第三話 隠し事と召集3

「面を上げよ」

 若々しい声が響き、大広間に集まったすべての者が頭を上げる。


 高座たかくらには、皇子様の御姿があった。


 光沢のある白い狩衣を着ている。五色ごしきの組紐が袖を縁取っていて、その御姿だけで、五家の上に立っていることを示していた。その下には、光代家を含む三家、さらに数多の祓除ふつじょ師の家が続いている。

 狩衣と烏帽子は、祓除ふつじょ師の正装でもあり仕事着でもある。皇子様もお力を貸してくださるのだろう。


 跋扈ばっこする鬼を祓い、国としたのが帝の御先祖様。そのご子息であられる皇子様も、祓除ふつじょの力をもっている。

 皇子様が元服し、稀に見る強い力の持ち主だとわかったころから、帝は政治に専念し、祓除ふつじょに関することは皇子様に一任していた。

 都で鬼が出ると御力を振るってくださるが、皇子様が本気を出したことなど、見たことない。


 香楓かえでを含めた祓除ふつじょ師の、尊敬を一身に集めているお方だ。


 その麗しい御姿は、一目見れば忘れることなどできない。艶のある黒髪を結い上げて、烏帽子を被っている。口を引き結んだ面立ちは凛々しく、男でも惚れると父が語っていた。

 香楓は、こんなに近くで御尊顔を拝めたのは初めてだ。家族に自慢しようなどと、どうでもいいことを考えていた。

 あまりに神々しすぎて、実感がなかったのだ。


 集まった面々を見回していた皇子様は、ぴたっと香楓のところで視線を止める。

 しばらく目が合ったまま、ふっと口角を上げたような気がした。


 後ろの武官が、鼻を鳴らす。それにつられた者が、喉の奥の方で笑う。


 この状況では、話すことも動くことも不敬に当たる。馬鹿にしたような笑いは、香楓がギリギリ聞き取れる程度の大きさだった。

 しかし、右隣にいる雷門家の青年には聞こえてしまったらしい。膝の上で、強く拳を握っている。


 香楓の代わりに怒ってくれたようで嬉しいが、この場は押さえてほしい。香楓のために、皇子様の前で不敬を犯す必要はないのだから。


「単刀直入に話そう。火宮が祀っていた神宿かみやどりし岩に異変があった。陰の気が吹き出している。このままでは、鬼が解き放たれてもおかしくはない」


 五家はそれぞれ一つづつ、神宿かみやどりし岩を守っている。神宿かみやどりし岩には、祓うことができないほどの巨大で恐るべき力を持った鬼神が封じられ、祀られている。その鬼神の御力をお借りして、都を守っているのだ。


 それだけ、恐ろしい鬼神が解き放たれようとしている。


 香楓にとっては、はじめての出来事だった。


いにしえの記録も探させたが、前代未聞だ」

 皇子様の言葉に、ざわっと空気が動く。


 香楓どころか、誰もがはじめての出来事だった。それでは、知っているはずがないと納得する。


「四家の面々と風見は、火宮の補助に回ってくれ。指揮は、風見家当主に任せた」


 集まった四家は、どこの家も当主ではない。実力的には二番手か三番手といったところだと思うが、それならば風見家当主が一番力を持っていそうだ。経験から見ても、妥当な人選。呼ばれた者達も首肯した。


「武官と文官は、人手が必要なところをこちらに示した。割り振りは任せる」


 皇子様の近くに控えていた従者が紙を受け取り、武官の長と思われる人物に渡す。


「それでは、行ってくれ」

「はっ!!」


 畳と衣が擦れる音があちらこちらでして、それぞれの持ち場へ移動していく。

「とにかく行こう。状況を確認しなければ、わからない。作戦などは、着いてからだ」

 風見家当主の指示で、四家の面々は大広間を出ていく。


「ふはは! ひよっこは、必要ないってか」


 先ほど言い返してきた雷門家の青年と小柄すぎる香楓に、指示がなかったことを面白がり、馬鹿にしたように見くだす。

 武官や文官が移動しはじめているにも関わらず、香楓と雷門家の青年の間に仁王立ちして見おろしていた。


「お前ら、使えないってさ。帰れ、帰れ」


 口角を嫌らしくつり上げて、馬鹿にした笑い声を上げる。

 

