「その女の子、友達?」


 階段からこっちを見上げるや否や、涼の実の姉である美久は不思議そうな顔で涼の後ろにいるのだろう、「それ」を指差す。


「おい、汝。今、儂を指差したか?」


 それを不快と思ったか、涼の後ろにいる「それ」の声には、先ほどよりも色濃く不快な感情があるように感じ取れた。

 ——このままでは、殺されてしまう。なぜか漠然と、そう思う。なんの確信だってないし、そもそもあれが何なのかもわからない。でも、思う。今間違えれば、待つのは死のみだと。 何かアクションを起こさなければ、死ぬのだと。

 しかし、先程まで逃げようとしていた足は再度竦みだし、何か言葉を発そうにも喉は凍り付いたかのように機能しない。情けないことに、涼は恐怖に染まり、涙を流すことすら許されないのではないかと、ただ恐怖と生への渇望を一心に、噛み締めることしかできなかった。


 しばし、沈黙が訪れる。いつもは気にも留めない蝉の鳴き声すら、今は「それ」の機嫌を損ねる材料になりそうで、心の中、必死に泣き止むよう、祈る。

 長かった蝉の一鳴き。それが幕を下ろし、そこには完全な静寂が訪れる。呼吸一つが死のきっかけになりそうで、涼は震える呼吸に細心の注意を払う。

 この静寂が続けば、もしかしたら「それ」が消えてなくなるんじゃないか。なんて、根拠のない淡い期待も抱き始めていた——時だった。


「——ねぇ、あなた、涼になんかした?」


 ——そんな地獄のような沈黙を、美久が突き破ったのは。

 昔から、空気の読めないところがある姉だった。でも家族思いで、僕が困っているときには颯爽と助けに駆けつける、そんな姉。そんな姉が、涼は好きだった。

 どこか一風周りと違った姉は、学校でも少し孤立気味だったりしたらしい。それでも学校に足繁アシシゲく通う姉の姿を、涼は一度だけ惨めに思ってしまったことがある。

 それは人間としても弟としても最低な行為であったと、考えてすぐ自分に嫌気がさしたし、今に至るまでずっと後悔している。

 その後悔を墓まで持っていくか、はたまた面と向かって謝るか。そのどちらが正しいのかは、わからなかった。

 でも今このとき、思う。

 このことを謝れなかったことをきっと、涼は死んでも後悔するだろう、と——。


***


「おーいおいおい、何やってる」


 「げ」と、思わず素直な反応がこぼれ出る。階段から登ってきた男と顔を合わせるや否や、そんな反応をされた男は「げ、とはなんだげとは」と、この儂に堂々と苦言を呈す。


「全くお主は恐れ知らずのものよな。最も、儂じゃ貴様に勝てぬが」


「なんで恐れ知らずだねーって話から勝つ勝たないの話になるかな、僕には理解し難いよぉ。ね、カミサマさん」


 儂の正面に立つ男。その男の外見は平均的な身長に平均的な体型、強いて変わったところを上げるなら、小綺麗なスラックスにはとても似合わない、ダボっとしたパーカーを着ているところだろうか。


「全くどうして、お主の格好は何度見ても不愉快じゃ。殺したい」


「だからぁ、話が急に飛躍しすぎて怖いんだって、チビガミさんは」


「チビガミさん、などと云う呼び方はよせ。大層不愉快じゃ、本当に殺してやりたくて仕方ない」


「おー怖い怖い。ま、殺せるものなら殺して欲しいものだけれどもねぇ」


 そんなことを平然と言い放ち、頭をかきながら「たはは」と笑う男。なんじゃこいつ、気持ち悪い。

 気持ち悪いといえばそう、先刻この男が「カミサマさん」と呼んだ、この男の隣に立つ長身の女もそう。出会って間もないが、こいつが喋ってるところは見たことがないし、何より全く生気を感じられない。本当にただ、そこにいるだけの女。


