第25話 ミッション

意識の海に漂う。


俺は魂の触手を伸ばし、周囲に浮かぶ発光するルーン文字に触れた。生まれた時から馴染み深い青白い魔力が、俺の意念に応じて帯状に組み立てられていく。無数の文字が渦を巻くように組み合わさり、前世で見たことのあるDNAのような形になった。俺は絶え間なくその織りなす文字を伸ばし、意識の境界へと送り込んでいく。


今、俺は懐かしい黒い泥に浸っている。過去とは違い、これは自分の意思でこの領域に入っていると自覚している。もう囚われの身ではない。意識の触手を巧みに操りながら、俺はルーンを生成し、重ね、織りなす。その感覚は、まるで水を得た魚のようだ。


どれくらいの時間が経ったのだろうか。俺が同じ動作を繰り返しているうちに、もともと散乱していたルーン文字は、今や美しい一枚の絵のように形作られていた。


そして、訓練終了を知らせる短い通知が目に入った。


俺は意識の触手を自分へと戻し、「黒の泥」との接続を「閉じた」。水中から引き上げられるような感覚を経て、四肢に再び触覚が戻ってくる。わずかな喪失感と身体に戻った安堵感に浸りながら、俺はゆっくりと目を開けた。


目の前に広がるのは、最近見慣れた天井だった。


「おどろいた。」


目の端に、炎のような赤い髪が映った。リリアだ。


「AからEXまで、合計百を超える課題をすべて突破し、所要時間はわずか2.36秒。ルーンの同期率は99.73%。何度見ても、狂気じみた数値だわ。」


ポッドの中から身体を起こすと、白衣を着たリリアが手に持ったデータを確認していた。彼女の顔には、驚きと悔しさが交錯しており、下唇を軽く噛んでいる。


「これは普通の人間には到底できないレベルよ。理論上、訓練を積んだとしても同期率はせいぜい65%が限界だわ。あなたたち三人は、この分野においては完全に化け物ね、バイオス……さん。」


「まあね。この仕事のために生まれてきたんだから、それなりに得意でも不思議じゃないだろ。」


「……っ。」


俺は伝導液に浸かっていたポッドから出ると、裸の体が空気に触れ、ひんやりとした感覚が肌を包んだ。濡れた髪を耳の後ろに撥ねながら、鉛筆を噛んでいるリリアの近くへと歩み寄った。


「でも、いくらなんでもスピードが尋常じゃない……!」


「まあ、既に一度見たことがある技だからね。経験もあるし。俺がやってることなんて、隙を突いたり、逆推理したり、パターンを分析してるだけだ。本当にすごいのは、このシステムと理論を作り上げ、実用レベルまで引き上げたリリアだ。破綻がいくつかあるのは否めないけどな。」


「くっ……ギギギ……おっしゃる通りです、バイオス、さん……!」


まるで壊れたロボットのように頭をぎこちなく動かし、悔しそうに歯を食いしばるリリアを見て、俺は思わず苦笑した。


「そんなに無理して、わざわざそう呼ばなくてもいいんじゃないか?ただの冗談の賭けだったんだし。」


リリアは鋭い目で俺を睨みつけた。


「憐れんでいるのか、バイオス、さん?私はリリア、誇り高きオミナスのサーヴァント!言ったことは必ず守るわ!」


「でも、もし俺がもう気にしてないなら、そんなに無理しなくても……」


「お黙り!覚えておきなよ、完全に認めたわけじゃないわ。ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、あなたが私より強いことを認めただけよ!この程度の差、すぐに追いつくんだから!首席の座はしばらく譲っておいてあげるけど、すぐに取り返してやる!覚悟しなさい!」


「はあ……」


ふんっとリリアは腕を組み、頬をふくらませた。そんな時、部屋のドアの向こうから機械の作動音が聞こえてきた。


「やあ、リリア。最近、新しいメンバーたちと……その……うまく……っ」


「お帰りなさい、アスガード殿。」


若い騎士が扉を開けた瞬間、彼は一瞬固まった。目を大きく見開き、俺に視線を向けたかと思うと、ほんの半秒で床に視線を落とした。彼の頬は赤らみ、太い指で頬を掻きながら困ったような表情を浮かべていた。


「……あっ!あんたバカじゃないの!アスガード様に何見せてんのよ!」


パタパタと慌ただしい足音を立てながら、リリアは大きなタオルを持ってきて、俺の肩にかけた。そこでようやく自分の失態に気づいた。リリアは俺にタオルをかけながら、視線を俺の首から下に一瞬だけ向け、その表情が不機嫌そうに歪んだ。そして「ふん!」と鼻を鳴らし、俺の頭を強く一発叩いた後、顔を真っ赤にして怒りながらぴょんぴょんと跳ねた。


「……こんな程度の駄肉なんて、すぐに追い越してやるんだからね!早く謝りなさいよ、駄肉……じゃなくてバイオス、さん!さっさと服を着替えて!いつまでボーッと突っ立ってるのよ!」


