第50話 アスガード

近距離。


演算能力を全開にし、特製のガントレットにはルーンと魔力が纏わりつき、拳銃やナイフからの攻撃を何度も受け流す。


見える。


イヴリスの戦闘データを通じて、さまざまな状況を分析し、目の前の凶鳥オミナス騎士の動きを予測する。交戦が続くにつれ、演算データは次々と蓄積されていき、アスガードの動きに対する予測精度も、イヴリスの技術の運用も、どんどん洗練されていく。


ここだ!


頭を低くし、右手を相手の左ストレートの外側に回す。そのまま右のフックを振り抜いた。拳がアスガードのヘルメットを捉え、纏う魔力が巨人の頭部を揺さぶる。ヘルメットの下で赤く輝く左目が一瞬明滅し、防護ゴーグルには蜘蛛の巣のような亀裂が広がった。


「ぐっ。」


アスガードが一瞬よろめき、すぐに体勢を立て直すと、ナイフを握る拳で俺の肝臓を狙ってきた。だが俺は避けることなく、手をその拳の軌道上に差し出した。アスガードの鉄拳と比べると、俺の手は小さく見える。しかし、その一撃をしっかりと受け止めた。手首をひねると、アスガードの金属製の鎧が不快な軋みを上げ、関節の隙間から火花が飛び散る。


このまま腕を捻り折ろうとした瞬間、額に衝撃が走る。不意を突かれた攻撃が脳を揺さぶり、視界がちらついた。どうやら目の前の騎士が頭突きを仕掛けてきたらしい。歯を食いしばり、魔力で額を強化し、後ろに仰け反った頭を勢いよく振り戻して相手の金属製のヘルメットにぶつけ返す。


互いに衝撃で少し後退したその隙に、アスガードが拳銃を構えて射撃してきた。火を噴き出す拳銃の銃口を見ながら、俺は弾道を即座に予測し、腕を動かす。


見える!


心臓を狙う弾丸を掴み砕き、頭部を狙う一撃を首を傾けて避ける。そのまま一歩前に踏み込み、全身の力を込めてアスガードの側腰を拳で殴りつけた。


「うおおおおおお!」


羽ばたかせながら、右拳を振り抜いた。その拳には大量のルーンが纏わりつき、半秒遅れて爆発的な魔力がガントレットを通じて伝導され、アスガードを襲った。若き騎士の装甲は耳障りな音を立てて凹み、そして砕け散る。それでも俺はさらに力を込め、相手を吹き飛ばそうとする。


俺の拳から延びた閃光は横の建物を直撃し、それを瓦礫と化した。奥歯を噛み締め、後頭部に受けたアスガードの手刀の衝撃に耐えながら、俺は左拳を腰に構えた。そして、体をひねり、再び閃光を纏った一撃を放つ。アスガードは防御を試みたが、俺は彼の両手の隙間を突き抜け、その腹部装甲を打ち抜いた。


ドンッ!


鈍い衝撃音が響く。閃光はアスガードを貫通し、その背後の建物にまで達した。騎士のヘルメットにある排気口からは大量の鮮血が溢れ出し、同時に割れたゴーグルの隙間から血の涙が流れ落ちた。


「……あぁ、あああああああっ!」


俺の喉の奥から絞り出されるような声。それが戦吼なのか、悲鳴なのか、自分でもわからなかった。俺は拳を引き戻す。目の前の騎士の装甲は高熱で歪み、赤く熱を帯びている。肉の焼け焦げる匂いが漂っていた。


覚醒した俺の技術、力、速度は、ついにアスガードと互角に並んだ。


負けない。


負けるわけにはいかない。


躊躇するな。全力で、目の前の敵を打ち砕け!


後にはイヴリスがいる。前には、俺の帰りを待つ姉妹たちがいるのだから!