「さてと」


 そんな物思いに耽っていた、その時だった。先程までの飄々とした男の雰囲気はどこへやら、一気にこの場が死地になったのではないか、と思うような雰囲気に呑まれる。


「この子達、何?」


 笑顔の消えた、殺伐とした顔を見せそう言い、足元を指差す男。そこにはついさっき、儂が癇癪を起こして首を飛ばした子供の胴体が二つ転がっている。


「あー、それはだな。そう、自殺した——」


 なんて曖昧で、適当な返事でお茶を濁そうとした時。空気が凍る。


「あんまり調子に乗りなさんな、チビガミさん。——斬っちまうぞ」


 階段に立っていたはずの男と女、気づけば其奴らは儂の左右に立っており、儂の首を挟むようにして、どこからか抜いたかも分からぬ男の剣と女の剣が儂に突き立てられる。

 それを受け、儂は腕を組み、「痛いのは、勘弁なんじゃがの」と言い放つ。


「じゃあ何があったか話してよ、楽になるよ」


「元はと言えば、お主のせいじゃろうに」


「——うだうだと。早くしろよ」


 瞬間、女の剣が素早く儂の首に刺さり、そのまま貫通する。


「かっ」


 唐突に受けた衝撃、意図せずミジカな吐息のようなか細い声が漏れ出る。


「あーカミサマさん、今のはカミサマさんへの祈りじゃないよ。刺しちゃダメ」


 まるで動物でも躾けるかのように、男は女にそう告げる。すると女は儂の首から剣を抜き、滴る血はそのままに、剣をどこかに放り投げ、世界から剣と共に薄れ、消えゆく。


「あらら、拗ねちゃったかな。女の子って難しいねぇ」


 先程までの鬼気迫る感じはどこへやら、男は剣を、文字通りまるで空中にある鞘にしまうかのように、丁寧に虚無へしまう。剣先からゆっくりとツカに至るまで。何度見ても、こればっかりは男が何をしているのかさっぱりわからない。

 次第に、元の調子に戻った男は、またも情けなく頭を掻く。


「さて、僕も暇じゃないんだ。お遊びはここまでにして、あの子達についてお聞かせ願えるかな?」


 自分で、とも違うが、女に儂の喉を潰させておいて、なんとも酷なものだ。これでは喋りたくとも喋れぬでないか。

 喋れないことを男に伝えようと、穴の空いた喉を酷使し、なんとか言葉を発そうとしてみる。が、全然うまくいかない。痺れを切らした儂は仕方がないと、その辺にいた蝉を捕まえ、握りつぶし、喉の傷へと押し当てる。するとみるみる傷がくっつき、すっかり元通りになる。


「あー、あー、うむ。問題ない」


 綺麗に修繕された喉の使い心地を確認し、問題ないことを確認。間抜けなことに男は「そっか、カミサマさんが喉刺してたから喋れなかったのか。ごめんごめん」と、ついさっきのことすら忘れていた様子。全く、やることなすこと全てが癪にさわる。


「で、あの童子ドウジ共じゃろ? あやつらはここに迷い込んできた。あらかたお主が、門を開けたまま行ったせいじゃろうがな。で、まぁ、儂が来るや否やぶるぶると震えるワッパに恐れ知らずの女が癪に触っての。つい、出来心というやつじゃ」


 軽く全体の流れを説明してやると、男は少し考えた後、口を開く。


「事情は大体わかったよ。確かに、門を閉め忘れたのは僕の問題だねぇ。でも、だからと言って、この子らを殺していい理由にはならないよね」


「確かに、童子らを殺した儂も悪かったが、門を開けっぱにしていたお前も悪かった。それ、ここは互いに落ち度があった、ということで話をつけようではないか?」


「もし仮にそれで僕らが良くても、この子達にとっては良くないよねぇ」


 刹那、今の今まで隣に立っていた男が、消える。気がつけば男は階段に腰掛け、首と泣き別れした童の胴体を撫でている。


「おいおい、この子の首、こんなに怯えたまま切ったのかい。悪趣味だなぁ、かわいそうだよ、全く」


「別に趣味でやったわけではないわ」


 まるで儂が、ブルブルと怯えるしか脳の無い童子を殺すのが好き、みたいな物言いをされて、儂は思わず反論してしまう。 そんな不快な雑談の中、男は「さてと」と言いながら腰をあげる。


