第22話 交渉

よく考えろ。


前世で培った交渉の経験をフルに動員しろ。今、俺が説得しなければならないのは、すでに俺たちの処遇について結論を下している老者でも、同情を抱いている若い騎士でもない。向かいに座っている女性、戦団長ファスティオラだ。


彼女は静かに俺を見つめている。その瞳には感情の波が見えない。ただ、俺の言葉を待っているようだった。部屋は静寂に包まれ、戦士たちの視線が、まるで重石のように俺の全身に圧し掛かってくる。唇が乾き、心臓が早鐘のように打ち始めた。俺の一言で、シーとメムの運命が決まるのだ。今、俺たちは戦闘を終えたばかりで、体の状態は万全じゃない。しかも、相手は圧倒的な強者だ。どうしても言葉でこの窮地を乗り越えなければならない。


冷や汗が鼻先を伝う。自分の呼吸音が異様に大きく感じられる。


俺は息を整え、呼吸を深く、何度か繰り返した。ようやく冷静さを取り戻した頃、もしかしたら錯覚かもしれないが、ファスティオラの瞳が少し驚いたように見えた。しかしそんなことを気にしている余裕はない。今こそ、この機会を逃さず、慎重に練り上げた言葉を口にしようとした。


だが——。


「生きたいんだ。」


用意していた数々の言葉は喉元で消え、最終的に口から飛び出したのは、そんな飾り気のない切実な願望だった。俺は思わず自嘲気味に笑ってしまった。


「三人で、自由に生きたいんだ。」


老騎士マルクスの眉がわずかに動き、若い騎士アスガードは重苦しい表情を浮かべた。そして、目の前の戦団長は、相変わらず澄んだ、だが感情を読み取ることのできない瞳で俺を見つめている。


「この世界を見たい。色々なものを食べたい。夜を恐れずに眠りたい。自分の足で大地に立って、生きていきたい。俺たちは、ささやかな幸せを求めている。」


「それは無理な話じゃ、小娘。」とマルクスは言った。「聖胎から生まれたという宿命が、お前たちに平凡な日々を許すことはないんじゃ。」


「ああ、分かってるさ。最初から凡人としての日常を奪われ、意識を持つようになってからは奴隷のように扱われた。もしも優しい人たちの助けがなければ、五感すら手に入らなかったかもしれない。だけど、それでも俺は憧れているんだ。広大で、未知の世界に――」


俺は目の前の戦団長を睨みつけた。


「自由のために、そして家族のために、俺はすべてを捧げよう。」


「ほぅ?すべて、だと。なかなか言うじゃないか。」


ファスティオラが口を開いた。


「もし私が今、君たちの自由を奪うと言ったらどうする?」


「戦う。」


シャキン。俺が言い終えると同時に、周囲の戦士たちが一斉に銃口を俺に向けた。冷たい殺気がまるで俺の心臓を締め付けるかのように襲いかかる。込み上げてくる吐き気を押し殺しながら、俺はファスティオラを睨み続けた。


「戦うじゃと?お前ごときがか?負傷しておった一人の戦闘員を倒しただけで、図に乗っておるんじゃないかのう?」


マルクスが口を挟んだ。


「お前みたいな小娘が、わしらブラッククロウ戦団の包囲を突破できると思っとるのか?随分とわしらを侮っとるようじゃな。」


「そうだな。正面から挑めば俺たちは間違いなく死ぬだろう。」


「で?そこまで言う、まさかわしらがこんな簡単にお前を逃がすとでも思っとるんか?」


「違うぞ、ご老人。戦う相手はお前たちじゃない――取引しよう。」


「取引だと?君、なかなか面白いことを言うね。」


ファスティオラが興味深げに笑った。一方、マルクスは唾を吐いた。


「くだらん。研究所で飼われとったお前らに、一体何の交渉材料があると言うんじゃ?お前らが持ち込んだ装備なんぞ、すでにわしらが押さえとる。お前らの知識を引き出す手段もいくらでもあるわい。交渉の余地など微塵もないわ。」


