第36話

 惑星アナドールの大気圏と真空の宇宙。

 エリナの計算に従い、ヘルメスを中心にした護衛部隊は高度をさらに上げていた。

 ホレイショの眼下には惑星アナドールの大陸と広大な海洋が広がり、白い雲がベールのように地表を覆っている。そして、眼前には空と宇宙の境界線、頭上には黄金に煌めく格子が目の前に広がっている。

『エリナさまの計算ではここで間違いないわ。そっちは何か見える?』

「何も見えない。綺麗な空と宇宙があるだけだ」

 ホレイショは視力に自信があったが、見渡す限り群青色の空が広がるだけだった。

『仕方がない。相手は隠密行動に長けている。そう簡単に姿を見せてくれないよ』

 エリナは不敵に笑った。

『地表をいくら調べても最上位のシステムは見当たらない。上空から時限爆弾を制御するというのは合理的だったが、黄金の鎖で通信が遮断されてしまうからあり得ない。一応調べてみても何も見当たらない。地表に隠されていると思っていたが、それが袋小路に入り込むきっかけだった』

 エリナはコンソールを操作する。

『私の計算では、黄金の鎖と同じ高度であれば、高速で惑星を周回しながら時限爆弾を制御することは可能だ。目を向けるのは、地表ではなく上空だ。徹底的に捜索し最上位のシステムを発見する。賭けになるがやるしかない』

 エリナの仮説は各国に周知され、惑星アナドールの上空では大捜索網が展開されている。

 しかし、算出された残り時間は1時間を切っている。刻一刻と、惑星アナドールに終焉の時間が近づいている。

『メルクリウス。ここで反応を見つけるぞ』

『承知しました。私も全力を尽くします』

 ヘルメスは探知を始めた。新雪のような白い粒子を展開し、ケリュケイオンは稼働した。長い沈黙の中、ホレイショは手のひらに汗を感じた。

 メルクリウスは探知を終えた。

『反応はありません。目標は確認できません』

『探知範囲を拡大してもう一度行おう』

 エリナは条件を変更し、同じ動作を繰り返すが結果も同じだった。

 護衛部隊の仲間が声を上げた。

『場所を変更されてはいかがでしょう? 別の座標にいるかもしれません』

『場所を変えれば余計に見つからなくなるし、各国の偵察機も上空に目を向けている。私たちはこの座標を徹底して捜索するしかない』

 そうは言うエリナにも焦りが見え始めている。落ち着きのない動作が増えて来ているようだ。

 果てしなく広がる蒼穹。それを覆う黄金の天蓋のような鎖。眼下の白い雲。何もないことへの絶望がジワリと広がっていく。

 ホレイショの張り巡らせていた視線が、僅かな変化をとらえた。黄金の鎖を背景に小さな黒い点が一瞬だけ出現したように見えた。

『ホレイショ。今の見えた?』

『はっきりとは言えないが、黄金の鎖の瀬戸際に、黒い点が現れてすぐに消えた。親方も見たのか』

 ソフィアは頷いた。

『私だけなら気のせいかもしれなかったけど、あんたも見たなら気のせいじゃないわね。調べてみる価値があるわ』

 ソフィアはエリナに自分とホレイショが見たものを説明した。しかもそれは、護衛隊の仲間も目にしていたが、気のせいだと思っていたようだ。

『試してみる価値はある。メルクリウス。さらに上空を調べよう。黄金の鎖との境界線だ』

『承知しました。では探知範囲をさらに上空へ定めます』

 ヘルメスの掌部が上空に向けられる。

 祈るような気持ちでメルクリウスの探知結果を待つホレイショ。結果は早く判明した。

『微弱な反応を感知しました。なんらかの飛行物体である可能性があります』

『きたぞ! 見つけた!』

 歓喜の声を上げるエリナ。そして、自分が見つかったことを悟った黒い点が姿を現した。護衛部隊から距離を取ろうと白い雲を引いて速度を上げた。

『各機、あの機体を追跡! まだ時限爆弾の解除が残されている! 撃墜はするな!』

『了解! 待ちに待った仕事の時間よ!』

「お供しますよ。親方」

 フリューゲルを先頭に、小さな影の追跡を始めた。大空に溶け込むような濃い藍色の装甲とアテナよりもさらに小型なアストロン・フレームは、軽量で小型という特性を活かして機動力に特化した機体になっている。

