第46話 チェス
会議というものはどうにも退屈で仕方がないらしい。
特に、互いに譲らず、ただ自分の意見を押し付け合うだけの状況では、討論という名の「意見の押し付け」以上のものにはならない。
「——つまり、それらは我々の資産です。返還していただきたい。」
「馬鹿げた話だ。そちらこそ冒涜的な研究を止めるべきだ。」
「両陣営とも、この国での行動を慎むように!」
座ったまま、ただ時間が過ぎるのを無為に見送るしかない。代表者たちが口々に意見をぶつけ合うのを聞きながら、俺は思考を分割していた。一部のリソースを周囲の警戒に回し、もう一部は今後の動きについての検討に充てる。ふと隣を見ると、ファスティオラとマルクスは黙って何かを考え込んでいるようだった。
円卓の向かい側にはルシファーの研究員、スマイルが座っており、会議が始まってからずっとねっとりとした視線をこちらに向けている。彼の顔には虚ろな微笑が張り付いており、まるで面白い実験動物でも観察しているかのような目つきだ。俺が視線を向けたことに気付いたのか、彼の笑みはさらに深くなった。その不快感に耐えきれず、思わず声が漏れてしまう。
「……チッ。」
「どうした、バイオス?」
その舌打ちがファスティオラの耳に入ったのか、彼女が小声で尋ねてきた。
「……いや。ただ、時間の無駄だと思っただけだ。」
「会議なんてそんなものさ。」
三方の代表者たちの議論はますます過熱し、声もどんどん大きくなっていく。今にも殴り合いが始まりそうな気配に、ファスティオラはテーブルの上のグラスをいじり始めた。
「教皇ガーネットやはり甘すぎる。長年の分裂と陳腐な考えがそう簡単に変わるわけがない。ましてや、長い対立によって生まれた憎しみがある。たった一度の会議や一つのきっかけだけで、こんな形式だけの場で双方が停戦に同意するなんて、まさに夢物語だ。」
ファスティオラは天井を見上げ、ため息をついた。
「平和を望むなら、もしかしたら天災でも降ってきて、我々両方が根絶やしにされるしかないのかもしれんな。」
その時、険しい表情の少女教皇ガーネットから拍手が聞こえた。
「——ここで一旦、会議を中断する」
教皇の宣言とともに、各方の争いの声も一時的に収まり、彼女は付き添いの戦闘シスターアンジェリアと共に部屋を出ていった。各陣営もいったん感情を抑え、小休止を始める。その隙に、マルクスがファスティオラに声をかけた。
「お嬢。」
「何か?」
「大事な話があるんじゃ。二人きりでな。」
「……」
胸が締めつけられるような感覚が広がった。二人に気づかれないよう、なるべく動揺を隠しながら、テーブルの上のグラスに手を伸ばし、水を一口飲む。
「ふむ、分かった。バイオス、君は会場に待機していろ。警戒を怠るな。」
「……了解。」
不安を押し殺し、俺は頷いた。ファスティオラが数秒間じっと俺の顔を見つめ、眉をひそめたが、それ以上は何も言わずにマルクスと共に出ていった。会場に一人残された俺は魔力を練り、遠く離れたシーとメムにルーンの信号を送った。二人も周囲には異常がないと報告してきたが、先程のマルクスとスマイルの会話を思い返すたびに、不安がじわじわと胸の中で膨れ上がっていくのを感じた。
「おやおや、なんとも興味深い顔をしていますね、トリニティシステムの主制御モジュール、バイオス君。」
「っ!」
「そんなに警戒しないでください。こちらに敵意はありませんよ。今のところは、ですがね。」
思考が途切れ、振り返ると、そこにはあの研究員、スマイルが立っていた。顔には胡散臭い笑みを浮かべ、両手を少し挙げて、まるで「武器は持っていない」とでも示すかのように見せつけている。しかし俺には分かっていた。きっとその手は大量の
その男を睨みつけるように見つめながら、俺は思わず歯を食いしばった。
「……何の用だ?」
「——やはり君は面白いですね。その表情には感情の変化がはっきりと見て取れます。不安、猜疑、警戒……そしてこれは怒りでしょうか?素晴らしい。」
男は目を細め、その笑みを深くする。
「驚きましたよ。最初はデータの誤りかと思っていたのですが、どうやら本物のようですね。バイオコンピュータにここまで明確な感情が表れるとは。同じ訓練を施しているのに、これほどの違いが出るとは驚きです。後継機は速成のインプリンティング技術を使用しましたが、その影響は微々たるもののはずです。君たちと同様に長期間訓練を受けたモデルでも、明確な感情反応は見られない。何がこの差異を生み出しているのか、実に興味深い。」
