第27話 名もなき紳士

イヴリス・フォン・ヴァンデルシール・ガリバとの出会いは、今からおよそ二ヶ月前のことだった。


俺たちの小隊はガリバ大公邸に設置された端末の一つに、鹵獲した装置を介して接続することに成功した。ガリバ大公邸の脆弱な防御は、すでにルシファーの防壁を突破した実績のあるリリアと、高性能な俺たちにとっては大した障害ではなかった。


大公邸はルシファーの装置を数多く利用している。俺たちは、過去に研究所で働いていた経験を活かし、プロトコルを使ってこれらの装置の操作権をすぐに手に入れた。とはいえ、それらは全て無人端末に過ぎず、俺たちトリニティシステムのように思考能力を持っているわけでもなく、また兇鳥オミナスが狙う聖胎技術が使われているわけでもなかった。リリアはさらに探索を続けるよう指示し、その時に俺はイヴリスの存在に気づいた。


カメラを通じて見えたのは、ベッドに横たわる少女、つまりイヴリスが微笑みながら素早くキーボードを叩いている姿だった。




>>イヴリス:紳士さんがまた来てくださって嬉しいわ。二日ほどお会いしなかったので、少しだけ消えてしまうんじゃないかと心配していましたのよ。前回のお話の続きを楽しみにしていましたわ。


>>俺:お待たせして申し訳ない。


>>イヴリス:忍耐も淑女の嗜みの一つですもの。紳士さんのような不誠実でモテるそうな方は、外でまた女性を口説いていたんじゃなくて?でも、今日もこうして私の前にいらっしゃるということは、少しは私に魅力があるという証明かしら?


>>俺:不誠実だなんて。ずいぶん厳しいご指摘だな。俺は心からイヴリスが魅力的だと思っているよ。


>>イヴリス:あら、でも自称紳士のあなたが、こうしてこっそり私に近づくそのタイミング自体がすでに不誠実じゃないかしら?まあ、ありがとう。そのお褒めの言葉は一応、社交辞令として受け取っておくわ。


>>俺:社交辞令じゃない。心からそう思ってる。


>>イヴリス:どうかしらね。本には、紳士さんのような方の褒め言葉はあまり信じすぎないほうがいいって書いてあったわ。きっと同じ言葉を他の女性にも何度も言っているのでしょうね。でも、私は寛大ですから。淑女とは、小さな秘密を許す心の余裕も必要ですもの。


>>俺:イヴリスに疑うことを教えるなんて、その本はあまり真っ当な教科書じゃないな。


>>イヴリス:いいえ?私はとても参考になる本だと思っていますわ。淑女とは、魅力を磨いて相手を惹きつけるものですって書いてありましたもの。ほら、紳士さんだってこうしてまた戻ってきたじゃない。どんな困難をも排除し、数々の障害を乗り越えて、文字だけの手段でも厳重な大公邸に侵入して、私に会いに来たのでしょう?


>>俺:そう言われると、否定しがたいな。


>>イヴリス:でしょう?もっと私に溺れても構いませんわ。私は寛大ですから、あなたに少しばかりの愛情を施して差し上げます。


>>俺:それは光栄の至りだ。こうしてあなたと過ごせる時間を与えてくださり、感謝しますよ、マイレディ。




ふふっと、カメラ越しに映るイヴリスは、優雅に口元を手で覆いながら、軽やかに笑みを浮かべた。




>>イヴリス:なにそれ?紳士さんも騎士様のように話せるのですね。


>>俺:ああ。少しは努力して勉強したんだ。最近、身近にいい手本があってね。イヴリスに気に入ってもらえたなら嬉しいよ。


>>イヴリス:あら。紳士さんの周りには騎士様がいらっしゃるのですか?やはり、紳士さんの生活はとても多彩ですわね。もっとこの籠の中の小鳥に、外の世界のお話を聞かせてくださらない?


>>俺:大したことはないさ。仕事して、食事して、寝る。それだけ。俺の日常は、イヴリスが思っているほど華やかじゃない。むしろ、俺の方が籠の中の鳥に近いかもしれない。つい最近まで、自由に動ける権利すら持っていなかった。


>>イヴリス:そうなの?つまり、紳士さんはかつて囚人だったのかしら?


