ナツガミサマ
春吹
邂逅
——きっと、それに出会ってはいけなかったのだろう。出会ってしまった時点で、それはもうどうしようもなく間違いで、不正解なのだろう。
なら、不正解を正解に正す方法が存在しないのか、と問われれば、それは違う。間違えたのが自分なら、間違いを正すのも自分だ。
もっとも、今更間違いを正したとて、もう遅いのだが。
***
「家の中だってのにあっちー……」
夏。春夏秋冬の
「いってきまーす」
そんなことを考えつつ声を大に、しかしリビングにいる家族に届くかはわからないくらいの声量で、涼は家族にひとときの別れを告げる。まぁ、そんな大層な言い方をしているが、少し離れに遊びにいくだけなのだが。
「あれ、涼? また山、行くの?」
準備を終え、玄関に手をかけ扉を開こうとした時、背後から声が投げかけられる。振り返って、涼に声を投げたかけた人物がいるであろう方を見ると——。
「姉ちゃん」
そこには、涼の実の姉である
「うん。山。実はさ、もうちょっとですげーもんが見れそうなんだ」
やや少し興奮気味に、涼はそう美久に伝える。すると美久は不思議そうに首を傾げ、「すげーもんって、 なに?」と、なんとも無粋なことを聞いてくる。全くなんとも、この姉は男のロマンというものをわかっていないのだ。
「うーん、今はちょっと言えねぇな!んじゃ、友達待たせてるから!」
話もそこそこに、痺れを切らした涼は美久の疑問になあなあの返事のみ残し、素早く家を飛び出す。飛び出す際、「あ、ちょっと。何それ、気になる」みたいな言葉が聞こえた気がするが、一旦聞こえなかったことにする。帰ったらきっと、しつこく今のことを詰められるだろう。
「やべ、遅刻しちまう」
そんな憂鬱なことを考えながら自転車を走らす涼、チラと右腕についた腕時計を見やる。針が指し示す時間は8時23分、約束の8時30分までに間に合うか、微妙なとこだ。
「よーし、最速で行くぜ!ギアを1に、下ハン握ってとにかく漕ぐ漕ぐ!」
このままでは約束の時間に間に合わないと見込んだ涼は、こうなればと、秘伝の下ハンを解放する。しかし下ハンといっても、涼の乗る自転車は子供が乗るような、小さなカゴのついた普通の自転車。当然、そんなロードバイクのようなかっこいいハンドルはついていない。 だから涼は、自身で手がけた「オリジナル下ハン」をハンドルに取り付け、それを使い一人悦に浸るのだ。
「いやー、やっぱ下ハンがあるだけで違うわ。うん。絶対前より早く走れて——うわっ!?」
自作した下ハン。それの握り心地に、感嘆の声をあげていた時のことだった。
——結論から述べよう。涼のお手製下ハンドルが、すっぽりと取れてしまった。それはもう、面白いくらいにすっぽりと。
つい先程までハンドルを握っていたはずの手、しかし、今の涼の両の手にあるのはただのゴミだ。当然、ただのゴミと成り下がった元下ハンドルに、現ハンドルの操作ができるはずもない。 操縦者を失った自転車はフラフラとバランスを崩して行き、やがて倒れる。
「っ〜〜〜!痛ってぇ……」
ガッシャンと、盛大な音を立てながら自転車と共に倒れた涼は、その状態のまま手に持つゴミを恨めしく睨む。
「こいつめ、取れてんじゃねぇ!」
自分の見通しが甘かった、もっとしっかり安全確認をするべきだった。などと、自身の反省点を省みる前に涼は癇癪を起こし、感情のままに元下ハンドルを投げ飛ばす。当然、寝そべったまま力一杯投げたところで、ゴミは精々数メートルほど飛んだところで失速し、落ちる。 それの行く末を見届けたとこで涼は脱力し、天を仰ぐ。
「はぁ……」
こうしている間にも時間は過ぎるし、足の痛みはジンジンと訴えかけ、意識すれば痛みが増す一方。行動を起こさなければ事態は動かないことは頭ではわかっているのに、幾分動く気にはなれない。その時——。
「てかこれ、なんだ……?」
ふと、寝そべった状態で横を見た時。今まで見たことのない鳥居が、そこにはあった。
「でっけー、鳥居?でも、この辺に神社なんであったか?」
何を隠そう、涼の住む地域は大の田舎。一歩外へ出ればあるのはあたり一面の田んぼに広い道路。娯楽もない田舎だから、涼は以前暇つぶしに、ここら一体全てを見て回ったことがある。当然、ここもそうだ。
「やけに綺麗な鳥居だな……つい最近建ったのか?」
いくら頭に疑問符を浮かべようと、涼の足りない頭では答えが出ない。
気づけば涼は足の痛みなど忘れ、誘われるようにして鳥居をくぐり、神社があるであろう場所に、足を踏み入れていた。
***
——そこにあったのは、寂れ古びた小さな神社であった。入り口の綺麗な鳥居からは想像がつかないほどオンボロで、穴の空いたの壁に腐った木の階段、錆びた屋根に苔むした井戸。まるで今にも崩れるんじゃないか、と思うほど古びた神社。
