第36話 教皇

アンジェリアの手配で、俺たちは一時的に教皇の護衛として彼女に仕えることになった。少し妙な気もしたが、ファスティオラの署名入りで同意された書簡を見せられては、シーとメムを連れてやるしかなかった。


教皇であるガーネット・ルミナス・ファリサイ三世という少女に随伴し、しばらく観察した後、俺なりに彼女を分析した。


一言で言えば、この小柄な教皇は「大智は愚の如し」なタイプだ。


普段の行動は年齢相応。甘いものと書が好きで、朝寝坊もするし、時には買い物に行きたいと駄々をこねることもある。社交性は高く、メムとは趣味が合うようだし、口数の少ないシーとも話題を見つけられている。華やかな象徴的な服を脱げば、普通の女の子にしか見えない。シーやメムと楽しそうに笑っている姿は、とても可愛らしい。


だが、この少女は時折、深く考え込むような、そして教皇にふさわしい荘厳な表情を見せることがある。


「普段の様子からは分からないかもしれませんけど、教皇様は本気で前代の理想を受け継ごうとしていらっしゃるんですのよ——まあ、その努力が報われることはほとんどないんですけどね。」


勤務の合間、アンジェリアはバルコニーにもたれ、タバコを吸いながら俺に話しかけた。彼女の顔には、いつものようにいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。


「いかがですか?」


アンジェリアはそう言ってタバコを差し出してきた。俺はそれを受け取り、指を鳴らして火をつけた。


「神職者がこんな嗜好品に手を出していいのか?」


「まぁ、わたしは神職者である前に兵士ですからね。このくらいの娯楽、聖女様もお許しになるでしょう。」


アンジェリアは一息深く吸い込み、甘い香りの煙を空中に吐き出した。


「今の教皇庁の雰囲気、感じていらっしゃる?」


「……」


「ガーネット様を不適任だと思っている方がたくさんいますのよ。それ以上に、もう一人の教皇候補であるエリザベス様を推している人が多いです。戦闘シスターとしての経験があり、教区の運営や外交交渉でも実績のあるエリザベス様に比べて、ガーネット様が教皇に就任したのは、ただ前任者の一言によるものですから。それに対して不満を抱いている人々も少なくないんです。さらに最近現れた歌姫や、刺殺予告の件で、ガーネット様の教皇庁内での信用はどんどん落ちていますわ。」


アンジェリアは微笑みながら俺を見た。


「こんな教皇様にお仕えすることになって、運が悪かったとお思いですか?」


「そこまではないさ。短い時間しか一緒にいないけど、ガーネットは教皇として人格的に問題があるとは思えない。」


「ええ、人格だけを見れば、ね。魅力も実績も後ろ盾もないガーネット様には、なかなか人心を集めるのが難しいんです。それはご本人もよくご存じでいらっしゃいます。だからこそ、今回の歌姫の事件を利用して、自分の話題性や名声を高めようとなさっているんじゃないかしら。見た目には表れませんけれど、あの方も政治的な小細工くらいは考えているようですのよ。」


「ああ。その歌姫について、もっと詳しく聞きたいんだが。できるだけ詳しく、町で噂になっている歌姫って何なんだ?それに、なぜ殺害予告が出ている?」


「『本物の聖女の意思の代弁者』と自称する歌姫が現れたんです。その歌姫を中心に、ガーネット様に失望された方々が、歌姫を支持するようになっています。」


アンジェリアは肩をすくめた。


「他の教皇なら、こういった事態も放っておけば自然に収まるかもしれませんが、ガーネット様の場合はそうはいかないでしょうね。勢力を拡大している歌姫派は、聖女信仰の象徴である教皇庁の根本を揺るがしつつあります。ガーネット様には人心を束ねる力がなく、過激な教廷のメンバーを抑えることもできず、改宗者たちへの対応も遅れたせいで、反発がより大きくなっているんです。それに加えて、流れ込んでいる難民が歌姫派の力をさらに強化しています。表面上は静かに見えますが、この街、実は暴動の一歩手前ですね。」


「……聞いた感じだと、思った以上に危険な状況だな。どうして今まで放っておいたんだ?それに、この歌姫派ってのは何者だ?どうしてそんな短期間で勢力を拡大できた?」


「簡単な理由です。」


いつも笑みを浮かべていたアンジェリアが、初めて少しだけ眉をひそめた。


「その歌姫、聖女の奇跡を行使できるんですのよ。」


「……奇跡?」


その言葉を聞いて、俺の胸に警鐘が鳴り響いた。嫌な予感が背筋を這い上がってくる。


「そう、奇跡よ。聖女様も使用した『頌歌しょうかの奇跡』です。」


アンジェリアは何か嫌なものを感じたかのような表情を浮かべ、ポケットから何かを取り出して俺に投げ渡した。


「どうぞ。これ、教皇様を襲おうとした人物から見つかったものですわ。」


「……ペンダント?」


見た目は質素な装飾品だが、明らかに聖女のフルール・ド・リスの紋章に似ている。これを握った瞬間、説明できない懐かしさが湧き上がってきた。しかし、その感覚を深く考える間もなく、違和感が襲ってきた。


歌が聞こえたのだ。


伸びやかで、緩急があり、澄みきった美しい歌声。それはまるで全てを包み込む海のようであり、自由を与える空のようでもあった。その歌声の中で、俺は光を幻視した。光の中から現れた一人の少女が、上から俺を抱きしめてきた。柔らかな髪が耳に触れ、彼女は俺の耳元でそっと歌い続ける。


「っ!」


俺はペンダントを投げ捨て、冷や汗が額に滲んだ。少し休んだ後、再び視線をアンジェリアに向けた。


「……今のは、何だ?」


「それが、歌姫の信者たちが言う『頌歌の奇跡』です。」


アンジェリアは淡々と答えた。依然として冷静に煙を吐いている。


「なるほど、貧しく困窮し、戦火にさらされた難民や、信仰が揺らいでいる者たちにとっては、まさに劇薬だな。」


俺は懐からハンカチを取り出し、ペンダントを包んで直接触れないようにした。


「でも、これはどう見ても本物の奇跡じゃない。」


アンジェリアは片眉を上げた。


「どういうことです?教皇様や教皇庁もこれを否定したいとは思っているでしょうが、現象としては確かに存在しているんじゃありませんか?」


「ああ。『高度な科学は魔法と区別がつかない』って言葉があるだろう?これは、その奇跡バージョンだ。」


頌歌を聞いたときに浮かんだ、周囲に漂っていた特徴的な記録形式のルーン文字を思い出し、俺は断言した。


「これは人為的に作られた、奇跡と呼ばれる虚像エーアールだ。」

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