「……失礼した、アスガード殿。訓練が終わったばかりで、気が回らず……俺の不手際だ。」


「えっ、あ、いや。そんな、全然。僕のほうこそ、ノックもせずにいつもの調子で入ってしまって、失礼だった……」


「いえ、どうぞお気になさらず。今すぐ着替えてくる。」


「そ、そうだね。どうぞ。」


俺は急いで体を拭き、サーヴァントの制服に着替えてリビングに戻った。リリアがアスガードにお茶を出しているところだった。アスガードは俺を見ると、視線がどこか定まらない様子で、照れた顔に赤みが残っており、その大柄な体格との対比がなんとも妙だった。


「?」


「……お座りください、バイオス嬢。話がある。それと、シー嬢とメム嬢は?」


「二人は今、食堂で料理長の手伝いをしています。呼んできますか?」


「ククリさんのところにいるのか。それなら大丈夫、後で君たちから伝えてくれればいい。」


アスガードは姿勢を正し、表情が引き締まった。


「君たちに任務がある。リリア、これからの任務は君が主導するから、しっかり聞いてくれ。前回の経験もあるし、慣れているだろうけど、油断は禁物だ。」


「はい!アスガード様!」


「任務、か。」


俺の問いに、アスガードは頷いた。


「そうだ。君たちは最近の訓練も順調だし、他のサーヴァントたちとの関係も問題ない。副長も、君たちを早く現場に投入するように指示している。実戦ほど経験を積むのに適した場はないから。」


「……実戦。」


俺の頭に一瞬、不安がよぎった。それを見透かしたように、アスガードは微笑んだ。


「ええ。ただし、血みどろの戦いではない。君たちが本領を発揮できる戦い、バイオコンピュータ対策と情報収集が中心となる。」


アスガードは一束の資料を取り出し、テーブルに広げた。


「バイオス嬢は、リリアや他の者からこの国についてある程度の説明を受けていると思うが。」


「まあ、多少はな。」


「それなら簡潔に説明する。この国には、権力を握る三人の大公がいる。今回の任務の目標は、その中で軍事を司るガリバ大公だ。」


アスガードは太い指で資料を何度か指し示した。


「情報によれば、ガリバ大公は曙の明星ルシファーと接触し、何らかの協定を結んだ可能性がある。大公領の国境では、ルシファーのメンバーの出入りが確認されている。内部の情報によると、運び込まれたのはバイオコンピュータかもしれない。」


「なんてこと……剣の一族として知られ、陸軍をほぼ掌握しているガリバ大公が……」


リリアの顔に緊張の色が走った。アスガードは頷き、話を続けた。


「具体的な協定の内容や進行状況、そしてガリバ大公がなぜルシファーと取引をしているのかは、現時点では不明だ。しかし確かなのは、ルシファーの影響がこの国の中枢にまで及んでいるということだ。だからこそ、我々は早急に情報を集め、正しいタイミングで教会や議会、さらには他の大公や王に働きかける必要がある。この国の軍事力が完全にルシファーの聖胎技術で武装されれば、周辺の小国を圧倒することになる。」


アスガードは資料をめくり、新たな行を指さした。


「幸いなことに、我々は支持者の議員や教会と手を組み、この国で聖胎技術の使用を禁止する法案を通すことに成功した。だから、十分な証拠さえあれば、ガリバ大公を法的に告発できる。不幸なことに、大公は自らの権力を使って、すべての調査を阻止し、聖胎の使用を認めようとしない。この状況でこそ、我々の出番だ。」


「……なるほど。ガリバ大公の尻尾をつかむってわけだな。」


「その通り。我々の任務は、バイオコンピューターに関する情報を収集し、ガリバ大公が聖胎技術を使用している証拠を掴むことだ。もし潔白が証明されればそれに越したことはないが、そうでなければ、我々が強制的に介入する必要がある。」


俺は思わず眉をひそめた。前世で法治国家に生まれた身としては、この世界の証拠収集のやり方がやや乱暴に思える。しかし、ここでは郷に入っては郷に従うしかない。アスガードが振り返り、テーブルにある機器を置いた。そのボタン配置や外装のデザインを見て、俺はすぐにそれがルシファーの装置であることを認識した。


「ああ、ルーン信号端末か。」


「おや、バイオス嬢はこの装置を知っているんだ。」


「知っているどころか、もう飽きるほどに使った。俺がいた研究所では、この装置を使ってルーン信号を各端末に送信し、指令を受け取ったり、装置を操作したりしていたんだ。適切な中継点があれば、信号は多分小さな国の半分くらいまでカバーできる。」


「そうか、なら話は早い。これは最近、ガリバ大公領で鹵獲した装置だ。君たちの任務は、この端末をポッドと接続して、大公領内に設置されたバイオコンピューターの証拠を探ることだ。実際の証拠を掴んだら、我々が偵察部隊を派遣し、突撃する。リリア、さっきも言ったが、この任務では君が隊長だよ。バイオス嬢には副官としてリリアをしっかりサポートしてもらいたい。何か問題があれば、すぐに報告してくれ。」


「はい、アスガード様!」


「分かった。」


「では、任務の説明はこれで終わり。」


アスガードは厳しい表情を和らげ、再び笑顔を浮かべた。


「さて、真面目な話はここまでだ。ちょうど昼食の時間だし、二人とも食堂に一緒に行って昼食をとらないか?」

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