スマイルはまるで自分の世界に入り込んだかのように、独り言のように考察を続ける。無機質な視線はずっと俺に向けられていて、その不快さに鳥肌が立つのを感じた。
「
スマイルからは、欲望の臭いが漂ってきた。
「——やはり特異点は君なのでしょうか。」
「何が言いたいんだ?俺は何も聞いてないのに、一方的に喋り倒しやがって。ルシファーってのは、こんな風に勝手に自己主張するのが好きなのか?邪魔だ、さっさと失せろ、俺の休憩時間を邪魔するな。」
「まあまあ。君が生まれたあの研究所も、かつては私の管轄下にありました。あそこにいた研究員たちは、ほとんどが私の教え子です。もし彼らが君を生み出した『親』だとするなら、私はお爺さんといったところでしょうか。まあ、遠い親戚だと思って気楽に接してください。さて、そろそろ本題に入りましょうか。」
スマイルは手を差し出しながら言った。
「帰ってきなさい、バイオス君。私たちには君が必要なのです。」
「……ざれことを。」
俺が顔を背けて立ち去ろうとしたその瞬間、スマイルの手が肩を掴んだ。強い力で、肩に痛みが走る。
「勘違いしないでください、これはお願いではありません。脅し、なのですよ。」
スマイルは笑っていた。暗く、欲望に満ちた、ねじれた残酷な笑顔だった。
「君は、あの二つのモジュールを大切に思っているようですね。今外で待機している、君が『姉妹』と呼ぶあの二つの存在を。」
「……っ!」
「私たちにはできるのです、君が大事にしているあの二人をミンチにすることがね。たとえ君たちがオミナスの庇護を受けていようとも、手段はあります。暗殺でも、正面攻撃でも、好きなだけ繰り返すことができるのです。君の大切な宝物を捕まえて、細かく引き裂いてやるまで、ね。」
「貴様っ。」
「我々はオミナスとは違います。あちらのように騎士を育成するには時間がかかりません。我々の戦闘員は多少コストがかかりますが、消耗品の量産型ならいくらでもいる。聖胎兵器で編成した軍団を使えば、オミナスの一戦団を覆い尽くすのは造作もないことです。」
男の顔が近づいてきた。吐息が湿って熱く感じられるほどの距離だ。
「君には、私たちがそうするだけの価値があるということですよ——選びなさい。」
俺はスマイルを突き放そうとするが、見かけによらず、その手は俺をがっちりと掴み、離さない。見た目と裏腹な力に、内心驚かずにはいられなかった。
「君が戻ってくれさえすれば十分です。自主的に戻り、君の姉妹たちを自由にするか。それとも我々がどんな犠牲を払ってでも君を連れ戻し、君の姉妹たちを道連れにするか。バイオコンピュータである君なら、最良の選択が計算できるはずでしょう?時間はありませんよ、バイオス君。さあ、今すぐ答えを聞かせてください。」
こんな問い、答えるのに一秒もかからない。
「……夢でも見てろ、クソ野郎!どんな企みがあろうと、全部ぶち壊してやる。俺の姉妹には指一本触れさせねえ!」
「ははっ。」
スマイルの笑みがさらに深まった。それは凄惨で、まるで悪魔そのもののようだった。
「やはり君は素晴らしいな。」
スマイルは突然手を離した。同時に、休憩を終えた出席者たちが再び席に着き始める。会議室に戻ってきたガーネットが俺とスマイルを見て、さらにファスティオラとスマイルの席が空いているのに気づき、驚きの表情を浮かべた。
「交渉が決裂し、教皇も戻ってきた。さて、次の段階に進むとしよう。マルクス先生も取引を受け入れたようだし、無駄な会議もこれで終わりです。六花が今回の作戦をどこまで正確に予測できるか、楽しみですね。」
スマイルは懐から発信機のような装置を取り出し、スイッチを押した。
ビーッ。
強烈なルーン信号がその装置から放たれると同時に、爆発的な魔力が足元から噴き出した。それが攻撃だと理解した瞬間、俺は全力で出口へと飛び出した。視界の端には、まだ不気味な笑みを浮かべたままのスマイルが爆風と閃光に飲み込まれていくのが見えた。焦った表情を浮かべたアンジェリアが、呆然と立ち尽くすガーネットに向かって飛びかかる。
ドン!
