第14話 晩めし

食堂。


研究員たちの視線が刺さるように感じ、低くささやく声が聞こえてきた。俺とナユタが向かい合って座っているテーブルは、まるで見えない力場によって白衣を着た研究員たちを寄せ付けないかのようだ。


俺は緊張して大きく息をすることもできず、ただ目の前のナユタをこっそりと盗み見した。しかし、ナユタは周囲の状況にはまるで無関心で、自分の懐から銀のヒップフラスコを取り出し、琥珀色の液体をロックグラスに注ぐ。彼女はタバコを取り出し、火をつけてから、そのタバコをグラスの横に静かに置いた。


そして、ナユタは両手を組み、俺がこれまで一度も見たことのない厳粛げんしゅくな表情を浮かべ、祈りを始めた。


彼女は頭を垂れ、紫の髪の一房が頬にかかって流れ落ちた。いつもの冷ややかで暴力的な雰囲気はまるで消え去っていた。


ナユタは眉をひそめ、桜色の唇が微かに動き、敬虔けいけんに言葉を紡いでいる。その姿は、俺の知っているナユタとはまるで別人のようだった。


おそらく五分以上が経過しただろう。ナユタはゆっくりと目を開けた。彼女の顔には、再び俺が見慣れた冷たい表情が戻っていた。


不思議なことに、いつものナユタに戻ったのを見て、俺はほっと息をついてしまった。


「悪いな、待たせた。」


ナユタはタバコを指に挟み、テーブルに置かれたグラスを手に取り、そして顎を少し持ち上げた。


「冷めないうちに食べろ。まあ、略式りゃくしき聖餐せいさんだ。お前のその体には害はない。」


俺はナユタの顔から視線を外し、目の前のテーブルに視線を落とした。


仕切られた鉄皿には、鮮やかな野菜サラダとマッシュポテトが盛り付けられ、小さなスープのボウルが添えられていた。見た感じ、前世で食べた普通の洋食に見えるが、メインディッシュに視線を移すと、俺は少し躊躇してしまった。それは、淡いピンクの光沢を放ち、スパイスとソースがかかった、まるでハンバーグのような大きな肉料理だった。


なるほど、こいつらはこれを「聖餐せいさん」と呼んでいる、か。


目の前の謎の肉を見つめ、ナユタがさっき口にした情報と合わせると、俺はすぐにこのハンバーグのようなものがこの組織の研究テーマと繋がっていることを理解した。


この謎の肉も、おそらく聖胎せいたいから分化された何かだろう。


吐き気を催す。


前世の倫理観が警鐘を鳴らしているが、俺は必死に表情筋をコントロールし、顔には何も出さないようにした。俺が手をつけずにいると、ナユタが何かを悟ったように頷いた。


「食器の使い方もわからないのか。ふん。」


ナユタの前にも、俺と同じ料理が並んでいた。彼女は自分の前のナイフとフォークを手に取り、まるで俺に見せつけるかのように、ゆっくりとハンバーグを一口分切り取り、それを口に運んだ。


「……」


もうこれ以上、時間稼ぎはできそうにない。覚悟を決め、俺も謎の肉を一切れ切り取って口に入れた。


うまい。


肉汁の香りとスパイスの味が、この人形の舌を通じてしっかりと感じられた。まるで牛肉のようだが、やはりどこか馴染みのない風味だ。生臭さはなく、口当たりは柔らかく、前世で数回しか食べたことのない高級肉のような食感だった。


罪悪感が俺を責め立てた。この肉を美味しいと感じている自分に、強い嫌悪感を覚えた。この肉の出所を考えると、精神的には吐き出したいが、この人形の渇いた味蕾みらいと空腹の胃は、もっと欲しがっている。


恐ろしい。


久しぶりに味わう「食事」が、これほどまでに倒錯しているとは。


「どうだ?美味いか?」


「……美味い?」


ナユタの問いかけに、心の中で複雑な感情が渦巻きながらも、俺は機械的に答えた。ナユタは俺を見つめ、何かを理解したかのように頷いた。


「お前の本体は食事を必要としないからな。外部からのエネルギー供給で生きている。まだその感覚に馴染みがないんだろう……お前が今感じているのが、いわゆる『美味しい』という感覚だ。」


