第1話

 大正二年、三月。

 十六になった椿は、帝都行きの汽車の窓から見送ってくれる家族に手を振った。


「いってきます!!」

「達者でな!!」


 室町時代から続く由緒ある元武士の家系に生まれた椿。

 ずっと刀を使うことで生きてきた。

 ところが明治なり刀を捨てた武術で食べていくことに限界を感じ、椿は新たな働き口を求めて帝都に向かうことになった。

 元々物覚えのいい椿は、帝都の言葉を習得し、電話交換手になる伝手を見つけた。

 椿は始めて乗る汽車の窓から外を眺めていた。


(汽車というのは早いものなのね……)


 走るよりもずっと早くて椿は驚き、次々に変わる景色に椿は思考を巡らせた。


(汽車って予想以上に早いわ。無理すれば飛び移れないこともないかしら? 受け身を取れば飛び出ることは出来そうね。もし、汽車の中で襲われたら、どう対処しようかしら……)


 椿のクセであるもしも賊に襲われたらどう対処するかを考えていたら、反対側の席から男の声が聞こえた。


「おい、いつまで開けているんだ。早くその窓を閉めてくれ」

「え?」


 椿が声の方を見ると、椿より少し上だと思われる洋装の男性が座っていた。男性は、読みかけ本から視線を上げて注意してきた。


(この男性、気配を感じなかった……人が多すぎたから?)


「君! 聞こえているのか!?」


 少し考え事をしていると、男性が少し不機嫌そうに声を上げた。


「この窓を閉めるのですね?」

「あんた……帝都の人間か?」


 椿は窓の閉め方がわからず試行錯誤しながら答えた。


「いえ、帝都の言葉を学びました」

「へぇ~~」


 ちなみにこの窓は椿が、汽車に乗った時には開いていた。椿が開けたわけではない。

 結局わからずに周りを見てみたが、窓を閉めている人はおらず、どうすれば閉まるのかがわからなった。


(どうすればいいのかしら?)


「窓の閉め方を教えて貰えませんか?」


 椿が頼むと男性は立ち上がり、「こうする」と閉め方を教えてくれた。椿は教えられた通りに窓を閉めた。すると男性が小声で呟いた。


「ふっ、『閉めてくれ』ではなく閉め方を聞くのか……」


 椿は男性にお礼を言った。


「ありがとうございます」


 すると男性が片眉を上げながら尋ねた。


「もしかして、汽車に乗るのは初めてなのか?」

「はい」

「そうか……それは声を荒げて悪かったな」


 椿は男性の顔をじっと見つめた。


「なぜ窓を閉めたのですか? 寒いのですか?」

「ああ、それもあるが……トンネルに入ると、煙が客席に流れてくるんだよ」

「煙が……?」


 椿はそう言われて窓の外を見た。汽車の煙突からは黒煙が上がっていた。


(そういえば、黒い煙が出てる。そうか、トンネルの中だと煙の逃げ場がなくて、汽車の中に流れこんでくるのね)


「教えてくれてありがとうございます。」

「それはいいが……先ほどの説明だけで状況を理解したのか? 興味深いな」


 男性は自分の座っていた席から、荷物を持って椿の前の席に座り直すと楽しそうに笑った。


「君。名前は?」

「……椿です」

「なぜ帝都に?」

「電話交換手になるためです」


 素直に答えると男性は思案顔で言った。


「へぇ……もう働き口が決まっていたのか……電話交換手か……」


 男性と会話をしているうちに汽車はトンネルに入った。

 急に車内が薄暗くなり椿は回りを見渡した。


(これが噂のトンネル……まるで夜になったみたいだわ……)


 暗くなった回りを見ていると、他の車両でバタバタと窓を閉める音がしたり、数人が咳をしながら、こちらの車両に駆け込んできた。

 そして先ほど駆け込んできた乗客が、今まで男性が座っていた席に座った。


(もしかして、黒煙が? こんな風に他の方に迷惑をかけてしまうところだったのね……危なかった)


 椿はもう一度男性にお礼を言った。


「こんな風になるのを防いでくれたのですね。ありがとうございました」


 男性は驚いた後、顔をくしゃくしゃにして笑った。


「あはは。さっき礼は聞いたがな。もう一度言いたくなったのか? ああ、そうか。この状況で察したわけか……頭も切れるのか……」


 すると、男性が目を細めた。


「椿。俺のところで働かないか? 俺は椿が気に入った」


 椿は驚きながら返事をした。


「あなたとは、先程会ったばかりのはずです。気に入られる理由がわかりません。それに私はもう電話交換手になることが決まっていますので……」


 椿の答えを聞くと男性が少し考えた後、にこやかに笑った。


「そうか。わかった。じゃあ、そっちの方に交渉してみるか」

「え?」


 椿が驚いていると、周りがざわざわとしだした。


「そろそろ着くな」


 椿が外に目を向けるといつの間にか駅に近づいていた。男性は手早く荷物をまとめると、椿の方を見た。


「またな」

「またな……?」


 男性は足早に汽車を降りていった。


(なにかしら? 今の?)


 椿は首をかしげ、再び窓の外の景色を見たのだった。



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