熱と衝撃で体が吹き飛ばされ、俺は地面を何度も転がった後、ようやく頭を上げた。さっきまでいた会議室が、すでに炎に包まれていた。
教会都市の中に次々と爆発音が響き渡る。都市の境界を囲む雪と氷を遮断する防護シールドが数回明滅した後、白い破片となって砕け散った。遠方から飛来したロケットが街に落ち、大量の聖胎反応が湧き上がる。警報、人々の叫び、そして銃声が、先ほどまでの静けさを完全に破壊した。
ガーネットたちの安否はわからないが、今はそれよりも優先すべきことがある。
>> 俺:シー!メム!状況を報告しろ!
>> メム:交戦中!相手は以前の記録にあるルシファーのデュエルシステム、サヨ!
>> シー:同じ。交戦相手はミギハ。
>> 俺:二人とも耐えてくれ!すぐに支援に向かう!リリア!こちらが予期せぬ状況に遭遇した!リリア、応答しろ!
>> リリア:……
>> 俺:リリア!
くそ、リリアが応答しない。信号がまた妨害されているのか?まさかリリアも……いや、余計なことを考えるな。まずは目の前の状況を優先しないと。早く支援に向かわなければ。
「いやはや、驚かされましたよ。予測では、さっきの爆発で少なくとも君に多少の損傷が入るはずだったんですがね。どうやら予測数値を修正しないといけませんね、バイオス君。君は本当に我々の想定を次々と覆してくれる……ですが、ここから先は通しませんよ。」
「っ。」
踏み出そうとした瞬間、目の前に立ち塞がる人物がいた。さっきの研究員、スマイルだ。
「……無傷だと?さっき爆発に巻き込まれていたはずだ。まさか、お前も戦闘員なのか?」
「いいえ。私の体は爆発に耐えられるほど高性能ではありません。さっきの個体は確かに消滅しました。要するに、今ここにいるのはただの『備品』ということです。備品なら、いくらでもありますからね。」
スマイルは微笑しながら指を鳴らす。それと同時に周囲の景色が空気のように歪み、大量のヒューマノイド兵器が現場を取り囲んだ。黒い無表情な顔、均一な動き、そして嫌悪を感じさせる聖胎の臭い。ヒューマノイド兵器たちは黙々と戦闘態勢を整え、四方から俺を包囲した。
「……またこいつらか!こんな雑魚で俺を足止めできると思ってるのか?」
「さて、どうでしょう。チェスでは、ポーンをうまく使えばナイトを取れることもある。個人の武勇を否定するわけではないが、人間の強みは知恵と集団の力ですからね。」
スマイルは微笑を浮かべながら腕を振り下ろした。
「では、六花と共に一局お相手願いますよ、バイオス君。これがきっと良い経験になることでしょう。」
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