第10話
椿は政宗を送り出すと、成孝の部屋に行く時間になった。椿が成孝の部屋に入ると、疲れた顔をした成孝と目が合った。
「椿。おまえは本当に次から次へと……それで? なぜ政宗の支度を手伝うことになったのだ? 簡潔に話せ」
椿は成孝に今朝の出来事を報告した。
「話はわかった。ハリソンを投げ飛ばし、政宗にも怯まないのか……自分から私に言っておきたいことはあるか?」
椿は背筋を伸ばして、成孝を見据えた。
「はい。我が一族は室町の世より主に武を納めて参りました」
「武家一族の出身か……それでハリソンを易々と投げ飛ばしたのか……」
武家一族出身という言葉に椿の胸が痛んだ。椿は無意識に両手を硬く握りしめていた。
「明治の世に生まれ、大正になった今、私は武ではなく、知で生きて行くために本を手にしました。ですが元々は武を専門に生きて来ました。身体に染みついた武術はそう簡単に抜けません。もし、成孝様が手元に置かれるのを不安に思うようでしたら、元の就業先に戻ります」
椿は頭を下げて手に爪が食い込むほど、きつく手を握り締めて視線を落とした。すると成孝が椅子から立ち上がり、椿の傍にきた。
「身体に染みついた武か……ふっ、問題ないさ。大正になったからと言って……急に安寧な世に変ったわけではない」
どういうことかしら?
椿が顔を上げて成孝を見ると、成孝が眉を寄せていた。
成孝は、再び椿を見るとすでにいつもの顔に戻っていた。
「私は午前中に銀座にある社に行く。その間椿はそこに書いてあるものを私とは別行動で購入してきてくれ」
「はい」
成孝はメモと財布を椿に渡した。
「9時には出掛ける。準備をしろ」
「はい」
◇
それから椿は銀座まで成高と一緒に来た。
「成孝様、買い物に行って参ります。買い物が済んだら都電で先に屋敷に戻っています」
「ああ。荷物が多くなるようなら馬車を使え」
「かしこまりました」
椿は成孝と別れると地図を見ながら書店へと向かった。書店に入った椿は言葉を失った。
(本がたくさんある!! こんなにたくさんの本、見たことがないわ……)
椿はつい本に目を奪われてしまった。
(いけない!! 早く成孝様にお願いされた本を探さなきゃ!!)
椿はメモを見て、今日発売の経済雑誌を手に取った。それから、書棚に目を移した。
(あそこにある本ね……届くかしら? あと少し……)
椿が必死に手を伸ばして高い棚に手を伸ばした。すると、横から大きな手が伸びてきた。
「これかい?」
隣を見ると男性が本を差し出してくれていた。どうやら男性は椿の欲しかった本を取ってくれたようだった。
椿はそのことに顔に出さずに困惑していた。
(この人……気配を感じなかった……)
「まさか!! おまえ、椿か?」
「はい」
椿は条件反射で名前を呼ばれて答えた後に、じっと男性を見つめて声を上げた。
「ああ、汽車の……あの時は窓を閉めて下さってありがとうございました」
椿が礼をすると、男性が大きな声を上げた。
「椿、俺はあれから、電話交換局に君に会いに行ったんだぞ?」
「え?」
「そしたら、すでに他の働き口に移動したっていうじゃねぇか!! さすがの俺も名前だけじゃ~見つけられなくてな。会えてよかった。こりゃ。運命ってヤツだな」
「運命? あの、あなたのお名前をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
男性は「ああ、まだ名乗ってなかったかい?」と言った後に笑った。
「俺は宗介っていう。よろしくな」
「宗介さん、よろしくお願いします」
椿が宗介にあいさつをした瞬間。背中に突き刺さる鋭い視線を感じた。
(殺気?)
椿は注意深く周りを見渡した。
(いたわ……)
殺気を放っている相手の視線の先を見ると、宗介に向けられていた。
「どうした?」
椿の様子に男性が怪訝な顔をした。椿は声をひそめて言った。
「丑寅の方向に2人。辰巳の方向に1人。知り合いですか?」
椿の答えを聞いて宗介が視線をチラリと向け溜息をついた。
「あいつら……こんな街中で……椿、悪い。俺は行く」
椿は宗介の袂を掴みながら言った。
「私も行きます。女の私がいると相手も油断します」
そして椿は手に持っていた本を本棚に置くと、宗介の手を引いた。
「合図と共に、外に出ましょう」
椿の言葉に宗介が慌てた様子で言った。
「いや、椿、あいつらは女だからって容赦するような生半可な奴らじゃねぇ。俺は捨てておけ」
椿は、宗介を見ながら言った。
「汽車のお礼です。必ずあなたを逃がします」
宗介は慌てながら言った。
「椿、相手は刃物を持ってるんだぞ?」
椿は頷いて「問題ありません」と言った。そして宗介を見ながら言った。
「行きましょう!!」
「くっ!! どうなっても知らないからな!?」
そして椿と宗介は書店を飛び出した。案の定、三人の男性は椿たちを追ってきた。
「どうするつもりだ?」
走りながら声を上げる宗介に椿は短く答えた。
「人気のない場所に誘いこみます」
そして椿はあえて人の気配がない裏路地で止まった。
椿たちを追って来た男たちは息を切らしながら言った。
「はははは。まさかこんなところに逃げ込んでくれるなんてな」
「袋の鼠とはこのことだな」
本屋の前にいた男たちは3人だったが、途中から追手は5人に増えていた。どうやら他にも2人潜んでいたようだ。
椿は、宗介に向かって言った。
「私が相手致します。どうか、絶対に動かないで下さい」
「何……言ってんだ?」
宗介はぎょっとしたが、椿は足元から短い棒を取り出すと、素早くその棒をくっつけて長い棒にした。
「仕込み杖か……」
宗介が目を丸くした。
そして皆が椿の仕込み杖を見るか、見ないかという間に椿は追手の後ろにいた。
「え?」
椿の回りに風が拭き、地面の砂を巻き上げた。
そして誰一人として武器を手にする前に、すでに三人が地面の上に倒れていた。そして、一人の男が胸元に手を入れた時には、その男は地面に倒れ、「この~」と最後の一人が木刀を振り上げた時には椿は、すでに仕込み杖を片付け、一番初めに地面に倒した男の胸元に手を入れていた。
それと同時に最後まで立っていた男が倒れた。
「何が……起こったのだ……?」
宗介が呟くと、椿は宗介に拳銃を2丁見せた。
「これで相手が誰なのか特定できるかもしれませんが……私はこちらに知り合いがいないので探ることは難しいかと……宗介さんは誰かいらっしゃいますか?」
椿は冷静な声で言った。
その美しい姿に宗介は鳥肌がたった。椿の姿に見とれて、中々返事が出来なかった。
「宗介さん?」
椿が尋ねると、宗介が慌てて答えた。
「いや、いい。裏にいるヤツはわかってんだ。こいつらは次から次へとわいてくる……」
椿は宗介を見ながら言った。
「戻りましょうか。お互い、買い物の途中ですよね?」
「あ、ああ。そうだな」
2人は本屋に戻るために今来た道を歩き始めたのだった。
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