俺は全力でアスガードの頭部に攻撃を放つ。同時に、アスガードも俺に向かって拳を振り下ろした。互いの拳がそれぞれの頭部を打ち付け、激しい衝撃が走る。鼻から何かが流れ出る感覚を覚えたが、それに構わず、ただアスガードの戦闘能力を削り取ることだけに集中した。


死神の鎌が、俺たち二人の首に近づいているのを感じる。


アスガードの拳が防御をすり抜け、俺の肝臓を捉えた。凄まじい痛みが動きを止めかける。


だが、俺は閃光を纏った攻撃でアスガードの右胸を打ち抜き、相手の血肉を削り取る。連続攻撃の末、ついに騎士の体勢が崩れた。


ここだ!


隙を見逃さず、俺は閃光を纏った一撃をアスガードの左胸に叩き込む。


そして――


温かな何かが顔に飛び散る感覚。


俺の拳は、かつて鼓動していた何かを打ち砕いた。


「……やはり、覚醒体相手に一人では無理があったか。」


よろめき、騎士はその場に膝をついた。装甲のあちこちから煙が立ち上り、隙間からは鮮血が絶え間なく流れ出ていた。


「嘘だ」


「ん?」


「さっき、俺が覚醒に完全に適応する前、お前には俺の頭を破壊して殺す機会が何度もあった。どうして、そうしなかったの?」


アスガードのヘルメットの下から、水音混じりの苦笑が漏れた。


「随分と厳しいな、バイオス嬢。」


「なぜだ!」


気がついたときには、俺は両手でアスガードの頭を掴み、揺さぶっていた。


「これが生死を賭けた局面だってわかってただろ?俺が退くつもりなんてないことも、俺がお前たちにとって禁忌の存在だってことも!なんで躊躇ったんだよ!なんでだ!お前は自分の命を大事に思わないのか!?なんで全力を出さなかったんだ!」


「バイオス嬢……」


「答えろ、アスガード!」


「……全ては、僕の至らなさと未熟のせいだ。君がそう思うなら、そうなのだろう。理由については――説明するまでもないだろう?」


「アスガードッ!」


「泣くなよ、バイオス嬢。今日君が倒したのは、くだらない感情に囚われたオミナスの騎士一人だけだ。」


アスガードの指が俺の目元をそっと撫でた。そして、彼は長い息を吐いた。


「行け。僕の生命信号が消えたら、他の騎士たちが追ってくる――君を待ってるひとがいるだろう?」


その通りだ。


俺を待っている人たちがいる。


「……ああ。」


覚醒を解除し、俺が地面に倒れたイヴリスを抱きかかえた。


「バイオス嬢。」


「?」


「君に出会えたのが、僕の人生で一番美しい出来事だった。」


「っ!」


「ありがとう。そして、さようなら。」


そう言い終えた瞬間、アスガードのヘルメットの下から聞こえていた荒い息遣いも止まった。


「……」


俺は思わず振り返り、その場に跪いたままの巨大な騎士を見た。戦闘が始まってから彼はずっとヘルメットをかぶっていた。その最後の表情が、悔恨に満ちていたのか、苦痛に歪んでいたのか、それとも安らぎの笑みだったのか――俺は知ることができなかった。


「うっ……」


胸が、痛い。戦闘中には、一度も致命的な一撃を受けていないはずなのに。


「……ああ、さようなら。」


しっかりしろ。


早く、外に出なければ。


俺は足を進める。どんどんと遠ざかる。聖都を覆っていたガラスのドームはすでに破損しており、外から吹き込む雪嵐が勢いを増していた。






「――アスガード様?」






不意に、耳が小さな声を捉えた。思わず足を止める。


「ア、アスガード、アスガードさまっ!」


リリアの声だ。


「嘘、でしょ。アス、ガードさま……」


すすり泣く声。


俺には、振り返る勇気は、なかった。歯を食いしばり、再び歩みを進める。


「なんで。なんで?なんで!なんで!?」


すすり泣きは、やがて心を切り裂くような叫びに変わる。城門に近づくにつれ、少女の泣き声は徐々に遠ざかっていった。


「――なんで、あなたみたいな存在がっ、この世界に生まれてきたんだよ?」


城門を出た瞬間、リリアの最後の言葉が耳に届いた。


そして。


長く息を吐き出しながら、俺は吹き荒れる風雪の中へと足を踏み入れた。

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