>>俺:がっかりしたか?かつて囚われていたかもしれない、あるいは犯罪者や危険人物だった俺に。怖くなったか?


>>イヴリス:いいえ?紳士さんが囚われていたのは、きっと何かしら避けられない理由があったのでしょう。私は、あなたが犯罪を犯すような人とは思いません。何かしらの事情で身動きが取れなくなっただけだと思っています。それに、たとえ紳士さんが危険な人物だったとしても、私は構いませんわ。むしろ、それでこの会話がより一層スリリングなものになったじゃありませんか。


>>俺:イヴリスは、本当に恐れを知らないんだな。


>>イヴリス:それは当然ですわ。私は大胆で華麗、そして栄光あるガリバ一族の長女ですもの。小さな瑕疵かしくらいは許してあげる。喜びで震えるがいい、紳士さん。


>>俺:イヴリスはいつも元気だな。今日は特に言葉が鋭いけど、何かいいことでもあったのか?


>>イヴリス:どうかしら。別にそんなに良いことがあったわけではないの。ただ、お父様が私の病を治す方法が見つかるかもしれないって言っただけのことよ。


>>俺:そうか。


>>イヴリス:まあ、私は期待せずに待っているつもりよ。お父様には申し訳ないけれど、今回も成功するとは思えないわ。これまでたくさんの人が特効薬を持っていると主張してきたけれど、誰一人として私を立たせることができた人はいないのだから。




イヴリスがこれらの言葉をキーボードに打ち込む時、その表情には一切の感情の波が見られなかった。淡々と、ただ事実を述べているかのように見えた。




>>イヴリス:お父様もそろそろ現実を受け入れて、私の継承権を剥奪すべきよ。剣の一族に生まれながら、立つこともできず、剣を振るうこともできないなんて、体面上も伝統的にも耐え難いことでしょう。ましてや軍を率いるなんて到底無理だわ。たとえ今この瞬間、奇跡的に立ち上がれたとしても、この長い空白は埋められない。お父様は早く分家から有望な養子を見つけて、しっかり教育するのが賢明よ。


>>俺:……イヴリスも、大変なんだな。


>>イヴリス:いいえ?何も大変ではないわ。私は汗もかかず、努力もしていないのだから。そもそも、私は最初からスタートラインにすら立っていないの。毎日を無為に過ごしている私に比べ、汗まみれで生きるために必死になっている紳士さんの方が、ずっと苦労しているわね。だから、褒めてあげるわ。よくやった、生きていて偉いわね。


>>俺:感激の極みだ。君の褒め言葉、ありがたく頂戴するよ。


>>イヴリス:ええ。精進しなさい。


>>俺:それにしても、今回の特効薬ってどんなものなんだ?少し興味が湧いたな。


>>イヴリス:さあ?曙の明星ルシファーという団体のものらしいわ。近いうちに私の診断をして、それに合わせて何か補助具ほじょぐを作ってくれるとか言っていた。どうせ少し豪華な杖か何かで、お父様のお金を騙し取るためのものなんじゃないかしら。


>>俺:補助具、ね。


>>イヴリス:ええ。父様は『第三世代量産型のカスタム版』で、『最新の技術を使っている』と言っていたわ。来週、技術者と会って試作品を試す予定だけど、私は興味ないわ。もう期待しないことを覚えたから。


>>俺:なるほど。




第三世代の量産型か。どうやら、俺たちの前の世代の機種らしい。しかも、すでに量産され、使用者のニーズに合わせたカスタマイズまで可能になっているとは。いずれにせよ、この情報は兇鳥オミナスが狙っているバイオコンピュータの重要な手がかりかもしれない。俺は心の中でこの事実をしっかりと記憶に刻んだ。




>>イヴリス:さて、私の話はこのくらいにして、前回のお話の続きを始めてくださるかしら、紳士さん。


>>俺:お望み通りに。マイレディ。




俺は記憶から、前世で見た小説や映画を掘り起こした。それを少し改編し、ルーンを操りながら物語を編み上げ、目の前の少し寂しげなお嬢様に披露した。

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