「余計な話が多かったね、そろそろ本題に入ろう。——この子ら、治せる?」


 首なき童子たち。儂の攻撃の手腕は見事なものじゃから当然、童子らは即死している。死した者の復活など、どの生物にも不可能。——ただ一人、儂を除いて。


「うむ、治せるじゃろうが……不愉快なことにお生憎、今の儂の力は弱い。何か贄がいる」


「さすがぁ、チビガミさんは生物として、僕らとは一線を画しているねー。で、贄って具体的にどんなのだい?」


「童子二人となると、高位の神が必要となるんじゃが……。そうじゃ、お前の連れとる『カミサマさん』とやらを使えば、それこそ簡単にことが進むぞ。どうじゃ?」


「またまたぁ、カミサマさんはそんなすごい神様じゃないでしょ……って痛い! どこからかぶたれてる!ごめん!やめて!」


 あわよくばあの女を使い、力を取り戻し童子らを甦らすことなどせずに男も始末してやろうと考えたが、失策であった。此奴らにこうも遊ばれては話も進まない。

 儂は男に「おい」と呼びかけ話を聞かせる。


「うだうだとやるな、不愉快じゃ」


「ごめんって、でも、チビガミさんがあんなこと言うからいけないんじゃん……」


「くどい。儂は早く話を終わらせて、お主を帰らせたいんじゃ。同じ空間にいると言うだけで死にたくなるし殺したくなる」


「ひどいねぇ、チビガミさんは」


 演技たらしく、男は「おんおん」と泣き真似をする。大変不愉快じゃが、いちいち咎めてると話が進まないから、ここはグッと堪えることにする。


「この童子たちじゃが、高位の神を使えば二人同時に甦ると言うだけで、何も同時に甦らす必要性はない」


「じゃあなにさ、一人ずつってこと?」


「そうじゃ。ま、一人ずつでもある程度の神の力はいるがの。まぁその辺は、お主らでチョチョイと神を奪ってきて貰えば……」


 ようやく話にまとまりが見えて来て、あと少しで話が終わりそうな、その時——。


「あーそうだ、言っとくけど、神を奪るのに僕は協力しないからね」


 ——男は、衝撃的な一言を言い放つ。


「はぁ?」


「だから、僕もカミサマさんも、神を奪るのには協力しないよって」


「な、な、なんじゃと?じゃあ、儂一人に神を奪りにいけと?今の儂に?」


 そう、何を隠そう最盛期ならともかく、今の儂は色々あって、力をほぼ全て失っている。無論、その辺の神の数倍は弱いじゃろう。


「そうだよ。でも、無理とは言わせない。子供たちは復活させてもらうし、無理だと言うならチビガミさんには報いを受けてもらはなきゃいけない」


「滅多なことを言うな……!少しおふざけが過ぎる、仮に儂一人で行ったとて、すぐに神に殺されて終わりじゃろう!?」


「なぁに、僕とカミサマさんが手伝わないってだけで、他にやりようはあるよ?」


 訳のわからないことをつらつらと述べ、男は儂を指差す。


「チビガミさん、今の君でも一応神ではある。そうだろう?」


「ま、まぁそうじゃが……」


「なら簡単さ。——君を、使えばいい」


「——は?」


 訳が、わからない。いや、言っていることは理解できる。だが、脳がそれの理解を拒む。


「儂が、儂を使って、童子らのどちらかを甦らせろと?」


「そうそう、物分かりがいいねぇ、チビガミさん」


「もし仮に、仮に童子らのどちらかを甦らせたとて、そのあとどうなるんじゃ!」


 そう、この話はつまり、神である儂を使って童子を甦らせよという話。じゃが、もし仮にそうしたとて、もう片方の童子は甦らん。それに、儂がそれにより今以上に力を失えば、もう片方の童子を甦らすのは不可能に近いじゃろう。

 こやつ、そんなことすらわからんのか。


「別に、チビガミさんを溶かしてまで使えとは言ってないだろ?——契約さ」


 そんな儂の内心を見透かしたかのように、男は次々と言葉を羅列し、ようやく言わんとしていることの本筋に理解が達する。


「契、約……」


「そう、契約。ぼくとカミサマさんがしてるみたいに、チビガミさんもどっちかの子と契約すればいい。一人甦らせた後に契約を結べば、チビガミさんの負担も軽減される。それで高位の神様を奪ってきて、二人を本格的に蘇生してやれば完璧だ」