「鳥居と階段はあんな綺麗だったのに、変なの」
その光景を目の当たりにし、涼はここにくるまでの道中を思い返す。その綺麗さと神社とのギャップに困惑しつつ、同時に気分が高揚していくのを感じる。
「ここ、俺だけの秘密基地だ」
考えるより先、涼の口は自然とそんな言の葉を紡ぐ。無意識のうちに自分の口から出た言葉、その言葉に「名案である」とうんうんと頷き思わず拍手。 茶番もそこそこに、涼は少し神社周りを散策してみる。
「うーん、神社以外にめぼしいものはないなぁ」
それから少しばかり付近を見て回ってみたが、あるのは本殿におまけ程度の井戸くらいの、みたまんまの小規模な神社であることがわかる。
「ま、大きすぎても目立ってやだしな。あ〜、ちょっと疲れた」
これくらいの大きさがちょうどいいと、少し物足りなく感じてる自分にそう言い聞かせて、疲れた涼は少しその辺で身を休めることにする。
「ちょっと休んだら、井戸の方行くか」
地面に座り込み、涼は休みを取りつつ次にすることを考える。
前提としてこの場所は鳥居をくぐり、50段ほどの階段を登った末にある神社なのだが、狛犬などはなく、ひらけた正面に神社、その向かって右脇に井戸があるような神社だ。涼がまだみてないのはその井戸側、それと神社の裏側である。
「っと、そういえばちゃんとみてなかったけど思ったより痛々しい……」
ふと、先程まで完全に忘れていた足の傷が再度ジンジンと痛み出し、みるとそこには結構な擦り傷ができていた。 傷を意識しだすとこれまた痛くなるもので、気にしないよう休みもそこそこに、涼は再度探検へと足を踏み出す。
「さーて、井戸の中に面白いものはあるかなー?」
浮き足立ちながら、涼は井戸へ向けて歩きだす。きっと中は空っぽだろうと心のどこかで思いつつ、しかし同時にお宝があることに期待せざるを得ない。
井戸の前に立ち、涼は落ちぬよう気をつけながら井戸の中を見る。
「意外と浅いんだ、この井戸。中にあるのは……なんだこれ、ゴミばっかじゃん」
井戸の中には、生臭い異臭を発するゴミが大量に入っており、到底お宝と呼べるものはなさそうだ。
「ちぇ、つまんないの」
ガックリと肩を落としつつ、涼はトボトボと井戸から離れる。しかしその時、涼はふとあることに気がつく。
「あれ、てかゴミがあるってことは、誰かがここ使ってんのか?なんだよ、俺が一番乗りじゃないのかぁ」
そう、ゴミがある、という事は必然、ゴミを捨てた誰かもいるということろう。なんなら、そのゴミを捨てた人が先にここを秘密基地としてる可能性だってある。
「あー、なんか残念。まぁしょうがない、今からでもあいつらのとこ行くか。もう結構な遅刻だけど」
仕方なしと、ここを自分の秘密基地とすることは諦め、涼は遊ぶ約束をしてた友人たちに合流することにする。腕時計を見れば9時ちょうど、気づけば30分ほどここにいたみたいだ。
「怒られるかな」
今更になって遅刻した罪悪感が湧き立つ。30分も集合場所で待たせてたら悪いな、と思いつつ、涼は神社を出ようと——した時だった。
「——おい」
——心臓が、止まるかと思った。それは決して急なことに驚いたからとか、とても大きな声だったとか、そういう類のものではない。
生き物としての、恐怖。人間に存在する潜在的なものだ。
「おいと、言っておるだろう」
続いて発される言葉、涼は震えの止まらない足に絶えず流れる冷や汗を頬に感じつつ、振り向いていいのか、必死に考える。今振り向いたら、どうなる?逃げたら、どうなる?
涼はもともと、お化けなど非科学的なものは信じないタチであった。だから暗いところとかも平気だし、一人未開の地へ行くのだってやぶさかではない。そう言ったものには強いと、自負していた。
しかし、今きっとおそらく超常的な、非科学的な「何か」と出会ってしまい、絶えず溢るる恐怖を感じ、それが無知であったが故の強さであったことに気がつく。
「おい」
こっちが恐怖でどうにかなってしまいそうなことなどお構いなしに、三度目の問いかけが投げかけられる。その声は先ほどより苛立ちをはらんでいるような、そんな物言いで。
思考がまとまらない、動悸が止まらない。今すぐ泣き出して、全てうやむやにしてしまいたい。逃げたい逃げたい逃げたい——。
ただ一心にそう思い、この場から走り去ってしまえば、逃れられる。楽になれる。そう、思った時だった。
「涼?」
——神社の階段からひょっこりと、姿を現す姉の姿が見えたのは。
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