第17話 夜潮

「っ」


深夜。


研究所の主要な出入口に設置されたカメラが、一瞬にしてすべての信号を失った。


振動センサーが微かな揺れを感知し、マイクが鈍い爆発音を拾った。慌てて音声データと照合した俺は、戦慄せずにはいられなかった。その指向性のある音紋は、ブリーチ用の爆弾と一致していたのだ。すぐに、研究所の四方八方から、大量の足音が信号として伝わってきた。


次々とカメラが機能を失っていく。信号が乱れ始める直前、俺はあるカメラで、互いにカバーしながら進軍する黒服の兵士が銃を構え、カメラを破壊する瞬間を目撃した。


来た!


心に湧き上がる恐怖を必死に抑え込みながら、俺は最大強度の信号で、眠っているシーとメムを叩き起こした。




>>メム:敵襲なの!?


>>俺:ああ。シー、メム!戦闘演算開始!


>>シー:了解。戦闘演算を開始する。


>>メム:もし敵襲だとしたら、ヘクトリさんは……。


>>俺:メム!狼狽えるな!彼女の安全が心配なら、早く戦闘準備に取り掛かれ!俺たちの行動が研究員たちの生死を左右するんだ!


>>メム:うっ!戦闘演算、開始!




素早くゲートを閉鎖し、同時に研究所の全スピーカーと警報を作動させ、俺は全てのラインに向けてルーン信号で怒鳴りつけた。


「緊急事態!緊急事態!」


スピーカーから流れる設定済みの音声が、大音量で響き渡る。赤色のライトが暗い廊下を照らし、床のカーソルが緊急出口を指し示していた。


「状況オメガ!当研究所は第三戦闘態勢に移行する!非戦闘員は速やかに退避せよ!繰り返す、状況オメガ!当研究所は第三戦闘態勢に移行する!戦闘員は速やかに武装せよ!」


俺たちは訓練通りに慌ただしく研究所の各設備を操作し、研究員と重要資産の退避を支援していると、ナユタが端末室に入ってきた。彼女はタバコをくわえ、相変わらず冷静な表情を浮かべながら、素早く俺たちの端末の前に進み出た。暗い部屋の中、赤い光に照らされたナユタのタバコの火がひときわ鮮明に見える。


「状況報告。」


「……外殻がいかくA1、C3、D6の全防御装置および全感知器、ロスト。外殻と中層の全ての連結通路を封鎖済み。」


「数は?」


「10秒前の最後の確認で、中隊規模の2部隊が研究所に侵入、さらに増加中!」


激しい震動が研究所全体に響き渡る。


「D7、C4、A2、ロスト!敵、中層への侵入を開始!」


「思ったより速いな。自爆装置、点火。待機せよ。復唱しろ。」


「っ……自爆装置、点火。」


「武器システムを起動」


「許可、武器システム……」


ナユタの指示を復唱しようとしたその瞬間、鋭い痛みが意識を貫いた。ルーンの波が突然黒い泥を満たし、膨大な命令とノイズが俺を圧倒してきた。情報に耐えようと必死に踏ん張るが、意識は白い光に飲み込まれそうだった。いつも見慣れているルーンが、今では物理的な圧力を伴って俺を押しつぶすかのようで、意識が朦朧としてきた。




>>シー:バイオス!


>>俺:ぐっ……大丈夫だ。


>>メム:これは何?大量のフォーマットエラーのデータ?しかも戦闘態勢解除の指示が混ざってる……


>>俺:惑わされるな、これは攻撃だ!誰かが研究員の権限を偽装して、端末を通じて大量の指示を送ってきてる!


>>シー:っ。


>>俺:安易に応答するな!奴らは俺たちを麻痺させようとしている。もし間違った指令を受け入れたら、奴らが直接突っ込んでくる!俺がこれらのメッセージを処理する。確認が済むまで、絶対に指示を実行するな!


