第4話


 洋館の中はとても豪華な作りで、椿は歩くのでさえ緊張した。


(凄い……ここは別世界だわ……)


 息を潜めてそろりそろりと歩く椿に向かって徳永は「それほど緊張されないで下さい」と言って微笑んだ。椿は「はい」と答えて徳永の後をひたすらついて行った。

 しばらく歩くと、洋館の裏に渡り廊下で繋がっている建物まで来た。


「ここが使用人棟です」


 建物の中は、屋敷よりは質素な木造建築だが、電気が通っており綺麗に整理整頓され、とても心地の良い建物だった。

 先ほどの豪華な建物で寝泊りをするわけではないとわかって椿はほっとした。

 そんな椿に徳永は優しく言った。


「椿さんのことは、使用人頭に任せていますので、その方をご紹介します」

「はい」


 そして椿は徳永に、食堂に連れて行かれた。食堂には椿より少し上の女性が座っていた。そして、徳永と椿を見ると優雅に立ち上がった。


「徳永さん、その方が新しい方?」


 徳永が頷いた後に口を開いた。


「ええ。後はよろしくお願いいたします」

「はい」


 徳永は「では、私はこれで失礼します」と足早に去って行った。彼はかなり忙しそうだった。

 

「ヤエです」


 徳永が見えなくなると、使用人頭のヤエが口を開いた。


「椿と申します。宜しくお願い致します」


 椿もあいさつをして頭を下げた。


「驚いたわ。あなた敬語が使えるのね?」

「はい」


 ヤエは、真剣な顔で椿を見た後に言った。


「椿さん……どうか、すぐに辞めないでね!!」

「え?」


 椿は驚いて言葉を失った。そしてゴクリと息を呑んだ後に尋ねた。


「あの……そんなにつらいお仕事なのですか?」


(すぐに辞めてしまうなんて、一体どんな仕事をさせられるのかしら?)


 少々のことには動じない椿だが、帝都に来るのは始めてだ。

 心の準備をするためにも聞いておきたいと思った。


「あ……ごめんなさい。そういう意味じゃなくて……ここに来る子はみんなこの東稔院家の方々に恋をしてしまうの……それで、失恋して……辞めて行くの……」

「失恋……」


 椿の想像を超える答えに椿は思わず唖然とした。


「中には東稔院家の方々と親密になりたくて、使用人になる子もいてね……皆様かなりお顔が整ってらっしゃるし、この豪邸でしょ? 昨日も一人、東稔院家のある方に迫った人がいて追い出されてしまったの……また新しい人を探さなきゃ……」


 ヤエは深いため息をついた。

 

(つらい仕事というわけではないね……でも失恋か……源氏物語やそれからでも恋については書かれているけれど……よくわからないわ)


 幼い頃から武術の訓練に明け暮れ、全く恋を知らずに育った椿には想像も出来ない話だった。


「わかりました。気を付けます」


 どんな忠告であったとしても、危険だと事前に知らせてくれるのなら、それに気を付ける必要がある。椿はヤエを見ながら頷いた。


「ふふふ。気を付けてね。そうだ、あなたのことは、『使用人棟で生活はするだけで、仕事は私たちとは別』だと聞いていたの」

「別?」


 椿は驚いてヤエを見た。


(てっきり私もこの方と同じように働くのかと思ったわ)


「ええ。だからいつもなら、私たちと同じ服を着るのだけど……今回は服は渡さなくていいって言われてるの」

「……そうですか」


 椿は思わず肩を落とした。皆が着ている洋装は、濃紺のワンピースで動きやすそうなのに、デザインが洗練されていてと素敵だったのだ。


(私もこの洋装を着たかったわ……)


「着たかったわよね?」


 椿は心を読まれたようで、慌ててヤエの顔を見た。


「はい……」


 椿が素直に頷くと、ヤエがくすくすと笑い出した。


「ふふふ。私たちとは違う仕事の子が来るって聞いてたから、どんな子が来るのか緊張してたんだけど……よかったわ。椿さんが可愛い子で」


 椿はその言葉に頬を赤くした。


「可愛いですか?」

「ふふふ。ええ。素直でとっても可愛いわ。私のことは、ヤエって呼んで。それに敬語もいらないわ」

「では私も椿と呼んで」

「ええ。椿。ではここを案内するわ。ついてきて」

「ありがとう」


 それから、椿はヤエにここの説明を受けた。食堂は広くて、十人ほどがゆったり食事をとれるほど広い。浴室は、二、三人が同時に入れる作りだった。他にも洗濯や掃除など生活のルールも教えて貰った。

 一通り説明が終わり部屋に案内された。


「ここが今日から椿の部屋よ」


(素敵!!)


 部屋は畳三枚分くらいだが充分な広さだった。作業用の机と、西洋風の箪笥と、もう一つ。とても憧れていたものが存在していた。


「ベッドだわ!!」


 椿は嬉しくて、勢いよくヤエの方をみるとヤエはくすくすと笑っていた。


「ふふふ。そうよ。ここに来た子はみんなベットに感動するのよ」

「わかるわ!! 憧れですもの!!」

「そして、みんな大抵ベットから落ちてどこかに青痣ができるのよ」

「落ちる? 確かに寝がえりをうったら落ちそうね」


 椿はふとベットを見た。


「でも、数日で落ちなくなるわよ」


 ヤエがベットを見ながら言った。


「本当?」

「まぁ、あまりにベットから落ちるから床に布団を敷いて寝てる子は結構いるけどね」

「そうなのね……」


 ヤエが椿の方を向いた。


「事前にあなたの性別がわからなかったから、基本的な物しか準備していないの。足りないものはその都度言って。生活必需品は、お屋敷から至急されるものもあるから」

「ありがとう。食事も出て、部屋も用意してもらえて、お風呂にも入れるなんて素敵なところね」


 椿が嬉しそうに笑うと、ヤエが笑った。


「東稔院家の方々を好きにならなければね……」


(そんなにみんな好きになって辞めて行くのね……)


 椿はその日は夕食を摂ってお風呂に入ると、深い眠りに落ちた。

 こうして椿の一日はようやく幕を閉じたのだった。





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