第48話 愛

「これは……予想外、ですね。」


曙の明星ルシファーの研究員、スマイルの顔から余裕が消え失せていた。眉がピクリと動き、冷や汗が一筋、頬を伝う。


流れ星のように、イヴリスは次々と襲い来るヒューマノイド兵器の間を縫って駆け抜ける。剣光が閃くたび、黒い肢体がことごとく真っ二つに裂かれ、小道には濃厚な血の匂いが立ち込め、死体が積み重なっていく。


「ふふっ。ふふふっ。ふふふふふっ。力が、どんどん、溢れ出してくる!」


狂喜に満ちたイヴリスは、優雅にヒューマノイド兵器の包囲の隙間を抜け、剣閃が奔流のように走る。半秒遅れて自爆しようと包囲を試みた兵器たちは血飛沫を撒き散らしながら崩れ落ちる。まるで大人が赤子の手をひねるかのごとく、イヴリスは冷酷にレイピアを振るい、ヒューマノイド兵器を次々と肉塊に変えていく。


片翼の天使は地上に血肉の地獄を作り出した。暗紅色に染め上げられた小道の中で、純白の姿を保つ少女はひときわ目立っていた。


「ぐっ。」


スマイルは手を上げ、ある信号を出した。その瞬間、巨大な物体が小道に強制的に降下してきた。そいつは白い装甲に四対の手足、回転する複眼と蜘蛛のような姿を持っていた。以前、ガリバ公領との戦闘で見かけたルシファーの多脚戦車たきゃくせんしゃだった。多脚戦車は前肢に備えられたガトリング砲を持ち上げ、回転する砲身が俺の方を向いた。


「本体を倒せないなら、演算元を破壊すれば――」


「甘い。」


ガトリング砲が発射されると同時に、イヴリスが瞬時に私の前に移動した。曳光弾は少女のレイピアによってすべて弾き返され、銀色の剣閃が扇状に広がり、嵐のような弾丸を傘のように防いだ。射撃を受け流しながら、イヴリスはゆっくりと多脚戦車に向かって歩みを進めていく。茶色い長髪の少女の小さな背中が、今はとても大きく見えた。


「ふむ。ならばこれでどうですか」


「無駄よ。」


多脚戦車は背部の砲塔を回転させ、砲撃を放った。しかし、それがイヴリスに命中する前に、二つに切り裂かれた。分断された砲弾は私の位置をかすめ、大量の破片と粉塵を巻き上げた。


続けざまに、イヴリスの姿が俺の視界から消えた。


「なんと」


スマイルが驚愕の声を上げたその時、銀色の閃光が奔り、関節部から多脚戦車が血飛沫を上げた。その瞬間、俺は少女が多脚戦車の上空にいるのを見つけたのだった。


「ガリバ流。天穿てんせん。」


バチンッ!


天罰のような雷柱が多脚戦車を貫き、レイピアが放つ一撃が装甲を粉砕した。制御機構が破壊されたのか、多脚戦車は震えた後、機能を失って崩れ落ちた。半秒遅れて、イヴリスはハイヒールの踵を鳴らしながら優雅に戦車の頂上に降り立った。そして手首をひねり、レイピアを地面に座り込んでいるスマイルに向けた。


「駒が尽きた?次は、あなたの番よ。」


「驚かせてくれましたね。」


少女の剣先を前にしても、スマイルの顔には恐怖の色はなく、再び考察に沈んでいた。


「君の性能は、六花ヘクサヒードゥロンシステムの演算支援があった時よりも、明らかに上がってますねぇ。以前のデータ通りなら、この程度の生体兵器で君を圧倒できるはずだったんですが。同じバイオコンピュータの演算支援を受けて、インターフェースも同じなのに、なんでこんなに差が出る?理論上は、複数のモジュールを持つ六花の方がもっと強力に支援できるはずなのに、どうして単一のモジュールに演算で負けるんでしょうか?」


「それが当然でしょ。」


イヴリスは自信に満ち、美しく微笑んだ。


「すべては愛の力よ。」


スマイルは苦笑した。


「なるほど、理解できないし合理性もないが、確かに成果が出ている。バイオコンピュータと聖胎せいたい装置の連結効率が感情に影響されるかは、研究に値する課題ですねぇ。しかし、量化は難しそうです。私たちが作り出した試作機には、感情が基本的に欠けているから……」


「無駄話は終わり?次はあなたの番よ。さっき、私のバイオスを傷つけるなんて、覚悟はできているわね?」


イヴリスは独り言を始めた研究員の言葉を遮った。スマイルはため息をつき、考察をやめたが、彼の顔には再び余裕が浮かんでいた。


「まあ、結果的にはこちらの生体兵器が星斬りイヴリスには敵わないってことですね。でも、忘れないでください。」


研究員の粘りつくような視線が再び私に向けられた。


「イヴリス君への支援演算を止めてください、バイオス君。君の二人の姉妹はまだこちらの手中にあることを忘れないように。今、素直に降伏すれば、双葉デュエルシステムを通じて君の姉妹を見逃してあげましょう。」


「ふん。」


スマイルの提案に対し、俺は鼻で笑った。


「結論を出すのが早すぎるぜ、クソ野郎。ちゃんと戦況を確認してみろ。」


「……おや?」


その言葉に、スマイルは眉をひそめ、驚きに目を見開いた。その彼を無視し、俺はシーとメムに通話をかけた。




>>シー:こちらシー。デュエルシステムのミギハを無力化完了。


>>メム:こっちも!サヨを無力化した!