>>メム:わ、わかったわ。


>>シー:……っ。了解。




明滅する視界の中で、ナユタが眉をひそめた。


「どうした?早く命令を復唱しろ。」


「ザー……ザザ……武器シス……テムが接続不……可……#$**X>」


「どういうことだ?返答がおかしいぞ。」


「処理中……ザザ……大量の所属不明な、命令……ザー……負荷が臨界に……同時に、端末、入力……」


「チッ。情報が徹底的に漏れてたんだな、相手はトリニティシステムに対策を講じてきたか。喜べ、ルーキーども、敵はお前たちを麻痺させるためにわざわざ戦術を研究してくれたらしい。でも厄介だな、武器システムが使えないなら、地道にやるしかない。ゲートやセキュリティ装置はまだ制御できるのか?」


「ザー……ザーザー……問題ない。回線は……ザー……まだ切断されていない。」


ナユタは顎に手を当て、しばらく考えた後、すぐに結論を下した。


「指定された撤退通路以外をすべて閉鎖しろ。炭酸ガスを注入する。これで少しは時間を稼げるだろう。」


ナユタはタバコを横に弾き、拳銃を取り出して装填した。


「私が出る。」


「っ!」


「早く死ぬなよ、ルーキーども。」


俺が反応する間もなく、ナユタはすでに端末室から飛び出していた。同時に、またしても大量のルーン信号が俺の黒い泥に流れ込んでくる。時間が経つにつれて、制圧された端末が増えたのか、信号の量はますます増えていった。この暴力的なデータの波を必死に処理しながら、俺はまるで何度も拳で殴られたかのような感覚に陥っていた。




>>俺:メム!AからEまでの全端末を切断し、ゲートを封鎖して消火ガスを注入しろ!もうあそこは落とされた!


>>メム:でも!まだ避難していない研究員が端末を通じて助けを求めているよ!


>>シー:疑問。情報の正確性が不明。音声と振動センサーには人の声があるが、カメラには映っていない。推奨:情報を再解読。


>>俺:ぐっ……。




自分はもう準備ができていると思っていたのに、実際に直面するとこんなにも無力だとは思わなかった。


大量の真偽不明なルーン信号が俺たちを圧倒している。たとえ研究所全体の設備を制御できたとしても、それは実体のある回線を通じてのものだ。外部の感覚システムが物理的に敵によって切断されているのか、それとも再接続されて虚偽の情報を送られているのか、今の俺たちには区別がつかない。銃声、爆発音、悲鳴がセンサーを通して波のように押し寄せてくる。たとえこれが幻覚だとしても、外の状況が地獄絵図であることは容易に想像できた。


くそ、くそ、くそっ!


何か手を打たなければならない。ナユタの指令の下で、研究所の地下に仕掛けられた爆弾はすでに点火されている。このまま対処しなければ、時が来れば俺たちは敵軍と共に吹き飛ぶ。ここで命令に背いて、爆弾を解除すべきなのか?


残されたリソースを使って必死に考えていると、再び研究所内に大きな震動が響いた。




>>シー:っ!警告、高魔力反応!パターン、エンジェル!衝撃まであと3、2、1。着弾!


>>俺:被害報告!


>>メム:中層、D5からE6、敵性小隊全滅!2か所の接続で全ての防御殻層、大破!




それはナユタの閃光だった。


あの偽りの天使がたった一撃で、ほぼ30人を殺傷した。


存在しないはずの胃が、共犯感によって吐き気を催す。意識を打ちつけてくるルーンの波に、思わず叫び出しそうになる。


堪えろ。


この状況で、俺たち三人が無事に逃げ出す方法を考え続けなければならない。




>>メム:見て!ヘクトリさんだ!無事みたい!何かを運んでる……


>>シー:確認。あれは、私たちの人形が入っている箱?


>>俺:っ!




メムの呼びかけを聞いて、俺は視界を切り替えた。そこには、ヘクトリが小型のカートに乗せた三つの棺のような箱を運んでいる姿があった。この見慣れない視点を見て、俺は気付いた。たぶん、さっきの揺れでカメラの位置がずれたのだろう。今、俺が見ているのは、これまで見えなかったエリア、つまりブラックゾーンだ。


ヘクトリはカートを止めると、壁にあるコントロールパネルを鍵で開けた。そこには暗赤色の管が露出していた。彼女は懐から注射器のようなものを取り出した。透明な管の中には、淡い緑色に光る液体が満ちている。


ヘクトリの横顔には決意が浮かんでいた。


嫌な予感が頭をよぎった。しかし、俺が反応する間もなく、ヘクトリは注射器を壁の赤い管に差し込み、液体を一気に注入した。




>>メム:彼女、何をしてるの……!?


>>シー:これ何?突然、意識が……制御できない!


>>俺:……ぐっ。




っ。なぜ。


ルーン文字とは異なる何かが黒い泥の中に素早く侵入してくるのを感じ、俺の意識は奪われた。

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