。
「俺は、好きだぞ。香楓があまり飲まないのであれば、そうだなぁ~。今度、飲みやすいのを用意しておいてやろう」
友人として誘ってくれているのだろうが、皇子様の誘いでは断ることなどできない。しかし、酔っぱらって男装がばれてもいけないし、これは困った。
「酒の肴は、何がいい?」
唇を湿らせる程度しか飲んだことがないのでわからない。父は、イカを炙っていたことを思い出す。
「うちでは、イカが出ています」
「それでは、香楓の好みはわからないではないか。各種取り揃えておこう」
「あそこの鯵が旨くて、・・・・」と、陽輝様は楽しそうだ。
これは、断れないのではないだろうか……。頭を抱えそうになる。
「香楓!!」
陽輝様に手を握られて、飛び上がりそうになった。聡司といい、陽輝様といい、何故、手を握る。聡司だけではなく、陽輝様も男色の気があるのだろうか。
「あの、陽輝様」
「早く、今回の騒動は片付けて、宴会を計画しよう」
楽しそうな陽輝様を見ていたら、聡司も含めて、大騒ぎでもするのではないかと思えた。
今、断るのは、申し訳ない気がする。家に帰ってから、父に相談して、どうするか決めればいい。
「それは、楽しそうですね」
「だろ?」
「ただいま戻りました。大変いい湯でした……」
戻ってきた聡司が、繋いだ手を凝視している。
「あ、あの」
そっと、手を引こうとして、ぎゅっと握り返された。そんなことでも、心臓が跳ねる。
「香楓は湯浴みに行っておいで。俺は、聡司と話があるから」
嫌な予感しかしないのだが、従者につれられて部屋を出てきてしまった。
きれいで清潔そうな湯殿についた。三家である香楓の家の湯殿も大きいが、それよりも立派で美しい。
「ここでお待ちしております。なにかお手伝いすることがありましたら、お申し付けください」
湯殿に入って鍵をかけ、急いで服を脱いでいく。最後にきっちりと巻かれた
せっかく、思いっきり空気を吸えるのだが、のんびりしてはいられない。
身体を清め備えてあった布で拭くと、
従者につれられて部屋に戻ると、夕飯の準備ができていた。陽輝様と聡司がどんな会話をしたのか気になるところだが、二人を待たせては申し訳ないので急いで膳の前に座る。
豪華な食事なのだが、数口食べたところで箸が止まった。
陽輝様も聡司も、心配そうに香楓を見てくる。
「香楓は食べ盛りなんだから、緊張などせずに全て食べればいいのだぞ」
聡司には変な慰め方をされてしまったので、苦笑いで返しておいた。
食事が終わりに近づけば、次は寝る場所の問題だろう。
膳が片付けられると、聡司が動く。
「官の寝る部屋を貸してください。香楓には寒い思いはさせませんので」
「はぁ??」
陽輝様から冷気が漏れる。陽輝様は怒っているようで、聡司は陽輝様に対抗しているようだ。香楓が湯浴みに行っている間に、どんな話し合いがあったのだろうか。
「ここに三人分の布団を敷く。俺が真ん中だ」
「え??」
驚いている間に従者によって布団が敷かれ、その間には衝立がおかれた。
有無を言わさず真ん中の布団に陣取った陽輝様と、渋々隅の布団に横になる聡司。香楓も残った布団に横になった。
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