第20話 エピローグ 初めまして。そして、さよなら

夜が明けた。


お久しぶり。そして、初めまして。俺は思わず、空の彼方に向かって呟いた。


今生、ようやく初めての朝陽に触れることができた。


崩れた研究所の中から、外の景色を見渡す。建物の裂け目の向こうには、雪に覆われた大地が広がっていた。遠くの地平線は、金色に染まりながら赤みを帯びた光を放ち始めていた。俺はその光景に呆然と目を奪われた。


頬に冷たい風を感じ、優しい光が俺を包み込むのを感じる。ぼんやりとした意識、痛む体、乾いた喉、今はすべてが癒されるよう。俺の体に、新たな活力が注がれていく。


突然の温かい光に敏感になったせいか、目尻が刺激され、じんわりと湿ってきた。


「バイオス。」


俺は声の方向に視線を向けた。ナユタだ。今の彼女は、顔が蝋のように白く、命の象徴である赤い血が彼女の足元に小さな水たまりを作っていた。ずっと簪でまとめていた髪は解かれ、紫の長い髪が流れ落ちて半ば彼女の顔を隠す。


「……」


明らかに彼女の命は風前の灯火のようだったが、かつての偽りの天使は、今なおその確固たる瞳で俺を見つめている。


「せっかくの縁だ。最後に、忠告をしてやるよ。まあ、よく聞け。」


「……」


「お前たちは、まだ本当の意味で自由じゃない。この世で初めての演算能力を持つ生体装置として、曙の明星ルシファーも、凶鳥オミナスも、そして他のあらゆる国家機関も、血眼になってお前たちを手中に収めようとするだろう。お前たちに合った機関を見つけて、そこに身を寄せるんだ。少なくとも暫くは、自分の能力を捧げることで保護を得ることができる。」


ぷはっ。ナユタは血を吐き出した。しかし、彼女は全く気にする素振りもなく、ポケットから精巧な金属製のタバコケースを取り出した。ナユタはそれを軽く叩き、震える指で一本のタバコを取り出した。左手の指に挟み、かつては潤んでいた唇に近づけて咥えた。そして、いつもの仕草で指を鳴らし、タバコに火を点けようとした。


パチ、パチ、パチ。両腕が折れているせいか、その弱々しい響きは、以前のような鋭い音にはならなかった。ナユタは苦笑し、タバコは地面に落ちた。


俺はナユタに近づき、しゃがんでタバコを拾い上げた。彼女の真似をして指を鳴らし、火を点けようとした。しかし、どうしても火が出ない。乾いた指の音が、夜明けの光の中で何度も虚しく響いた。


「アホ。」


ナユタは笑った。


「魔力を指先に集めるんだ。お前たちなら得意だろう?ずっと魔法でやり取りしてきたんだからな。点に集中して、炎をイメージし、素早く摩擦するんだ。」


パチッ。ナユタの指導に従い、俺は見事にタバコに火を点けた。かつての世界で嗅いだものとは違う、どこか薬草のような薫りが漂ってきた。俺はタバコをナユタの口に差し込んだ。指先が彼女の潤んでいたはずの唇に触れ、柔らかくも乾いた感触が伝わってきた。


「フン。相変わらず、覚えが早いな。」


ナユタは煙を吸って吐き、背後の残骸に頭を預けた。


「さっきの話の続きだ。もし迷っているなら、まずは凶鳥オミナスに降伏しろ。あのバカどもは人道を高く掲げ、自らの誓いに縛られている。お前たちのように聖胎から分かれた存在に対して好意は持たないだろうが、法のもとでは簡単に処刑されることはない。多少の不自由はあるかもしれないが、少なくとも未来について考える時間は与えられる。しっかり考えて、三人で決断しろ。」


「……」


「二人の姉妹をちゃんと導いてやれよ、バイオス。お前たちは家族だ。失ってから後悔するな。取り戻そうとすると、遠回りをしてしまう。多くのものを捨てて、結局は何も得られない。」


「なぜだ。」


「ん?」


「なぜ、今さらこんなことを。」


「フン。どうしてだろうな。」


ナユタは少し目を閉じ、表情は穏やかで安らかなものに変わった。


「そんなこと、私にもわからん。お前たちが、私自身を思い起こさせるのかもしれん。」


「っ」


「さよなら、バイオス。お前たちが、本当に望むものを手に入れられることを願っている。」


タバコが再び地面に落ちた。今度は俺はそれを拾い上げなかった。俺は彼女のポケットから小さな銀のヒップフラスコを取り出し、蓋を開けて、落ちたタバコの隣に置いた。そして、ナユタの手の中にあったタバコケースを持ち去った。


「……ああ。さよなら。」


俺はさっき覚えたばかりの技術で、自分のタバコに火を点けた。


前世でもあまりタバコを吸ったことのない俺は、湧き上がる煙の匂いにむせ、涙が滲んだ。


なぜ、ナユタはさっきの戦闘であんな自らを燃やし尽くすような技を使った?力を温存して戦っていれば、俺たちに勝ち目はほとんどなかったはずだ。それに、どうしてあんなにも自然にアドバイスをくれて、満足げな笑顔を見せたのだろう?俺にはわからないし、今は考えたくもない。


涙を拭い、雑念を振り払って、俺はシーとメムの方へ向かった。


「バイオスちゃん……ヘクトリさんが……」


地面に跪きながら、メムは悲しそうに首を横に振った。


「そうか。」


ヘクトリの体は、さっきのナユタによる広範囲の攻撃にもかかわらず、奇跡的に原形を保っていた。今はこの研究員は一切動かず、呼吸もしていない。しかし、彼女の口元は微笑んでおり、表情は柔らかく、何か偉業を成し遂げたかのように誇らしげだった。


「……まったく。あいつもこいつも全員、勝手な奴ばかりだ。」


「警告。バイオス。我々は包囲されている。」


「ああ、わかってる。抵抗するな。今の俺たちに勝ち目はない。」


痛みに耐えながら、俺はぼんやりとした意識を必死に保とうとした。深く息を吸い込み、煙を吐き出す。朝の光の中、煙はゆらゆらと空へと昇っていった。両手を挙げて、俺は近づいてくる足音に向かった。


「今回こそは、少しは待遇がいいといいんだがな。」

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