第55話 日課
この国で地盤を固めて以来、俺は毎日早起きするようになった。
窓の外を見ると、まだ夜が明けていない。窓を開け放つと、未明特有の冷たい空気が肌に触れる。
この時間帯は夜更かしの連中にとっては寝る頃だが、昼間活動する者にとってはまだ完全に目覚めていない。そのため、外は特に静かだ。
銃声も悲鳴もなく、火薬の匂いもまだ漂ってこない。被害者となる市民も、暴れるギャングたちも微睡んでいるこの時間帯は、この国において希少な静寂のひとときだ。
俺の朝の日課も、この時間から始まる。
部屋の壁際に設置された巨大な装置に近づき、表面の埃を手で払い落とした。
金属製の装置は、かつて
掌をガラスにそっと当てながら、俺はその中身をじっと見つめ、そしていつものように彼女の名前を呼んだ。
「――おはよう、イヴリス。」
装置の中の少女はいつも通り、目を閉じたままで返事をしない。ただ静かに、彫像のように、液体の中に浮かんでいる。
自分の手が微かに震えているのを感じながら、俺の指先はイヴリスの唇の位置をそっと撫でた。
聖都での一件以来、イヴリスはこうして眠り続けている。一度も目を覚ますことなく。
イヴリスの心臓は、いまだに回復しきれていない。
弾丸に貫かれた胸は、今では元通りに修復され、傷跡すら見えない。しかし、その下で規則正しく鼓動しているはずの臓器は、時折停止したり、完全に機能不全に陥ったりしている。
この剣士の少女は、今や仮死状態だ。
俺が知る限り、聖胎や戦闘員に関する知識から考えれば、あの程度の傷でここまでの状態になるはずがない。
もしかすると、オミナスの武装には聖胎の再生を抑制する成分が含まれているのかもしれない。しかし、俺の持つ知識では、そうした毒性物質を特定することはできなかった。
情報が、足りない。
俺は液体の中で漂う少女をじっと見つめた。最初に出会った時と比べ、イヴリスは随分と成長した。かつては華奢だった彼女の体は、今ではほどよく丸みを帯び、大人の女性としての魅力が増している。眠りの中でも、彼女の時間は止まっていないのだ。
しかし、彼女はただ眠り続けている。
まるで御伽話の一幕のように、呪いに囚われた眠れる姫のように。
残念ながら、俺はその姫を目覚めさせる王子ではないらしい。
これまで何度も方法を試し、知恵を絞り、イヴリスを回復させようとしてきた。しかし、全て徒労に終わっている。俺の知識には限界がある。イヴリスが戦闘員であることを考えると、より聖胎に焦点を当て、俺たちの本質に近づく研究が必要なのかもしれない。
この国であれば、実験用のサンプルならいくらでも手に入る。試薬が必要なら、あの連中から奪えばいい。金も、人手も、今の俺には揃っている。時間さえあれば、きっと——
「ハハッ。」
そこまで考えたところで、思わず乾いた笑いが漏れた。
ふと、俺は少しだけ理解した気がした。かつてルシファーを創設した奴の気持ちを。
伝説によれば、その人物は聖女が倒れた地、魔物の王との最終決戦の戦場で、跪き、這い回り、泣きながら聖女の欠片を集めたという。その学者の幻が、俺の脳裏に浮かび上がる。
その背中が見えた。薄暗い研究室で、聖女の
――地獄なんて、どうでもいい。
なぜなら、奴にとって、聖女のいないこの世界そのものがすでに地獄だった。
「うっ……」
吐き気を覚え、俺は口元を押さえた。感情を抑え込み、無理やり思考を中断する。イヴリスの維生ポッドを見直すと、ガラスの反射に映った自分の顔が目に入った。
そこに映る少女の顔は無表情で、その目の周りにははっきりとしたクマが浮かんでいた。
まったく、リーダーとしては見せられない顔だな。
「ふぅ……」
溜息をつきながら、俺は指先に魔力を集め、下まぶたに軽くなぞらせた。活性化した魔力がクマを消し去り、肌は元の白さを取り戻した。そして、両手の人差し指で口角を押し上げ、軽く笑顔を作る。
こうしていつもの、大胆不敵で余裕を漂わせるバイオス・トリニティの顔が完成した。
安らかに眠るイヴリスに背を向け、俺は目元をそっと拭った。自分の頬を軽く叩き、気合を入れるようにしてから、手を扉へと伸ばした。
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