第四話 隠し事と召集4
「火宮はあいつらに任せて、大内裏の中を警戒しよう。いつもより陰の気が濃いんだ」
平穏に見える大内裏も、火宮家の結界が崩れたことにより、なんらかの影響が出ているのか。
陽輝様が立ち上がると、香楓に手を差し出してきた。
子供や女性に手を貸すときにする仕草だ。そんなに子供っぽく見えるのだろうか。
その手を取っていいのかどうかわからずに、中途半端に片手を上げたままで困っていると、聡司が興味深そうに覗き込んでくる。
「香楓は、手も小さいんだな」
あまり小さいことに言及されたくない。いつ女だとばれてしまうかと気が気ではない。
むっと聡司を睨み付けて、立ち上がった。
陽輝様の差し出した手を取らなかったことを、聡司に言い返すことでごまかした。
「小さい、小さいって!!」
「すまん! すまん! 馬鹿にしているわけではないんだ。ただ、可愛くて好ましいって思っているだけで」
なるべく怖く見えるように目を細めて睨み付ける。
「成長の遅いやつもいるからな。身長はこれから伸びるだろう」
微妙な慰め方をされてしまったが、身長が伸びる見込みはない。香楓はもう十八なのだ。とっくの昔に成長は止まっている。
「仲がいいのはわかったが、俺も混ぜろ」
「・・・陽輝様に聞かせるような会話では、ございませんでした」
陽輝様は目を細めて、小さく頭を下げる聡司の背中に体重をのせる。
「そういうのは、禁止だ。普通の友人とは、しょうもない会話もするものだろ?」
緊急事態のなかで呑気なことではあるが、陽輝様は楽しそうに笑い、聡司は眉を下げながらも陽輝様を受け止めた。
皇子様のお立場では、友人と呼べる同年代の近しい人はいないのかもしれない。
香楓にも、友人などいない。女であることを隠さなければならなかったから。
姉弟が多いので寂しいと思ったことはないが、実を言えば、同じ年頃の友人がいれば楽しいだろうなと思ったことはある。
陽輝様の気持ちがわかるとまでは言わないが、親しくして欲しいと思ってくれているのであれば、それを叶えるのも臣下の役目だと思う。
「そうですが……」
まだ何か言いたそうな聡司に構うことなく、陽輝様は「さて、行くぞ」と狩衣の裾を翻した。
「大内裏の大門に松の木が植わっているのだが、その辺りから陰の気がしているらしい。二人は、近くを通ったと思うが、何か気づいたか?」
大門とは、身分を確かめられる門がある場所。今日は、
しかし、陰の気の異変など気がつかなかったと思う。
「なんの異変も感じませんでした」
香楓が到着したのが一番遅いくらいなので、玻璃院の大広間に集まっている間に、陰の気が出始めたということだ。
「火宮が崩れたとはいえ、他の四家は変わらず残っているんだぞ。急に大内裏に陰の気がするとは……」
陽輝様が大きく息を吐いた。玻璃院から一歩踏み出したところで足を止める。
「皇子様!! うちに鬼が出るそうで、どういたしましょう。私、怖くて、怖くて……」
か細い声の方へ目をやれば、美しい女性が胸に手を当てて、陽輝様を見上げていた。
なよなよっと、ふらつくような仕草で、陽輝様の方へ、ふらふらっと近寄る。
真っ赤な着物に長い黒髪を腰まで伸ばした、目を見張るほどに美しい女性。目鼻立ちがはっきりとしていて、猫のように丸い瞳は、一見すると勝ち気にも見える。
その真っ黒い瞳を潤ませて、陽輝様に助けを求めていた。
香楓は、その姿に見入っていた。
真っ赤な着物は、火宮家の姫の証。五家の姫が一人で行動しているはずもなく、従者を3人も従えている。
とても姫らしい華やかな着物に、従者が差し掛けている傘も美しく上等。仕草も柔らかく、鬼への恐怖で細い肩を震わせている。
姫とはこういう女性のことを言うのだと、じっと見つめてしまった。
狩衣装束で男のように駆け回る自分と比べてしまい、落ち込みそうになる。一度でいいから、きれいな着物を着てみたかった。しかし、それは叶えられない願いなのだ。
家族のために自ら進んでやっているのだと何度も言い聞かせ、気持ちが沈みそうになるのを留めた。
「そちの父が、対処しているだろう」
優しげな口調ではあるが、なよなよっと近づく火宮家の姫から、一歩身を引く。
「ですが、私、皇子様に守っていただきとうございます。恐ろしい鬼など、私には、どうにもできません。誰かが近くにいてくださらないと、怖くて、怖くて……」
こんな美しい人に、こんな風に頼られたら、香楓が男であったら支えてあげたくなってしまう。いや、男でなくても支えてあげたくなってしまうな、などと考えていたら、姫が香楓の方を向いた。
狩衣を確認し、その後で視線があう。
ちょうど目の高さは、同じくらい。自分が着物を着たら、などと考えて、じっと見つめ返してしまった。
「ふっ」
馬鹿にするように鼻で笑った後、じろじろと不躾な視線を聡司に送る。
「私、怖いわ……」
聡司を見上げた。
ざざっと音を立てて、二歩、いや、三歩は下がっただろうか。聡司は、火の姫から距離を置く。