「まあまあ、爺や。彼女の話を最後まで聞いてやれ。」


「……ふん。」


「確かに、お前たちの言う通り、俺たちの肉体はお前たちに押さえられているかもしれない。だが、まだお前たちが手に入れていないものが一つある。」


「ほう?何だ、それは。言ってみろ。」


「それは、ソウルだ。」


「……」


「交渉の材料は、俺たち三人の魂だ。」


「プフッ。アハハハハハハ!」


ファスティオラは涙を浮かべながら笑い出した。マルクスは眉間の皺がさらに深くなり、アスガードの顔も引きつっていた。しかし、俺は気にせず続けた。


「俺たちの力を貸してやろう。屈しない、自由のために戦い続けるこの三つの魂をな。俺たちは誓おう、もし自由を与えてくれるなら、生涯をかけてお前たちの志に尽力する。世界中にある聖胎を、この手で焼き尽くしてやる。」


「大きな口を叩くじゃないか。」


周囲の騎士たちの殺気を遥かに凌ぐ威圧感が襲いかかってきた。さっきまでの騎士たちの殺意がまるで巨浪だったとすれば、今のこれは底知れない、嵐を孕んだ荒れ狂う海そのものだった。


「君たちのその貧弱で生き延びることしか考えられない魂で、我々オミナスが数世紀にわたって抱き続けてきた悲願を成し遂げるだと?傲慢だな。無知で、愚かしい。今すぐ君を真っ二つに引き裂き、姉妹と一緒にすべてを焚き火の中に投げ込んでやろうか?一体何を根拠にそんなことができると思うんだ?あぁ?」


俺の呼吸は荒くなり、視界がぼやけてきた。巨大な圧力に心臓が押し潰されそうになり、死の気配が鎌を俺の首に押し付けているようだった。体は震え、足元がふらつき、今にもファスティオラの前に膝をついてしまいそうだった。


だが、それでも俺は口を開いた。かろうじて。


「……できるとは思ってない。」


「何だと?」


「やらなきゃいけないんだ。俺たちには、それしか生きる道はないんだから。」


俺は全身の力を振り絞り、再びファスティオラを睨みつけた。俺の目を見据え、彼女は少し目を見開いた。しばらくして、戦団長の顔に薄い笑みが浮かんだ。


「ふん。まあ、合格ってところか。」


圧倒的なプレッシャーが一瞬にして消え去った。俺はその場に崩れ落ち、息を切らしながら地面に座り込んだ。


「お嬢。」


マルクスが責めるような口調でファスティオラに言ったが、彼女はただ手を振るだけだった。


「もう決めたわ。細かい調整は爺やに任せる。」


「……承知した。」


「もし本当に君たちが私たちを助け、この世のすべての聖胎を焼き尽くせたとしても、最後に一つ問題が残る。」


ファスティオラは俺に視線を向けた。


「その時、聖胎である君たちはどうする?」


その問いに、俺はすでに考えていた答えを口にした。


「その時は、俺たちも運命を受け入れるさ。」


「……まあ、そういうことにしておこう。」


ファスティオラは俺の言葉をまるで気に留めた様子もなく、ゆっくりと席を立ち、周囲の戦士たちは一斉に頭を下げた。彼女は俺の背後にある扉へと向かい、出ていく前に俺に顔を近づけ、軽く囁いた。


「退屈させるんじゃないぞ、バイオス。」


ファスティオラが部屋を去ったのを確認した後、マルクスは深くため息をついた。


「アスガード。トリニティシステムの管理はお前に任せる。奴らを従者サーヴァントとしてお前の部隊に組み込み、戦団の掟をさっさと叩き込むんじゃ。そして、すぐに使い物になるように仕上げろ。遅れは許さん。これはお前が自分で手に入れたもんじゃ、お嬢を失望させるでないぞ。」


「了解しました。お任せください。」


「それと、お前。」


マルクスの片目が俺に向けられた。


「はっきり言うとくぞ。今のところ、戦団長はお前らの価値がリスクを上回っとると判断しとる。じゃがな、もしお前らが妙な動きを見せたり、損害の方が大きくなるようなことがあれば、わしは戦団長の許可なんぞ待たずにその場でお前らを処分する。分を弁えろ、小娘。」


「心得ている。」


「ふん。さっさと消えろ。目障りだ。」


「行こう、バイオス嬢。まずは君の二人の姉妹を迎えに行きましょう。」


「……分かった。」


アスガードの後を追い、俺が部屋を出た瞬間、ドアは重々しく閉じられた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る