 穴のない作戦だと、自信満々に言ってはいるが、子供一人甦らすのも簡単な話ではない。契約を結んだとて、今の儂では一人甦らせた後、一週間ほどは眠ってしまうだろう。


「どう、わかった?」


 こっちが必死に頭を回してる中、能天気に話しかけてくる男。きっと、ここで駄々をこねても、もうこの結論から逃れることはできないだろう。

 仕方なく、ここは儂が折れる。


「はぁ……。わかった、それで手を打とう。じゃが、甦らすのは童じゃ」


「そこは別にどっちでもいいよ。てか何、チビガミさん男の子が好きなの?」


「アホ。単純に男の方が身体能力が高いじゃろ」


 またも不愉快な評価を受け、儂は童子らを殺したことを心から後悔。殺した時はこんな面倒になるとは思ってもみなかった。最悪じゃ。


「まぁ、よし、話がまとまったね。じゃ、早速男の子を蘇らせてもらおうか」


「ふん」


 あの男の言われるがままに動くのは癪だが、他に方法がない。儂は嫌々童を蘇らす準備を始める。


「おい、ぼーっとしてないで童の首と胴体を儂の前に運べ」


 儂は神社の腐った木の階段に腰掛け、気を高めるべく集中する。

 「ほいほいー」と言いながら童の死体を運び込む男のせいで集中できない。死ね。


「神の御業、見るの二回目だなぁ」


 準備が整い、本格的に集中して童を甦らそうとしてる中、男はぼんやりそんなことを呟く。今は瞼を開けられないが、きっと大層間抜けな面をしていることだろう。


「———。————。」


 そんなどうでもいいことを考えるのをやめ、意識を蘇生に集中させる。次第に頭がくらくらし、目眩が起き始めるが、気にしない。

 そうして、10分くらい経った頃。

 目を閉じていてもわかるほどの光が、目の前に落ちる。


「流石、やっぱりチビガミさんは凄い神さんだ」


 男が労いとも嘲弄とも取れるように、笑いながらそんな言葉を発す。

 儂も目を開ければ、そこには横たわる童の姿がある。当然、胴と首はくっついている。服はないが。


「はぁ、疲れたわ。おい、お主。儂はこの童と契約を結び、それから一週間ほど寝る。その間、お主がこの童を鍛えるなりなんなりしろ」


「あれ、僕は何もしないって言ったはずなんだけど……」


「うるさい。だから元はと言えばお前が門を閉じず出たからこうなったんじゃろうて」


 この男の減らず口に付き合うのも、今の状態では楽ではない。儂はよろよろと立ち上がり、童の前に膝をつき、童の腹に手をかざす。


「童の目的達される時まで。儂にチギりを千切ること禁ず」


 簡潔にそう言うと、童の腹にうっすらと、均等な秤のような模様が浮かぶ。これで契約を結ぶのは終了。ひとまず、一件落着といったところか。


「これで良いのじゃろう?」


「うん、ありがとう。でも、チビガミさんが下の主従関係が結ばれちゃってたけど、いいの?」


「——?」


「いや、だって『儂に契りを千切ること禁ず』って言ってたよね?それって、チビガミさんからだと契約、取り消せないよね?」


 ——なんと言うことだ、うっかりでは済まないミスをした。言わばこの状況、童が儂の「契約主」となってしまった。


 それを受け、ただでさえ酷い目眩は悪化。もう、この一連の流れ全部が夢であったことを祈るようにして、儂は眠りにつくのだった——。


***


「全く、間抜けな神様もいたもんだねぇ」


 そう、苦笑しながら僕は、小さな神様を寂れた神社で寝かせてやる。

 あの頃の面影はどこへやら、小さな神様は眠ってしまえばまるで、普通の女の子だ。


「この子、生き返れたはいいけど、諸々耐えられるかな」


 自分で蘇生させろと言っておいて、なんとも無責任な発言。実際、死した少年に僕ができることなんて何もないから、これが最善手ではあったのだけれども。


「カミサマさん、ちょっといいかな?」


 顎に手を当て、考えるような仕草を取りながら、僕はカミサマさんを呼ぶ。

 僕に呼ばれたカミサマさんは、初めからずっとそこに立っていたかのように、僕の隣に並び立つ。


「この子、ちょっと見てもらってていい?」


 と聞くと、カミサマさんは頷くでも返事をするでもなく、ただ男の子の近くに歩み寄り座り、少年に膝枕をしてやる。


「えーー!何それ羨ましい、後で僕にもやってよぉ」


 心の底からの懇願、その願いに応えるかのように、カミサマさんは座りながら、突如として彼女の手に顕現した剣をこちらに投げ飛ばす。どうやら振られたみたいだ。

 その剣先は僕の頬を掠め、傷口からはたらりと血が流れる。


「うおう、照れ隠しにしてはちょっと物騒……」


 このままでは、続けて何本も同じような剣を飛ばされて死んでしまいそうなので、僕は駆け足で神社から出て階段を下る。


「じゃ、カミサマさん、少しの間お留守番頼んだよー!」


 走り去りながら、大声で彼女にそう伝え、僕は鳥居をくぐり外に出る。

 何をしに外に出たかと言われると、それは——。


「——さて、門を閉めなくちゃね」


 ——少し面倒くさい、戸締りのために、と僕は応えるだろう。




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