第44話

 アテナがその場に駆けつけた時には、フリューゲルの他に動く機影は見当たらなかった。

 フリューゲルは満身創痍で、兵装もほとんど残されていない様子だった。

『遅いわ』

「すまん。思ったより時間がかかった」

『ギリギリで間に合ったし、許してあげる。感謝しなさい』

 フリューゲルは聖剣ヴァールハイトを掲げた。ロイファー騎士団と戦果を交えたホレイショにも当然見覚えがある象徴的なものだった。

「隊長機はいないのか?」

『撃墜してやったわ。地獄行きよ』

 その笑顔には清々しさと達成感が滲み出ていた。しかし残念そうにため息をつくと、慈しむように操縦桿を撫でた。

『でも戦闘を続行するのは難しいわね。この子にも無理をさせたわ』

「先に戻って休んでいてくれ。あとは俺たちでなんとかする」

 アテナの後から続いてきていた後方支援の部隊が、フリューゲルを慎重に支えた。彼らなら、ソフィアとフリューゲルを安全に艦隊まで運んでくれるだろう。

『仕方がないわね。足を引っ張るわけにもいかないし、後は任せるわ。私がいないからって撃墜されないでよ』

「もちろん。親方の分も働くさ」

 ホレイショが見送っていく中、ソフィアの乗るフリューゲルは運ばれていった。整備が行き届いた騎士国製のアストロン・フレームであれば誘爆する危険もないだろう。

 フリューゲルの姿が見えなくなると、アテナは前方へ向き直った。

「行くぞ。ミネルヴァ。最後の仕事だ」

『了解です』

 アテナは緑柱石色の軌跡を描き、戦場の前線に戻っていった。


 戦艦グラジオラスは、奇妙なことに護衛の船や部隊の姿は見受けられず、クレイトン基地に接岸していていた。

 先着していた部隊は、抵抗を続ける周囲の艦隊を抑えに回っているとジェニファーから通信が入った。

『戦艦グラジオラスには総員退艦が下されており、クローディアスがひとりで艦内に残っています。そしてあなたを呼んでいます』

「俺を呼んでいる?」

 ジェニファーは頷いた。

『何を考えているのか分かりませんが、その戦艦に惑星破壊兵器の制御システムがあります。すでにエリナも解除のために出撃しています。その前にクローディアスを確保してください』

「了解しました。どのようなお気持ちなのかは想像できませんが、投降するつもりになったのかもしれません」

 戦闘が始まる前の通信では余裕の態度を崩さなかったのに、ここまで押し込まれて気持ちに変化が現れたのかもしれない。しかしホレイショには、あのクローディアスが自ら降伏を選択するとは思えなかった。

『戦闘の意思があるのに退艦命令を下すのは不自然です。クローディアスの性格を考えても、何か企んでいるとしか思えません。数名だけでも増援に行かせましょう』

「ご遠慮させてください。もしかしたら条件を守らなかったと言って交渉できなくなったら、せっかくの機会も水の泡になってしまします」

 ホレイショはジェニファーの申し出を断った。ジェニファーは少しだけ考え込むと頷いた。

『わかりました。あなたを信用します。くれぐれも、お気をつけてください』

 通信が終了すると、アテナは戦艦グラジオラスへ進路を向けた。

 戦艦グラジオラスは、戦艦リリーや戦艦セージなどのようなアークロイヤル級とは異なるヴァリアント級戦艦だ。

 大規模な戦闘や本格的な艦隊決戦を視野に入れた強力な兵装が、惜しげもなく装備された戦うための軍艦だ。大きな藍色の艦体には、特別な素材を用いて製造された自己修復機能を持った装甲が備えられ、副砲や対空兵装が設置されている。

 そして、強力な威力を誇る主砲は小規模な惑星なら容易に打ち砕くことができる。

 ホレイショは突然の砲撃に警戒しつつも接近して、戦艦グラジオラスの格納庫へアテナを進入させた。

 格納庫の中は静まり返っており、アストロン・フレームどころか人影すら見かけることはなかった。

「ここまでは大丈夫のようだ。副砲や対空兵装で撃ち落とされるかと思って生きた心地がしなかった」

『艦内に罠が仕掛けられているかもしれません。警戒を怠らないようにしてください』

「わかっている。ミネルヴァはここで待機して、いつでも出られる様にしてくれ」

『了解です。艦橋まで来るようにとモントリオール殿下から指示がありました。お気をつけて』

 緑柱石色のフクロウに頷くと、ホレイショはコックピットから降りて艦橋に向かった。

 戦艦リリーや戦艦セージと少し似ているが異なる艦内を進む。案内板を頼りに罠もなく艦橋の扉までたどり着くことができた。

 環境に繋がる扉は音もなく開いた。そして、その奥にいた人物は、ホレイショの顔をみると満面の笑顔を浮かべた。

「やあ、ホレイショ。よく来てくれたね」

 クローディアスは艦長席に腰を下ろし、歓迎するかのように上品に手を振った。

 ホレイショが艦橋を見回しても操縦士やオペレーターの姿すら見当たらない。総員退艦していたのは間違いではなさそうだ。

「ここまで来るキミの様子をモニターで見ていたよ。道中で煙を噴出させて、驚かせてあげても良かったけど、残念ながらこの船にはそういう機能はない。残念だ」

 クローディアスは少し不満げな表情を見せたが、ホレイショは警戒心を解かなかった。クローディアスの手元にあるコンソールで、この船の全てを自由自在に操ることができるはずだ。

