第19話 告死天使

光。


すべてを覆い尽くす光が襲いかかってくる。


もし、目の前に立ちはだかるものが福音の顕現であり、神話の再来であり、救済の響きだというのならば、俺たちはその対極にいる——地獄の中だ。


聖なる裁き。


そんな言葉が頭をよぎり、俺は歯を食いしばり、感覚を研ぎ澄ませた。時間と空間がまるで凝固したかのように、新たな体は粘性の液体に浸されているかのごとく、動きが鈍く感じられた。高速で迫る光は俺の肉体の限界を嘲笑い、凝縮された熱は死神の鎌のように地面を削り取りながら俺に襲いかかる。


死にものぐるいで体を動かし、光の軌道から逸れる。宙を舞った一筋の銀髪が光に触れると、瞬時に蒸発した。空気には、生物のタンパク質が焦げる匂いが漂っている。視界の端で、シーとメムが同時に左右に飛び込んだ。外れた光は壁を撃ち、赤く焼けた溶解の跡を残した。


内臓が痛みに圧迫された。光を避けたその一瞬の意識の隙をつくように、ナユタが起点と終点を折り畳むかのごとく俺の目の前に瞬間移動してきた。冷たい金色の瞳が俺を見下ろし、重い拳が俺の横隔膜に突き刺さる。


まるで押し込められたスプリングが弾けるように。ナユタが身をひねり、深く、暴力を俺に叩きつけた。


「ぐはっ!」


景色が高速で後退していく。気づいたときには、背中に衝撃が走っていた。抑えきれず、嘔吐感に襲われ、口から血を吐き出した。半秒遅れて、空気中に遅れた衝撃音が二度響く。


ドン! ドン!


重力に従い、壁の窪みから下に落下する。ぼやけた視界の先には、急速に迫る地面。


そして、光を纏った足先。


「っ!」


両腕を交差させ、装備したガントレットでナユタの蹴りを受け止める。骨が悲鳴を上げ、折れたかのような痛みを覚える。景色が再び流れ出す。何とか意識を取り戻し、痛みに耐えながら拳を地面に打ちつけた。数回転がってようやく足が地に着く。


だが、立ち上がったその瞬間、ナユタが再び目の前に現れた。


パァン。


音よりも速い拳が俺の頭を揺さぶった。必死に手を上げて頭を防御するが、バキッという音とともに、右脇腹に突き刺さるような痛みが走る。肝臓が貫かれたように感じ、神経が焼かれる。揺れで思考が混乱するその瞬間、防御が崩れた。


まずい。


俺の腕の隙間を見事にすり抜け、ナユタの拳が俺の鼻先に迫ってくる。


あ。これっ……死……


「っ!いい加減にしなさい!」


ブン、と低い音が鳴り響いた。


ナユタは瞬時に拳を引っ込め、体勢を整え、側面に身をかわした。蜂のように突き刺す高速の物体が、彼女の頭をかすめる。鈍い意識の中、俺はメムが怒りに満ちた表情で腕を振り下ろす姿を見た。


一発、二発、三発。上から下へと猛然と襲いかかるファンネルビットが、ナユタの頭を狙う。ナユタは連続して後方に跳躍し、ファンネルビットの攻撃範囲を離脱する。そして、彼女は素早く手をこめかみの横に持ち上げた。一つの徹甲弾が彼女の手に現れ、その弾頭はほとんどナユタのこめかみに接触しそうだった。


「チッ!」


カラリ。弾殻たまがらが地面に落ちる音が響く中、遠くからシーが再びボルトを引き、狙いを定める。二発目。反動で彼女の小さな体が大きく後ろに仰け反る。今度はナユタは余裕をもって頭をわずかにずらし、弾丸をかわした。徹甲弾は彼女の背後の壁に命中し、爆発が起こる。空気中に魔力の残り香が漂い、爆風の余波がナユタの頬に垂れ下がった一房の髪を揺らした。


