第13話
次の日の早朝、椿は洗濯をするために裏庭にいた。まだ辺りは薄暗かったが、洗濯を終えて洗ったものを干していると、屋敷の裏から袴姿の政宗が竹刀を2本持って歩いてきた。いつもきっちりと整えられている艶やかな髪に寝癖があり、寝起きだということを物語っていた。
「おはようございます。政宗様」
椿は洗濯物を干すのを中断してあいさつをした。
「ああ。おはよう、椿。中断する必要はない、早く終わらせろ」
「は、はい」
椿は言われた通りに急いで洗濯物を干すと、仁王立ちで椿を見ていた政宗に話しかけた。
「政宗様。終わりました」
「そうか、ではこれを……」
「……はい」
椿は政宗から竹刀を受け取った。
「西条を暗殺者から助けたという腕前……見せてもらう」
椿は政宗の言葉を聞いて思った。
(私が宗介さんを助けたという話を誰かに聞いたのね。それで私の実力を知るためにこんな朝早くから、待っていてくれたのね……)
「椿。この裏に行くぞ」
「はい」
そして椿と政宗は庭の裏の屋外の稽古場に向かった。
竹刀を持って向かい合うと、政宗は「行くぞ」と言って始めから遠慮なく打ち込んできた。椿は政宗の打ち込みをいなし続けた。
(政宗様、綺麗な太刀筋ね……でも、綺麗過ぎる)
あまりにも美しい型通りの太刀筋。恐らく実践経験はないのだろう。もしも誰かにこの稽古風景を見られてしまえば、すぐに政宗が経験が浅いことを見抜かれてしまうだろう。
椿が政宗の太刀筋を観察しながら相手をしていると、しばらくして肩で息をしながら政宗が竹刀を下ろした。
「はぁ、はぁ……まるで……柳を相手にしているようだ」
「柳ですか……?」
「……おまえは全く疲れていないのだな」
「……」
椿は何も言えずに黙り込んでしまった。すると政宗がきつく竹刀を握りしめ、椿を見据えた。
「おまえも打ち込んで来い」
(私が政宗様に打ち込み……いいのかしら?)
椿が迷っていると、政宗が怒鳴り声を上げた。
「絶対に手を抜くなよ!! 俺のためを思うなら全力で来い!!」
政宗様のため?
剣術において、油断は死に直結する。大正の世になり、武術など必要ないとみんなに言わて、帝都に出て来た椿だったが、昨日刺客に襲われた。
(自分の実力を知るのも大切だわ)
椿は背筋を伸ばした。
その瞬間、政宗の背中に寒気を感じた。さらに椿の周りだけとても静かだった。
政宗は、椿を見ながら恐怖を感じていた。
(何だ? 急に椿の様子が変わった……)
足が震えそうになる政宗に向かって、椿は先ほどまで片手で持っていた竹刀を両手で持ちながら言った。
「政宗様のためだというのなら……承知しました――いざ、参ります」
「……」
政宗が声も出せずに椿を見た瞬間、政宗の手から竹刀が空へと投げ出されていた。政宗があまりのことに呆然としていると、真横から声が聞こえた。
「政宗様、竹刀です」
「……」
椿は政宗の持っていた竹刀を弾いて、空中で受け取った。そして竹刀をまだ竹刀が手から離れたことすら認識していなかった政宗に差し出したのだ。
今度は政宗が黙る番だった。
「……」
「政宗様、どうぞ」
政宗は椿に渡された竹刀を受け取ると呟いた。
「今……何があったのだ?」
政宗は椿の動きを一切追うことが出来なかったのだ。政宗は椿に戻された竹刀を見つめながら思った。
(なんだ……この圧倒的な力の差は……)
辺りに鳥の鳴きや虫の鳴き声が戻ってきた。
とうとう足が震え出した政宗が声を絞り出しながら言った。
「これほどとは……!!」
政宗も剣術を学んでいる。それゆえに、椿の腕がどれほど優れているのか痛いほどよくわかったのだ。政宗は椿を見ながら言った。
「椿、また稽古の相手をしてくれるか……?」
椿は笑顔で「はい」と答えたのだった。