>>俺:よくやった、二人とも。すぐに聖都からの脱出を準備しろ。もう凶鳥オミナスは信用できない。外で直接合流しよう。逃げるぞ。


>>シー:了解。


>>メム:……うん。バイオスも気をつけてね!




シーとメムとの通話を切り、驚愕で動きを止めている研究員を冷ややかに見つめた。


「まさか、デュエルシステムの性能数値も圧倒的なはず。それなのに、主制御モジュールの指揮もないトリニティシステムに敗れるとは……まったく、予測できませんね。だからこそ、聖胎の研究は面白いんです。常に新しい発見がある。ただ、こうなると少し困りますね。六花でも逆転の手が見えず、どうやらここで詰みのようです。」


スマイルは首をかしげながら、最後に問いかけてきた。


「参考までに一つだけ聞こう、バイオス君。君たちがこの結果を生み出せた要因とは、一体何なのですか?」


「命と意志を軽んじ、悲劇を量産し、数値だけに執着するお前たちには、永遠に分かるまい。」


スマイルを鋭く睨みつけ、俺はイヴリスに命令を下した。


「やれ、イヴリス。」


「あなたの望みのままに、私の愛しいバイオス。」


イヴリスはレイピアを振り、スパッとスマイルの首を斬り落とした。


「なる……ほど。命、と、意志か。実に、形而上けいじじょう的な、課題ですねぇ……興味、深い……」


転がった頭はまだ喋っていたが、イヴリスがその頭を容赦なく踏み潰して黙らせた。


「ふぅ。これで静かになったわね。」


「ああ、だけどこれで終わりじゃない。今の最優先はここから脱出することだ。俺たちは凶鳥オミナスにも曙の明星ルシファーにも裏切られた。生き延びる道は、逃げるしかない。」


俺は立ち上がろうとした。さすが聖胎製の体と言うべきか、さっき折れた足も既に回復しつつある。体感ではまだ激しい動きは無理そうだが、歩く分には支障はなさそうだ。俺は手を差し出し、イヴリスを迎えた。


「一緒に来てくれ、イヴリス。」


その言葉に、彼女は笑顔を見せた。血に染まった背景の中で、片翼のイヴリスは幸せそうに、美しい微笑みを浮かべていた。柔らかく、しかししっかりと、彼女は俺の手を握り返してきた。


「——はい。喜んで。」


「よし、それじゃあついて来い。」


気持ちを切り替え、聖都の街路構成を思い出しながら、頭の中で脱出ルートを描いた。イヴリスの手を引き、俺は足を踏み出し、走り出した。


走る、ただ走り続ける。聖都の中に絶え間なく降り注ぐロケット。周囲には戦闘の音が響き渡り、悲鳴、咆哮、銃声が耳にこびりつく。しかし、俺はそれらを無視し、ただひたすら脱出の可能性が一番高い場所へと向かって駆けていた。


そして、ついに、出口が見えた。


あの出口を越え、シーとメムと合流できさえすれば、俺たちは自由だ。


そんな想いを胸に、俺は全力で足を踏み出し——






「まって!」






突然、イヴリスが俺の手を引き止めた。急に止まらされた体が、肩に痛みを走らせる。


「どうした……っ!」


数秒遅れて、俺も気づいた。出口付近に誰かがいる。舞い上がる灰塵を透かして、徐々に姿が現れてきた高い影。重厚な装甲、大きな手首、そして機関砲のような口径を持つ巨大なライフルを携えている。丸いヘルメットの下から、赤い光を放つ目がこちらを捉えていた。金属の巨人――オミナスの騎士が、俺たちの行く手を塞いでいた。


無言のまま、隣のイヴリスからは先ほどスマイルと対峙していたときには見せなかった緊張感が伝わってきた。俺の肌も、騎士から放たれる圧力をひしひしと感じている。慎重に足を動かしつつ、自然体を保ちながら、いつでも戦闘態勢に入れるよう備えた。