俺たち三人と再び距離を取ったナユタは、両手を自然に下ろし、リラックスした体勢を取った。だが、その金色の瞳は捕食者のように俺たちをじっと観察している。


強い。


口の中に溢れてくる鉄の味がするものを吐き出し、俺は口元をぬぐった。


明らかに重傷を負っているように見えるが、圧は訓練の時より増している。そして、さっきからしつこく俺を狙ってくる。彼女は俺が三人のリーダーだと見抜いているのだろう。俺を倒せば、シーとメムの戦意を完全に崩すことができると考えているのだ。俺は絶対に倒れるわけにはいかない。


耐えろ。そして反撃だ。やり遂げるんだ。


遠くで再び爆発音が響き、研究所全体が揺れた。今度の爆発は前回よりもさらに近づいているようだ。


ナユタの眉が一瞬ひそめられ、彼女の表情に焦りが垣間見えた。


どうやら、ナユタも時間と競争しているらしい。なぜ?考えろ。ここに突破口があるはずだ。


……ああ、そうか。爆発が徐々に近づいているということは、凶鳥オミナスの部隊がこの核心区域に迫っていることを意味している。


ナユタはここに来る前からすでに重傷を負っていた。そして彼女が言っていたように、侵入しているのは「サーヴァント」と呼ばれる部隊だけでなく、「ナイト」も含まれている。ナユタの言葉によれば、2つの小隊のナイトだけでも彼女を打ち負かす可能性があるらしい。侵入している凶鳥オミナスのナイトが何人いるかは不明だが、確実にナユタを脅かす数がいるということだ。そうでなければ、普段冷静な彼女があんな焦りを見せるはずがない。


これで方針が決まった。


時間を稼ぐんだ。たとえ俺たちがナユタを倒せなくても、オミナスの侵入部隊が到着するまで粘り続ける必要がある。ヘクトリが俺たちの情報をオミナスに伝えているのであれば、彼らが俺たちの味方をする可能性は高い。少なくとも、敵の敵は味方だ。


深呼吸をして、慎重に言葉を選びながら、俺は口を開いた。


「逃げないのか?」


ナユタは答えず、片方の眉を上げた。


凶鳥オミナスがここに近づいている。ここで俺たちと時間を無駄にするのは、お前にとって得策じゃないだろう?」


ナユタは依然として答えなかった。目を細め、鋭い視線で俺を睨みつけてきた。その視線はまるで重量があり、鋭く俺を刺してくるようだった。


「ここで俺たちを倒しても、迎えるのはオミナスの包囲だけだ。今撤退すれば、お前の速度と突破力なら間に合うはず。ここで、互いの生存のために取引をしないか?見逃してくれ。俺たちただ、自由に生きたい。」


「……話にならん。」


よし。ナユタが返事をした。交渉と時間稼ぎの余地がまだある。


「なぜ……」


「今、お前たちはトリニティシステムから離脱し、我々の意思に背いた敵だ。」


「っ。話し合いの余地はない、とういうことか?」


「そうでもない。お前たちにはまだ価値がある。戦う意識が無いなら、降伏しろ。そうすれば、命だけは助けてやる。」


「……降伏したら、俺たちはどうなるんだ?」


「システムに戻ることになるだろう。この研究所が落ちても、他の場所でお前たちの役割はまだ残っている。」


「システムには戻らないと言ったら?」


「ふん。なら、ここで死ねばいい。」


「……そんなに俺たちをあの黒い泥の中に閉じ込めたいのか?あの闇に閉ざされ、毎日奴隷のように使役される場所に?ただ自由を求めているだけなのに、どこが間違っているんだ?たとえ造られた存在でも、生き方を選ぶ権利はないのか?」


「……」


ナユタが答えないのを見て、俺は本来の目的を忘れ、感情が高ぶってしまった。


「ふざけるな!勝手に俺たちを生み出し、勝手に運命を決めるなんて!お前たちはどれだけ傲慢なんだ!」


「……」


「答えろ、ナユタ!お前の理想は、搾取の上に成り立っているのか!」


「……ああ、そうだな。お前らにとっては、一方的な搾取だろうな。」


ナユタは姿勢を正した。彼女は片手を伸ばし、手のひらを上に向けた。光が凝縮し、散らばっていたルーン文字が集まり始めた。光の塊は次第に縮小していく。


「それでも、やらなければならん。続けるしかない。これだけのものを背負ってしまったのだから、今さら逃げることも、手を引くこともできん。先人たちの積み重ねを、何としても崩すわけにはいかん。あと百年あれば、天に届くかもしれない。私たちの悲願、彼女の理想。たとえ進むのが修羅の道であっても、私は血に染まった拳を下ろすことは、ない。」


