第8話



 次の日、四時の起床の鐘で目を覚ました椿は、寝着から着物に着替えた。

 そして化粧をして、髪型だけを整えた。


(洗濯をするから昨日の服が汚れてしまってはいけないわね)


 椿は2日分の洗濯物を持つと、洗濯場に向かった。

 お屋敷の方々の洗濯をする人は当番で決まっているが、個人的な洗濯物は各自、空いた時間にすることになっていた。


(水が冷たいわ……)


 椿はまだ薄暗い中、誰もいない洗濯場で洗濯をして、使用人用の干場へと向かった。他の人は夜の間に干すのか、洗濯場には数人分の洗濯物がすでに干してあった。

 椿が洗濯物を干していると、ヒュンヒュンと風を切る音が聞こえた。


(この音は、真剣ではなく模造刀ね。問題ないわ)


 椿は引き続き洗濯物を干し続けた。


「そこにいるのは誰だ!!」


 すると、風を切る音が聞こえた方角から男性の声が聞こえた。


「椿と申します」


 椿は声の聞こえた方に向かって返事をした。すると、茂みから見たことのない男性が現れた。


「ここで何をしている?」

「洗濯をしていました」

「こんな時間にか?」

「はい」

「そうか……邪魔したな」

「いえ」


 男性は椿を見て不審な顔をしていが、危険はないと判断したのか、元の場所に戻っていった。


(さっきの方の刀の稽古をしていたのね。廃刀令でみな辞めてしまったのに……まだ稽古を続けていらっしゃる殿方がいらっしゃるのね……)



 椿が洗濯物を干し終え、使用人棟に戻ろうとした時、先程の男性に呼び止められた。


「おい」

「はい」


(どうしたのかしら?)


 椿が不思議に思っていると、男性が上着を投げて渡した。


(ああ、よかったわ。こんな高級な上着を落とさなくて)


 椿が上着を受け取ってほっとしていると男性が口を開いた。


「これを繕っておけ」


 見ると少しだけ袖口が破れていた。


(木の枝に引っかけてしまったかしら? このくらいならかがり縫いで穴を塞げば良さそうね)


「お急ぎでしょうか?」

「ああ。すぐに持って来い」


 椿は姿勢を正して男性を見た。


「どちらにお持ちしたらよろしいでしょうか?」

「今から食事に向かうから、食堂に持って来い」


(食事の間に修繕するということね……出来なくはないわね)


「はい」


 椿の答えに男性が眉を上げた。


「おまえ、敬語が使えるのか? 名前は?」

「椿と申します」

「椿? いつからここにいる?」

「2日前よりこちらにお世話になっております」

「通りで見たことがない顔だ。ではすぐに持って来い」

「はい」


(ヤエに相談してみましょう)


 椿は上着を抱え、使用人棟に急いだ。食堂に入ると、すぐにヤエを見つけた。


「おはよう。ヤエ、報告しておきたいことがあるんだけど」

「おはよう、椿。そんなに急いで、どうしたの?」


 椿は先程受け取った男性の上着を見せた。


「これの修繕を急ぎで頼まれたのだけど……」

「これ!! 政宗様の上着じゃない!! 急ぎなの?!」


 ヤエは、上着を広げて驚いていた。


(ああ。やっぱり成孝様のご兄弟だったんだ)


 上着の修繕箇所を確認したヤエが安心したように息を吐いた。


「よかった。これくらいなら針子担当の子を起こさなくても良さそうね。誰かに頼むわ。ありがとう」


(今から、修繕する人を探すのか……早い時間だからきっとみんな忙しいわよね)


 昨日、ヤエに屋敷の方々を送り出す時間までが一日の中で一番忙しいと聞いたことを思い出した。


「ヤエ、よかったら私が繕ってもいいかしら?」

「椿が? いいの?」


 椿の提案にヤエは目を輝かせた。


(やっぱり忙しいのね……)


「ええ。まだ私の仕事の時間には余裕があるし。それにこのくらいなら、あて布はせず、かがり縫いで破れた箇所を修繕しようと思うわ」

「そうね。いいと思うわ。じゃあ、お願いするわ。終わったら見せてくれる?」

「わかったわ」


 椿は上着を持つと、裁縫室に入った。そこで裁縫箱を借りると、政宗の上着の修繕を始めた。椿は10分とかからずに修繕を終えた。


(道具がいいと仕上がりもいいし、早く終わるのね。私もせめて糸だけでもいい物にしようかしら?)


 椿は修繕を終えた上着を持ってヤエのところに向かった。


「出来たわ」

「え?もう出来たの?」

「うん。確認してくれない?」

「ええ」


 ヤエは上着を確認すると、にっこりと笑った。


「椿って裁縫が得意なのね。いい出来よ」

「ありがとう。でもただ量をこなしただけだと思うわ。家の人たちみんなどこかしら破いてくるから。じゃあ、政宗様にお届けしてきてもいい?」

「椿が?」


(もしかして、担当の方がいらっしゃるのかしら)


「あ、もし担当の方がいるならその人に……」


 すると、椿の言葉をヤエが慌てて否定した。


「いえ、政宗様って非常に難しい方だから、徳永さんが用事を聞きに行ってるのよ。でも椿が頼まれたのなら……お願いしてもいいかしら?」

「そうなのね。失礼がないように渡したらすぐ戻ってくるわ」

「助かるわ。ありがとう。椿」


 椿は部屋に戻り、着物から仕事用のワンピースに着替えた。化粧と髪型は朝起きた時に準備していたので、着替えはとても早かった。



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