◇
その後、椿は身支度を整えて朝食を取ると政宗の朝の支度の手伝いした。そして政宗を送り出して成孝の書斎に行こうとエントランス近くを歩いていると、二階から秀雄が眠そうな顔で階段を降りてきた。
「おはようございます。秀雄様」
椿があいさつをすると、秀雄は驚いて顔を上げた。
「ああ。椿……!? そうか……通いではなく、住み込みだったな……」
秀雄は小さく笑うと椿に「おはよう」とあいさつをした。
「そういえば、こんなとこでどうしたんだ? 椿の寝る場所とは逆方向だろう?」
椿は使用人棟で生活しているので、成孝の執務室に行くのなら、屋敷の奥の使用人棟から近い階段を使うことを秀雄は指摘したのだ。
椿は秀雄を見ながら答えた。
「政宗様をお見送りしておりました。朝の支度を手伝うようにと言われましたので……」
椿の言葉を聞いた秀雄が目を大きく開けて驚いた。
「え? 椿が朝の支度を手伝っているのか?」
「はい」
秀雄が眉を寄せて考えた後に、椿に尋ねた。
「朝の支度って……あいつもう必要ないだろう? どんな支度を手伝っているんだ?」
秀雄の言葉に椿は、先ほどのことを思い出しながら言った。
「髪を整えたり、後は……どうしても制服を着せて欲しいとおっしゃるので、制服を着るお手伝いしています」
秀雄がギリッと奥歯を噛んだ。
「制服を着る手伝い!? そんなの手伝い必要ないだろう、あいつ何考えているんだ!!」
秀雄はしばらく眉を寄せていたが、何かを思いついたように笑顔になると、椿の手を取り楽しそうに言った。
「よし、椿。今日は俺とパーラーに行くぞ!」
「昨日お話をしたパーラーですか? いいのでしょうか!?」
焦る椿に向かって、秀雄が楽しそうに言った。
「問題ない。すでに約束していたからな~~さぁ、成孝に許可を貰いに行くぞ」
「は、はい……」
椿は秀雄に引きずられるように成孝の執務室に向かったのだった。
◇
「成孝いるか~~」
秀雄はバタンと扉を開けると、成孝が眉間にシワを寄せながら言った。
「ノックしろと言っているだろう……秀雄、椿と手など繋いでどうした?」
不機嫌なことを隠しもしない成孝に向かって秀雄は椿と手を繋いだまま楽しそうに言った。
「今日は椿とパーラーに行く」
(あら? 許可を頂くというお話じゃなかったのかしら)
秀雄の言い方だと、すでに決定事項のように聞こえるので、許可を貰う雰囲気ではない、と椿は思った。
成孝は数秒間固まった後に、「なぜそんなことになった?」と尋ねた。秀雄は「なんとなくだ」と答えた。
秀雄の言葉に成孝が溜息を付きながら答えた。
「なんとなくか……では、あきらめろ」
「なぜだ!!」
成孝にパーラー行きを却下されて、秀雄が声を上げると成孝は封筒を手にしながら言った。
「今日、三田殿が面会に応じて下さると電報が入った。これに書類をまとめておいた。ようやく面会にこぎつけたのだ。こっちを優先しろ」
秀雄は「三田殿が!?」と言って、悔しそうに椿の方を見た。
「椿、悪いな。……今度絶対に連れて行くからな……絶対だ。安心してくれ、俺は約束は守る男だ」
椿は「はい」と言って頷いた。そして秀雄は椿と手を離すと、成孝と簡単な打合せをして執務室を出た行った。
残った椿に向かって成孝がどこか所在ない様子で言った。
「……私と行くか?」
「え?」
椿が思わず聞き返すと、成孝が椿を見ながら大きな声で言った。
「だから、パーラーは私がお前を連れて行くと言っている!! 準備しておけ」
「は、はい!!」
こうして椿は、秀雄ではなく成孝とパーラーに行くことになったのだった。
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