第35話 お茶会

「私はね、誰にも期待されていない教皇なの。こんな私でも、世界を変えたい」


アンジェリアの指示でテーブルに座り、紅茶を一口飲んだところで、正面に座る少女教皇が突然口を開いた。石榴ざくろのような赤い瞳は油断なく俺たち三人を観察していた。


「私、すごい家柄でもないし、強力な支持者もいない。私の近衛になってくれるベテランのシスターはアンジェリア一人だけ。ほら、私自身だって見ての通り、ちょっと可愛いだけの普通の子で、特にすごい才能とか力なんてないの。教皇になれたのは、ただ前任者が指名したからってだけ。当然、名声なんてものは全然ない。アンジェリアに紹介される前に、あなたたち、私の名前なんて聞いたことなかったでしょう?」


「ああ、失礼。俺たちは……」


「言い訳なんてしなくていいのよ、バイオス。分かってるから大丈夫。」


教皇はいたずらっぽく笑いながら、優雅にカップを手に取り紅茶を一口飲んだ。その姿を見ながら、俺は思わず質問を口にした。


「俺たちのことを知っているか?」


「うん、もちろん。そうじゃなきゃ、あなたたちをここに呼んだりしないわ。」


「……はぁ。」


もっと威厳のある人だと思っていたが、予想以上に親しみやすい態度だった。俺はつい、横に立っているアンジェリアをちらりと見た。彼女は教皇の相談役かと思っていたが、このシスターは教皇の言動にまるで無関心のように、ただ微笑みながら観察しているだけで、髪を弄んでいた。


何か違和感が脳裏をよぎった。しかし、その違和感の正体を考える間もなく、教皇――つまりガーネット・ルミナス・ファリサイ三世が次の言葉を投げかけてきた。


「聞いたんだけど、あなたたち三人、前回のガリバ大公領侵攻作戦で、ルシファーの装備を大量に無力化したって本当?」


「……そういう言い方だと少し語弊がある。あれは捜索行動だ。」


「だからね、そんな言い訳なんて必要ないのよ。そもそも、あなたたちは決定権を持つ立場じゃないでしょう?私は責任を追及しようとしてるわけじゃないんだから。それに、武力偵察だったって言い張りたいのかもしれないけど、凶鳥オミナスの行動規模はやっぱり大きすぎるわよね。」


教皇はフォークで一口ケーキを掬い、咀嚼しながらフォークを振り回していた。


「オミナスがほぼ殲滅する形で公領の守備軍を打ち破り、軍を統べる大公を生け捕りにしてくれたおかげで、今王国は大混乱の真っ只中よ。他の国々がこの機を逃すまいと、大公が捕らわれ、指揮系統が乱れた一夜にして、領土の3分の1が侵略されちゃった。」


教皇は肩をすくめた。


「議会の派閥はみんな軍権を握ろうと騒いでるけどね。公女の行方も不明だし、曙の明星ルシファーは彼女を保護していないと否定してるし、凶鳥オミナスも彼女を殺していないと主張している。法定継承者が失踪したとされる今、議員たちはどうやって大公の財産を分け合うかで頭を悩ませてるわ。私たちの枢機会もその分け前を狙ってるみたいね。まあ、私には関係ない話だけど。そういうことはおじさんたちに任せればいいのよ。」


「はあ。話を聞く限り、かなり厳しい状況だな。」


「王国の民にとってはそうでしょうね。ここは政治的な中立地帯だし、はっきり言って王国には属していないの。理論的には、常識のある人ならここを攻撃しないし、私たちに宣戦布告することなんてありえない。まあ、余談だけどね。」


教皇は再びマカロンを手に取り、それをぱくっと口に入れた。


「言いたいのはね、これがオミナスとルシファーの争いの結果ってことよ。今、この街に避難してきた王国の難民が溢れかえっていて、外にはどんどん大きくなっている難民キャンプまでできてるの。それに、王国のこの事件はほんの一例に過ぎないわ。オミナスとルシファーは、世界中の国々で暗躍している。想像できる?異なる理念を持つ強大な組織同士の衝突で、家を失い、さまよう人々のことを。痛ましいとは思わない?」


「……民のことを心配してるって言いながら、さっきからずっとお菓子食ってるように見えるけどな、猊下げいか。」


「そんな堅苦しい呼び方はやめて、ガーネットでいいわよ。それに、私がこのお菓子を食べなくても、難民たちに渡るわけじゃないしね。そこまで偽善者じゃないの。無駄にしないほうがいいってだけ。だから、あなたたちももっと食べなさいよ。」


教皇――ガーネットに促されて、俺もマカロンを一つ手に取った。久々に感じる甘さが口の中に広がり、なんだか懐かしい気分になった。この世界に来て、甘いものを食べるのは初めてかもしれない。オミナスは普通の食事は出るけれど、量が多くて肉や野菜が中心で、甘いものを食べる機会はなかった。シーもメムも嬉しそうだ。


「でも、今の状況を変えて、人々を助けたいという気持ちは本物よ。身分が特別なあなたたちを呼んだのも、こうして平和を作り出す一助となってほしいからなの。ルシファーから生まれ、今はオミナスの一員となったあなたたちが、もし教会で功績を残せば、それが双方の停戦のきっかけになるはずだって。この件を利用して、双方を交渉の場に引き出す自信がある。」


「……そうか。」


「そのためには、まず私が生き残らなければならない。さもなければ、話にならないわ。あなたたちの助けが必要なの。」


目の前のガーネットと名乗る教皇の真意が、まだ掴めないでいた。


「結局ガーネット様は俺たちに何をしてほしいんだ?」


「アンジェリア、例のものを彼女たちに見せて。」


アンジェリアは懐から開封済みの封筒を取り出し、俺に手渡した。ガーネットがうなずき、俺はその手紙を取り出したが、その内容に思わず眉をひそめた。


「暗号だな。」


「その通り。私たちには、それを解読できる人材がいない。だから、あなたたちを呼んだ理由の一つが……」


「できた。」


「……え?」


呆然とした顔をしているガーネットを無視して、俺は手紙に書かれた隠された内容を読み上げた。


「『偽りの教皇は、頌歌しょうかの歌姫により引き倒す。福音が遍く行き渡らんことを、聖女よ慈悲を垂れ給え』――そう書かれている。」


「——へぇ。」


「ふん、やっぱりか。」


アンジェリアは目を細め、ガーネットは考え込むような表情を見せたが、特に驚いている様子はなかった。


「これは、どういうことだ?」


「私の命を狙っている奴がいるっていう情報が入ってるの。この都市には、ある歌姫を崇拝する団体が現れたわ。彼らは私を排斥し、裁こうという言論を広めている。このままいけば、いずれそれが実際の行動に移されるだろうね。」


まるで天気の話でもしているかのように、ガーネットはクッキーをかじりながらさらりと言った。


「教皇庁の連中は、アンジェリア以外ほとんど信用できないのよ。あなたたちに今回任された任務の詳細については、すでに正式な申請として戦団長ファスティオラに送ってあるわ。アンジェリアが犯人を突き止めるまで、あなたたちには私の身辺警護をしてもらう。それが、ここに来てもらった理由よ。」

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