だが、騎士は銃口を俺たちに向けることはせず、ゆっくりと巨大な手を頭に伸ばし、ヘルメットを取り外した。


まず目に飛び込んできたのは、太陽のように輝く金髪だった。


「——アスガード殿。」


「バイオス嬢。お久しぶり。」


若き騎士の表情には、見慣れた微笑はなく、厳しい顔つきで眉間に深い皺を寄せていた。俺は騎士の一挙一動に注意を払いつつ、慎重に声をかけた。


「まさか、ここでお前が待ち構えているとは思わなかった。」


「これはマルクス副長の推測だ。ここが会議室に最も近い出口であり、バイオス嬢がこの混乱に乗じて脱出するなら、最も可能性が高い経路だと。」


「つまり、俺を阻止するために来たわけだね?」


「そのような命令を受けている。」


「……」


「でも、それは君が抵抗した場合だよ、バイオス嬢。こんなことを言うのは勝手だってわかってるけど、降伏してくれないか?オミナスに戻ることについては、僕ができる限り助け舟を出すからさ。このままだと、君が聖胎だってことより先に、裏切り者として処理されることになる。裏切り者には死あるのみ……それがオミナスの鉄則てっそくなんだ。」


「ずいぶんと鉄則が多い組織だね。」


「それについては、弁解の余地がない。」


「もし、俺が従わないとしたら?」


「その場で撃破し、残骸は焼却処理。シーとメムについても……二人は既にこの街から脱出したようだが、追われる運命となる。」


「……」


俺の沈黙に、アスガードは焦ったように促してきた。


「頼む。降伏してくれ。今ならまだ間に合うんだ。僕は君と戦いたくない。」


「……もし俺が投降したら、イヴリスはどうなる?」


知らず知らずのうちに、俺は隣の少女の手を強く握りしめていた。アスガードの表情には、苦悩が浮かんでいる。


「彼女は戦闘員だ。だから、処刑……焼却しなければならない。」


「どうして?俺だって同じく聖胎だろ?なぜ俺のためには取り成そうとして、イヴリスにはそれができない?何か理由があるのか?」


「頼む、バイオス嬢。状況が違うんだ。」


「違わないだろう。何の権利があって、お前らは俺たちの生死を勝手に決められるんだ。お前ら、凶鳥オミナス曙の明星ルシファーも、ただの横暴な連中じゃないか。鉄則?笑わせるなよ。」


アスガードは沈黙したまま。俺はさらに畳みかけるように言葉を投げかけた。


「やるなら、さっさとかかってこい。こっちは二人だぞ。やる気なら、ヘルメットを被れ、アスガード。」


「バイオス嬢……」


「被るんだ、ヘルメットを。それが嫌なら道を開けろ。」


アスガードは再び黙り込んだ。俺はただ静かに彼を見つめ続ける。しばらくして、アスガードは何かを決心したかのように、まっすぐに俺を見返した。その清らかで真っ直ぐな瞳に、思わずたじろいでしまった。


「君はさっき、どうして僕が君たち三姉妹をかばうのかって聞いた。」


「……ああ。」


「それは、僕の私心ししんなんだ。最初に君を見た時から、バイオス嬢……僕は、君に強く惹かれていたんだ。がっかりしたか?くだらない感情で判断を狂わせる、僕に。」


「……」


「僕は、君と肩を並べて歩く未来を望んでいる。」


「……アスガード」


「こういう感情、理由としては不十分か?オミナスの兵器である前に、騎士の教条に縛られる前に、僕も人間だ。僕にも願いがあって、未来に対する期待もある。」


「アスガードっ」


「一緒に過ごした時間は短いけど、気がつけば、僕はいつも君を目で追っていたんだ。この感情は初めてだけど、僕にはその名前がわかっている。言葉にするなら、それは——」


「アスガード!」


俺は大声でアスガードの言葉を遮った。同時に、自分の心の中で渦巻く感情をも押し込めた。隣にいるイヴリスの手が震えているのが伝わり、温もりが俺に届く。気づけば強く握りしめてしまっていたが、そっと放して、再び覚悟を決める。


アスガード。


「ヘルメットを被れ!」


ごめんよ、アスガード。ごめん。


もう、これ以上言わないでくれ。わかってるんだ、俺も……なんとなくだけど。でも、認められない。


俺の決意は揺るがせない。


若き騎士は静かに目を閉じ、やがてゆっくりと開いた。深いため息をつき、そして彼はヘルメットを装着する。


「言っておく。」


ヘルメット越しに聞こえる声は、機械の音で少し歪み、どこか冷たい。彼の感情はもう読み取れない。


「二人は数の優勢を感じているかもしれないが、僕も幹部クラスの実力だ。覚悟を決めておいてくれ。」


金属の巨人がゆっくりとライフルを構える。その瞬間、俺は全ての演算リソースをイヴリスに注ぎ込む。高まる若き騎士の圧を前に、俺が拳を握りしめ、恐怖と悲しみをかき消した。


「いくぞ、イヴリス!」


「……ええ。」


一歩を踏み出し、俺は目の前の障害に向かって叫びを上げた。


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