第5話
次の日の朝、椿は身支度を整えて、食堂で徳永を待っていた。男性も女性も皆がハイカラな洋装で働いているのに、椿だけが何度も破れを繕った着物を着ていた。
(私だけこんなに繕った着物でいいのかしら? これでもいい物を持って来たけど……)
そして時計が八時を告げる頃、徳永が食堂に姿を現した。
椿は立ち上がってあいさつをした。
「おはようございます、徳永さん」
「おはようございます。これから成孝様のお部屋にご案内いたします」
「はい」
二人が食堂を出たあたりで、徳永が話かけてきた。
「椿さんと言いましたか……昨日は、よく眠れましたか?」
「はい。おかげ様で」
椿が笑顔であいさつをすると徳永が微笑みながら言った。
「それはよかった。……ところでヤエさんから何か注意事項を聞いていますか?」
椿は「注意事項……?」考えた後に徳永を見ながら言った。
「恋に気を付けるようにと言われました」
徳永は困ったように「ああ、聞いているのですね。気を付けるですか……そうですね。そのような返事しか出来ませんよね……」と言った後に、真剣な顔で椿を見た。
「あの方に頼まれたお仕事を終えるまでは、どうか好きになってもその想いは心に秘め、あの方をお助け下さい」
徳永の真剣な顔を見て、椿はもしかしたら自分はかなり重要な仕事を任されるのではないかと思えた。
「わかりました。任務は全う致します。それが家訓ですので」
椿の真っすぐな瞳を見て徳永も「素晴らしい家訓ですね」というと、再び歩き始めたのだった。
そして、使用人棟と洋館を繋ぐ通路の前まで来ると徳永が再び足を止めた。
「椿さん。こちらには成孝様の他に2人のご兄弟がいらっしゃいます。秀雄様と、政宗様でございます。そしてご結婚されて家を出た長女静子様が時々お見えになります。ご当主様は現在帝都を離れてゆっくりと過ごされています。……成孝様だけではなく、ご兄弟も大変見目麗しい方々ですので、ご兄弟に恋をしてしまった場合も隠すようにして下さい」
(徳永さんは、私がどなたかに恋をするのは仕方ないと思っているのね……これは任務、恋をしても隠すようにしなきゃ!!)
「わかりました。静子様、秀雄様、政宗様ですね。また、恋をしても隠します!」
「ええ。それでは、成孝様の書斎にご案内致します」
「はい」
徳永は説明を終えると、また歩き出した。
渡り廊下は屋根がついていたが、外だったので少し肌寒く感じた。
お屋敷に入ると昨日も思ったことだが中は、かなり立派だ。
だが昨日一度見たからか、少しだけ落ち着いていた。階段を昇って2階に向かった。階段を昇り終えると、階段から3つ目の扉の前で止まった。
「こちらが、成孝様の書斎です。覚えましたか?」
「はい。階段を上って3番目ですね。覚えました」
「結構です」
徳永は扉を数回軽く叩いた。もしかしたら、洋館の部屋に入る時は扉を数回叩く決まりがあるのかもしれないと椿は思った。
「失礼します。徳永です、椿さんをお連れしました」
「入れ」
中にはいると、成孝が忙しそうに書類を見ていた。
(成孝様、お忙しいのね……)
「おはようございます。よろしくお願い致します」
椿があいさつをすると、成孝は書類から目を上げた。
「ああ。おはよう。そこに置いてある本を読んで、何が書いてあったか要約してみろ」
机の上には子供の読むような絵本、新聞、本、雑誌、そして紙と鉛筆が置いてあった。
(本を読んで内容を要約?)
椿はまず、一番上の絵本に手を伸ばした。西洋の絵本なのに帝国の言葉が添えられていた。
(これは、西洋の絵本かしら可愛い絵本ね……)
いつの間にか椿は本を読むことに没頭していた。
(なるほど、鉄道が整備されると人の行動する場所が広がるのか……これを行動範囲の拡大っていうのね。つまり、この雑誌は鉄道路線の拡大による商圏の拡大の可能性が書いてあるのね)
「おい。どこまで終わった?」
椿が雑誌を閉じようとしていると、成孝から声をかけられた。
「書物は全て読み終わりました。絵本、新聞、本の要約は終わりました。後は雑誌の要約だけです」
「こんなに早く? しっかりと読んでいるのか?」
「はい。読んでいるつもりです。こちらが終わっている分です」
成孝に要約文を渡して、ふと時計を見た。時計は9時半だった。
(いつの間にこんなに時間が経ってしまったのかしら。全く気が付かなかったわ)
成孝は受け取った要約に目を向けた。要約された文書を読み終わると、椿の方を見た。
「雑誌は、口頭で要約してみろ」
「はい」
椿は雑誌の要約を口にした。
「前半は、英国での鉄道発祥についてその変遷が書かれていました。主に、ロコモーション号についての開発に関わる内容でした。現在帝国でも鉄道実験が行われているとのことです。実験内容もお伝えした方がよろしいですか?」
「いや、いい。それで?」
「後半は、鉄道が普及することで今後どのように帝国が発展していくかについて書かれています」
成孝の口角が上がった。
「そうか。どうやらおまえは、書類整理も出来そうだな。今日は昼過ぎに来客があるそれに同席しろ」
「はい」
「それまでは書類を……」
そこまで言って、成孝は続きを言うのをやめた。そして椿をじっと観察して眉をしかめた。
「椿、服を持っていないのか?」
椿ははっきりと答えた。
「持っておりません。着物は昨日着ていた物があります」
「そうか……」
成孝様は机の上を素早く片付け出した。そして、部屋の入り口付近にかけてあったジャケットを手に取った。
「行くぞ」
「どちらに?」
「銀座だ」
「銀座……?」
椿は成孝の後を追ったのだった。
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