「いえ、殿下。ここまでたどり着くには肝を冷やしました。侵入者撃退用の罠が仕掛けられていると思うと、なかなか恐ろしくて足も進みませんでした」

「見え透いたお世辞は嫌いだ。わざわざ呼び出しておいて、そんなことをするわけがないと思っていただろう。ボクはキミと話がしたくなっただけだ」

「話とはいったい何のことでしょう?」

「ボクが投降するわけじゃない。期待していたなら悪いけど。久しぶりの再会じゃないか。少し場所を変えよう」

 クローディアスは艦長席に設置されたコンソールを操作した。戦艦グラシオラスは動き出し、補給基地から離岸した。ホレイショが慌ててそばにあるものに捕まると、クローディアスは笑い声を上げた。

「心配するな。目的地はすぐそばだ。キミもよく知っているところだよ」

 すぐに超光速航行ワープ空間に移動すると、すぐに通常空間に戻った。目の前には暗く静まり返った宇宙と、遠くに映る惑星レオンの姿もあった。

「ここならいいだろう。いつもと違って静かだし邪魔は入らない。厳戒態勢が取られているから、首都惑星に出入りする宇宙船は限られている。その状況下であれば、こうして貸し切ることもできるってことさ」

「貸し切る?」

「余計なものは邪魔なものだ。何もない方がボクは集中しやすい。貸し切りならそんな心配はしないで済む」

 クローディアスは無邪気に喜ぶ少年のような笑顔を浮かべた。

「まずは紅茶でも飲もう。ボクが淹れる。キミは?」

「せっかくなので、頂けるのであれば」

 常に準備しているのだろうか。クローディアスは手際良く茶葉を取り出してお湯を注ぎ、紅茶を淹れた。

 ホレイショは湯気が立つ紅茶を口に含んだ。少し渋さを感じるが鼻に抜ける香りは、ホレイショが飲んだどの紅茶よりも芳しく、唯一無二の至高の一品だ。

「これは特別に用意させた茶葉だ。ボク好みの味わいになっているはずだが、気に入ってくれると嬉しいね」

 クローディアスもその至福の味を堪能している。少しばかり緊張感をほぐした様子で、クローディアスは口を開いた。

「格納庫にあるのはキミが乗ってきたアストロン・フレームだろう。確か、ジェニファーの護衛用に配備されたもののはずだ」

「はい。俺が偶然に乗り合わせることになりました。今では、いい相棒です」

「偶然に公爵家の作品に乗り合わせるとはめずらしい。少し小型で近接格闘戦には不向きではないかい?」

「初めは少し戸惑いました。しかし機動性は高く、操縦性も良好です。ここまで辿り着けるほどの機体です」

 クローディアスはそうかと答えた。

「やはり公爵家の技術力は侮れないな。ボクにもアストロン・フレームが与えられている。アテナとは兄弟のような間柄だ。自分で言うのも変だが『アレス』は強力だ」

 ヴィスコンティ公爵家が製造するアストロン・フレームがクローディアスの艦隊に配備されていることは想像に難くない。

 そして、クローディアスが強力だと断言するアレスに対抗できるのは、おそらく同等の性能を持つアテナだけだろう。

 やがてふたりのカップが空になると、クローディアスは仕切り直すように声を上げた。

「ボクの心残りのひとつに、キミとの対決という項目がある。誰にも邪魔されない一騎打ちでキミを撃ち倒せば、この項目に終止符を打つことができる。今回は願ってもない好機だ」

 艦長席に備えられたキーを叩くと、艦橋が鮮烈な赤い光で満たされた。大きな文字がモニターに表示され、けたたましい警告音と共に、機械音声が繰り返し再生された。

『自爆装置が起動されました。総員すみやかに退艦してください。繰り返します……』

「決着をつけよう、ホレイショ。通算成績ではボクの勝ち越しは間違いないが、最後の演舞大会ではキミの勝利だった。もう一度やれば、あの時の敗北はただの偶然に過ぎないことがわかる。そのための惑星レオンを貸し切った。ここならお互いに気負うものもないだろう」

 クローディアスの瞳は闘志を燃やし、ホレイショを見据えている。

 ホレイショは頷いた。

「その勝負、受けて立ちます」

「そう言ってくれてよかった。では、戦場で会おう」

 クローディアスは上品に手を振ると、背後を振り返ることなく艦橋から専用の出入り口から退出していった。ホレイショも格納庫にかけて行った。

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