 雷門家の青年は、白くなるほど強く拳を握っていた。

 香楓は、女だとばれないことが一番だ。顔を背けて、反応を示さないように息を止めていた。


「帰ってもらったら、困るんだがな」


 凛とした声が、高座たかくらの方向から届く。


「ひっ!! 皇子様!!」


 立ち上がってこちらに向かってくる皇子様に、武官の男はさっきまでの威勢が嘘だったのではないかと思うくらい、縮み上がっていた。


「仕事がないから、二人の名前を呼ばなかったわけではない。二人には、この場に残ってもらいたかったんでね。ところでお前は? 武官は、もう、出ていったようだが」


「ひぃ~!! 失礼します!!」


 転がるように出ていった武官の後ろ姿を見つめて、「彼の名前を調べておけ」と従者に命じていた。


「君たちに頼みたいのは、俺の補佐と護衛だよ」


 香楓達の前にどかっと座った皇子様が、あまりに気軽な様子で話すので、香楓はつい首を傾げてしまった。

 不敬な態度だったと思い、慌てて姿勢を正す。


 皇子様は護衛と言ったが、物理的な攻撃から守ることはできない。実際、大広間には、皇子様の従者と護衛が周りを取り囲んでいる。

 共に鬼を祓って欲しいと言われたのだと理解した。


「慎んでお受けいたします」

 なるべく低い声で答えた。

 頭を下げた香楓に、皇子様は眉を寄せる。

「固いな~。もうちょっと、親しくしてくれればいいのに。俺は、天明てんめい陽輝はるき。陽輝でいいよ」


 そんな馴れ馴れしく呼べるはずがない。目を見開いていると、雷門家の青年が口を開いた。


「畏れ多いことです」


 皇子様の言葉は、香楓達にとっては命令にも等しい。無下に否定することもできない。


「集められた祓除ふつじょ師の中では、君たち二人が飛び抜けて力が強いだろ。異常事態だから、俺の周りは強き者で固めておけと、あいつらがうるさくてな」


 皇子様は視線で、従者や護衛を示した。大広間に集められていた者達とは違う、鋭い気配を放っていた。皇子様の御身を普段から守っている護衛だろう。

 こんなに誰とでも友好的なお方だとは知らなかったが、これでは周りの人々は心配なのかもしれない。


「俺は、自分のつとめを果たそうと思うのだが、複数人での祓除ふつじょには連携が大切だろ? 何でも言えるくらいの関係でないと、背中は預けられない。俺からの命令だ。畏まった態度をとるなよ。何でも好きに発言しろ」


 香楓は困惑して、雷門家の青年の顔を見る。同じく、困惑の表情を浮かべていた。


「まずは、足を崩す。んで、俺の名前を呼べ」


 有無を言わさぬ、命令だった。


 香楓と雷門家の青年は顔を見合わせて、恐る恐る口を開く。


「陽輝様」

「陽輝様」


「何で、俺の方を見て呼ばないんだ!!」

 腰を浮かして雷門家の青年に体当たりをした。体制を崩して顔色を変える彼を笑っている。


「俺は、お前達二人を信頼できると思って、言っているんだ。そんな俺の信頼を裏切る気か?」


 都で鬼が出たと聞けば駆けつけてくださるので、言葉を交わしたことはなくとも、御姿を見た回数は数えきれない。香楓は、父の後ろに隠れていただけなのに、見ていてくださったのだろうか。

 それに、弱い鬼でも駆けつけてくださるので、民衆思いの立派な方だと思っている。そんな立派な方にそこまで言われたら、強硬な態度は逆に失礼になりそうだ。


 香楓は、腹を括った。

「わかりました」

 陽輝様の顔を、真っ直ぐに見る。

「よし。俺の名前は?」

「陽輝様です」


「お前は? こいつさえいれば、いいけど・・」

「わぁ、お待ちください。私もわかりました」

 香楓さえいればいいと明言し、雷門家の青年を追い払うように手を動かす。

 こんな風に言われれば、彼だって了承せざるをえない。


「よし。じゃあ、お前の名前は?」

 促されて、雷門家の青年が名乗る。

「雷門聡司さとしです」

「お前は?」

「光代香楓です」

「聡司と香楓だな。友人として振る舞ってくれ」

 爽やかに笑う陽輝様が眩しい。陽輝様に見惚れてはいけないと視線を逸らすと、聡司の興味津々といった表情が目に入る。


「香楓か。可愛らしい名前だな」

 聡司の呟きに、香楓は心臓が飛び出すかと思った。


 女だと気づかれたのではないか。


 男と偽るため、音を聞いただけではどちらとも断定できない名前にしたらしい。漢字だけは女性らしくしてくれたのだが、『楓』と書くこともある。


「そんなことはないかと」


「そうか? 男でもいるが、女でもおかしくないだろ? 可愛らしい、素敵な名前だな」


 陽輝様が友人として振る舞えと言っていたが、ざっくばらんに話しすぎだ。その陽輝様に女だとばれては不味いのだから。


「私が産まれたときに、庭の楓が芽を出したそうで、香楓という名前をいただきました」


 元から用意してあった言い訳だ。実際は、香楓が産まれて名付けられた後で、庭の楓は植えられた。


 妹の悠月ゆづきだって同じ。月の綺麗な夜に産まれたから。弟の維希いぶきは、春の息吹きが感じられる頃の生まれだから。香楓と悠月が中性的な名前なのに、維希だけ男らしくしては、違和感があるという理由で男とも女ともとれる名前になった。


 妹と弟のことを考えていたら、庭に植えられた楓が赤く色づき始めているのを思い出す。


「いい名前だな」


 穏やかに笑う聡司を見ていると、どうも女だと追及したくて言っているわけではなさそうだ。


「ありがとうございます。お二人も素敵なお名前ですね」


 褒められたのでなんとなく褒め返すと、聡司は照れたように頬を赤らめ、陽輝様は目を丸くして香楓を見返してきた。

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