ナユタの体から再び高まる魔力を感じ、光が周囲の床を震わせて砕いていくのを見て、俺は思わず神経を張り詰めた。ナユタの手の中の光は、すでにビー玉ほどの小ささになっていた。軋むように空間が歪み、ぼやけて見え始める。


どうやら、交渉は決裂したようだ。もはやこれ以上時間を稼ぐ余地はない。


誓うコミット。我は剣なり、我は盾なり。我は聖女の威光なり。我が骨、我が肉、我が意識、すべては暁の再来のために捧げん。夜の極みは黎明れいめいの胎を孕む。福音ふくいんが遍く行き渡らんことを、聖女よ慈悲を垂れ給え。」


「っ!来るぞ!全力で防御しろ!」


俺はシーとメムに向かって叫んだ。ナユタはすでに完全に攻撃の準備を整えていた。それまで冷徹だった彼女の瞳には、今は熱が宿っていた。まるで詠唱するように、祈りを捧げるように、獣のようだった彼女の顔は、今やかつて一度見た荘厳な面持ちへと変わっていた。


その神聖に見える表情と、その奥に潜む狂気と覚悟に、俺は震えが止まらなかった。


研究所が再び揺れた。ごく近くでの爆発だ。天井のライトが砕け、部屋は一面の闇に包まれた。その闇の中で、ナユタはなおも言葉を紡ぎ続けていた。それは祈りのようであり、悲嘆のようでもあった。まるで自らに向けた、贖罪の言葉のように。


「我は、曙の明星ルシファーなり。」


最初は、微かな光だった。


まるで、暗く黒くの夜にともされた小さな火のようであり、孤独なホタルのようでもあった。あるいは、夜明け前に地平線から昇り始める、ささやかな星。


だが、その小さな星の光こそが、黎明を導いた。


王の雫。奇跡の凝縮。祝福の明星。その小さな光がゆっくりと地面に降りてきた。


そして、爆ぜた。


「っ!」


俺たちを襲ったのは、すべてを抹消する純白だった。


俺は振り返った。立ち尽くすシーとメムを引っ張って、かつて俺たちを閉じ込めていた巨大な装置の陰に隠れた。戦闘の余波で落ちてきた天井の鋼板を盾のように支え、俺は体と障害物で二人を覆った。


「バイオス!」


「バイオスちゃん!」


そして、建物の破砕音と震動とともに、白が俺の視界を塗り潰した。







……


………






「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ。終わった。」


カッ、カッ。ナユタの足音が徐々に遠ざかっていく。


「残念だな、ルーキーども。」


気のせいかもしれないが、ナユタのその言葉には少し寂しさが滲んでいた。


「……ああ、俺もそう思うよ。」


「!?」


バンッ!


銃声が響く。ナユタの背中に、大きな穴が開いた。


溶けた装置の陰から、俺は焼けた鋼板を支えた。背中が焼かれ、冷たさを感じるほどで、全身が痛み、喉は渇き、体温が急速に失われていくのがわかった。でも、俺はシーとメムを守り抜いた。俺の掩護の下、シーが残骸から銃を突き出していた。


「やれ!バイオス!」


「行きなさい!バイオスちゃん!」


ナユタが振り返ろうとした瞬間、ファンネルビットが彼女の左足を打ち抜いた。


「うっ、うおおおおおおおおおお!」


「翼」を広げ、俺は残骸の中から飛び出した。突進の勢いに乗せて、ガントレットを装備した拳をナユタの心臓めがけて叩き込む。


ナユタは両腕を交差させて防御を試みたが、俺の攻撃がなんと、彼女の腕を折り、胸を貫いた。


ナユタの瞳が紫色に戻り、その中に映る俺の姿が鮮明に見えた——金色の瞳、一対の翼、そして金色の光輪。


「――よくやった。バイオス。」


俺に微笑んで、ナユタは、まるで燃え尽きたかのように、崩れた。



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