「……そうですか。」


「そうだ。」


ナユタは何か誤解したらしい。冷たい表情を浮かべる彼女に、一瞬だけ優しさのようなものが見えた気がした。


「喰え。無駄にするな。」


そう言い残すと、ナユタがナイフとフォークを動かし始めた。俺も命令に従うしかなく、謎の肉を飲み込んだ。


「お前は筋がいい。」


食事をしながら、ナユタが口を開いた。


「もう少し鍛えれば、実戦を経験した後にはルーキーを卒業できるだろう。喜べ。」


「……お褒めにあずかり光栄です。」


「お前はあの二人より判断も計画も優れているし、私に正面から挑む度胸もある。焼け石に水だが、時間があれば、戦闘技術についてもいくつか教えてやろう。三人の中ではお前が一番適性があるみたいだしな。」


ナユタは動きを止め、俺を見つめた。


「ふん、ずっと『お前』って呼ぶのも紛らわしいな。名前はあるのか?あの馬鹿な研究者が言っていた『トリーち』っていうのは、お前たち三人をまとめた名前だろう。もしお前個人の名前がないなら、私が名付けてやってもいいぞ。そうだな、例えば……」


「俺はバイオスです。」


ナユタが変な名前を付けようとする予感がして、反射的に口を挟んだ。ナユタは少し眉をひそめ、残念そうな表情を一瞬見せた。


「……そうか。なら、バイオス。お前は食べながらでいいから、私の話を聞け。授業みたいなものだと思え。この情報を消化した後、他の二人にも共有してやれ。」


ナユタはグラスを手に取り、酒を煽った。


「最近、凶鳥オミナスが防衛線に対する攻撃を激化させている。我々の主力部隊がオミナスとの消耗戦に巻き込まれているからな。多数の戦闘員は本部の防衛に駆り出されていて、この支部はすでに孤立している。このままでは完全に包囲されて、侵攻されるのも時間の問題だ。オミナスが防衛線を突破してこちらに進軍してきたら、せいぜい二週間しか持たん。我々はすぐにオミナスに殲滅されるだろう。」


ナユタはまるで世間話のように淡々と語る。


「幸い、奴らまだ我々の情報を完全には把握していない。少しだけ時間の余裕がある。指示が下った。この研究所を撤退させること。支部とはいえ、ここにはかなりの高価値資産があるからな。上層部としては、無駄にするわけにはいかないらしい。で、ここからが本題だ。」


ナユタの眼が冷たく輝き、無機質な光を放つ。


「ちょうど『敵』と呼ばれる大量の実験素材が手に入ることになっている。上層部の指示で、大規模な実験を実施することになった。そう、お前らトリニティシステムの戦術運用実験だ。」


「それは……」


「お前たちの任務は、遅滞作戦を展開し、できるだけオミナスの戦闘部隊を殲滅することだ。研究成果や重要な機器類の撤退を掩護するのが第一の任務となる。もし、それが達成できないと判断された場合、あと研究成果がオミナスに奪われるリスクが出てきたときは、自爆せよ。そうなれば、この支部の研究資産であるお前たちも、敵と共に、研究所の地下に埋められた祝福兵器と一緒に吹き飛ぶことになる。」


「っ」


俺は思わず唇を噛みしめた。噂は聞いていたし、なんとなく予感もあったが、こんなに早く来るとは思わなかった。


「戦争ってのはそういうもんだ、ルーキー。戦え。それだけ生き残るチャンスが増えるってことだ。」


ナユタは口元を拭い、空になった皿を横に押しやった。両手を組み、じっと俺の目を見つめてくる。


「リーダーとして、仲間に命令を下し、その結果を背負う覚悟を決めろ。お前の覚悟は、お前の姉妹たちの生存と結びついている。躊躇すれば、全てを失うぞ。」


まるで自身の経験から語っているかのように、ナユタの言葉はシンプルだが、重く俺の心にのしかかった。返す言葉が出てこない俺を見て、ナユタは肩をすくめた。


「……ふん。話を続ける。」


ナユタは懐から小さな装置を取り出した。それは組織が設計した汎用プロジェクターだとすぐに分かった。ナユタがいくつかのボタンを操作すると、ルーンの魔力の光が一瞬きらめき、空中にデータが投影された。


「よく聞け。これからお前たちが殲滅する対象、凶鳥オミナスの戦闘ユニットに関する情報を説明する。」


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