「そちの近くには、いつも人がいるだろう」
口を一文字に結んで怖い顔をする聡司に変わって、陽輝様が諭すような声を出す。
「違うのです。この者達は、術は使えないのです。鬼が出たらと思ったら、皇子様のような強くて、素敵なお方に守っていただけたら…………、私……、私……」
潤んだ瞳で陽輝様を見上げて、頬を赤らめる。
「そちの家には、立派な術者がたくさんいるだろう。そんなに怖ければ、家に帰っていればよかろう」
興味がなさそうな陽輝様に、火の姫は頬を膨らませる。
「それでは、意味がないじゃない!!」
さっきまで震えていたと思ったのに、大きな目を怒らせて、陽輝様を睨み付けていた。
守ってあげなければと思っていただけに、姫の豹変ぶりに、香楓は愕然としてしまった。
「ふん!」と陽輝様から視線を逸らすと、聡司に真っ黒くて大きな瞳を向けた。
「今日は特別だから、あなたに守らせてあげてもいいわよ」
顎をつんと上げて、ずいっと身体を近づける。
聡司は、さらに一歩後ろに下がった。
「すみません。陽輝様の護衛中ですので……」
語尾が聞き取れないくらい早口で、少しも悩むことなく断った。
「なによ!! あなた、陽輝様って親しげに呼んで!!」
地面を強く踏みしめる。
「お前には、名前で呼ぶ許可をした覚えは、ないのだがな。陰の気が不安定だ。今は、それを見に行くところだ。怖ければ、家に籠っていればよかろう」
真っ赤になって地団駄を踏む火の姫を残して、陽輝様は問題の場所に向かってしまった。香楓達も、それに付き従う。
あれだけ鬼を怖がっていれば、陰の気がするところについてくるはずがない。火の姫は、悔しそうにしていた。
香楓は男として育てられたから、
火宮家は五家の家柄。その家の姫が、鬼をそこまで怖がることが不思議だった。
「すまないな。あいつは、玻璃院に奉公に来ていてな」
香楓の姉達も大内裏に奉公へ通っていた。
輿入れ先を探すのが主な目的だ。姉達は、奉公が思っていたより楽しかったらしく、生き生きと大内裏に通っていたが、そう長い期間働く前に、見初められて輿入れが決まっていた。上の姉は、すでに輿入れし、すぐ上の姉も輿入れの準備で奉公をやめたところだ。
「俺は、あいつを嫁にするつもりなどない。聡司、どうだ? 火宮との繋がりができるぞ」
そういわれたときの聡司の顔は、生気が抜け、眼が虚ろになっていた。陽輝様が、ばしばしと音が聞こえるほど肩を叩き、「冗談だ」と笑う。
「私は、女は苦手です。あの、媚びるように、ぐいぐい来るところが、どうにも苦手なんです」
なんとかこの世に戻ってきた聡司が、眉間に皺を寄せる。
あれは、媚びてぐいぐい来ていたのかと驚いた。香楓は、女であるのに、気がつかなかったのだ。
「そんなことを言って、聡司は雷門家の跡取りだろ?」
「そうなんですが。何度か嫁入りしたいとの話をもらいまして、会うだけは会ってみたんですが、その度に、背筋がぞわぞわして、無理だったんです。最近では、そういった話は全て断っています」
三家の一つである雷門家であれば、魅力的な輿入れ先だ。家柄がいいのは勿論のこと、聡司も整った顔立ちで真面目そうなので、輿入れの申し込みが殺到してもおかしくはない。
それをすべて断っているなんてと驚いて聡司を窺えば、火宮の姫の話題で鳥肌でも立ってしまったのだろうか。しきりに腕を擦っている。
香楓には、やたらと話しかけるのに……と考えて、ふと思った。香楓のことは男だと思っているから大丈夫なんだと。
『可愛い』などと言っていたが、女だと疑っていたわけではないのだろう。この様子では、男だと思い、安心して話しかけていた可能性さえある。
「それでは、雷門はどうするのだ?」
陽輝様の言葉に、現実に引き戻された。
聡司が長男。家を継ぐことはできるが、跡取りなどの問題が出てくる。
「うちには弟がいるので、問題はないはずです」
「弟とは、まだ小さいのか?」
「香楓と同じくらいでしょうか。あいつにまで、輿入れの話が来ているんですが、あいつはまだ修行中の身ですから。香楓も、嫁探しは、まだか?」
「えっ!! いや、その……」
いきなり話を振られて口ごもってしまったが、実は香楓のところにも輿入れの申し入れは来ている。女の香楓に輿入れするなどできないので、父がすべて断ってくれている。
それよりも、本当であれば、火宮の姫のように大内裏で奉公していてもおかしくない歳なのだ。
「なに? 香楓には、決めた相手がいるのか?」
口ごもっただけなのに、飛躍しすぎだ。掴みかからんばかりの様子に慌てて否定する。
「いえ。まだ未熟者ですので、父が断ってくれています」
ほっと息をついた聡司は、「それがいい」と大きく頷く。
「今朝の
そのときだった。
鼓膜が破れるのではないかと思うような轟音が鳴り響き、空気が震える。
「急ぐぞ!!」
陽輝様が走り出す。慌ててそれに続いた。
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