 後を追いかけるアテナたちを翻弄するように空を舞い、逃走するアストロン・フレーム。その動きは差し詰めイタズラ好きの『妖精ピクシー』と言ったところだ。

『素早いわ! 見逃さないように注意して!』

 しかし妖精ピクシーは捕まらない。アテナたちが連携を取り何度も追い詰めるが、その度に捕獲の網の目を通り抜けた。その動きは曲芸的とすら言えるものだ。

 算出された残り時間は20分を切っている。

 エリナは叫んだ。

『あの機体はおそらく無人機だ! 私たちの動きを予想し、通常の機体ではできない最適な動きで対処している!』

「それだと俺たちには捕まえられません! どうすればいいのですか!?」

『私はあの機体へハッキングを仕掛ける! 動きを鈍らせるから隙をついて捕獲してくれ!』

 ヘルメスは掌部を妖精ピクシーに向けた。

 妖精ピクシーは依然として高い機動性をアテナたちに見せつけていたが、少しではあるが動きが遅くなり、予想できる機動になっていった。

『これなら届く! 捕まえてやる!』

「親方! 連携を忘れるな!」

 アテナとフリューゲルが先頭に立ち、護衛部隊の仲間と協力して妖精(ピクシー)を追い詰める。動きが鈍くなっても妖精ピクシーはなかなか尻尾を掴ませることはしてくれない。

 算出された残り時間は数分。しかし、ホレイショたちの集中力も連携も最高潮に達していた。

 護衛の仲間が誘導して妖精ピクシーを追い込んだ。そして、一瞬の隙をついたアテナは肉薄するが、紙一重の差で回避されてしまう。しかし、大きな隙を見せた妖精ピクシーをついにフリューゲルが捉えた。

『大人しくしなさい!』

 逃げ出そうと激しい抵抗を見せる妖精ピクシーだったが、フリューゲルとの体格差ではそれも叶わない。フリューゲルは動きを封じるように妖精ピクシーの胴体を固めた。

 護衛の仲間がさらに両脇を固める。妖精ピクシーは完全に動きを封じられた。

『エリナさま! 今です!』

 算出された時間は残りわずか数十秒。ヘルメスは妖精ピクシーに接触するため駆け出した。

『間に合え!』

 ヘルメスと妖精の距離が近づこうとした時、妖精ピクシーの頭部が変形した。

 頭部の中に隠された銃身が姿を現し、銃口はヘルメスを捕らえている。

『えっ?』

 今まで聞いたことのない間の抜けたエリナの声が護衛部隊全員の耳に届いた時には、砲身に強烈な光の砲弾が装填され、躊躇ためらうことなくヘルメスに光の砲弾が放たれた。

『エリナさま!』

 ヘルメスを守るべく、護衛が駆け出す。

 しかし彼らはあまりにも遠く、遅すぎた。放たれた光の砲弾にはヘルメスの装甲を打ち抜き、アストロノートであるエリナの生命を奪い去るには十分すぎる時間と破壊力が備わっている。

 誰もが最悪の結末を想像したが、そうなる事はなかった。

 ヘルメスに駆け寄ったアテナが、光の盾アイギスで砲弾を防いだ。

 ホレイショは安堵のため息をついた。通信機越しで見るエリナの表情は驚きで満ちていた。

「危機一髪でした。お怪我はありませんか?」

『大丈夫だ。ありがとう。命拾いしたよ』

「ご無事なら何よりです。戦場では細心の注意を払って下さい。今は時間がありません。早く時限爆弾を停止させましょう」

『そうだな。わかっている』

 今度は両側に護衛とアテナを従えて、ヘルメスは妖精に接近した。

 フリューゲルを含めた3機のアストロン・フレームに妖精(ピクシー)は厳重に封じ込められている。これなら先ほどのような反撃をする心配はないだろう。

 算出された残り時間は10秒ほど。ヘルメスは妖精の胸部に手を添えた。

『これで終わりだ。停止させろ』

『停止プログラムを実行します』

 メルクリウスの静かな声が聞こえる。

 そして、算出された残り時間は0になる。

 ホレイショたちは周囲を見回した。地上で爆発が起きた様子はなく、周囲の上空は静かだ。

『何もないわよね?』

「俺たちがすでに死んでなければ、何もないな」

 そして護衛の仲間が声を上げた。

『あれを見ろ! 黄金の鎖が解除されていくぞ!』

 その指が示す方向に視線を向けると、確かに黄金に煌めく格子がなくなり、群青色から濃紺の宇宙にまで隔てるものがなくなっていく様子が見られた。

『これって!?』

 ソフィアは喜びを抑えきれない様子でエリナに尋ねる。

『そうだな。私たちは危機を脱した。任務は成功だ』

 エリナの言葉を聞いた瞬間、護衛部隊から特大の歓声が上がった。

 そして、それは地上にいる人々のみならず、力を合わせて戦っていた各国の軍人たちも同じだった。

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