第35話
ホレイショたちの眼下には古い街並みと雄大な自然が広がっている。見上げるような上空には、黄金の鎖がよりはっきりと見ることができるようになった。
アテナとフリューゲル、ルーサー少佐が選抜した4機、さらにその中心に護衛対象を配置し、合計7機で大空を飛行している。編成の中心にいるのが、エリナの搭乗するヘルメスだ。
その姿はアテナと同じく白い装甲に黄金の甲冑を纏っていたが、蒼玉石色の光、頭部と足元に施された羽のモチーフが特徴で、柔軟で身軽な青年を思わせた。
『ヘルメスは、主に電子情報戦を主眼に開発されています。兵装もそれらを念頭に置いたものが中心で、本機アテナとは一線を画した機体です』
ミネルヴァにヘルメスのことについて尋ねるとそのような返答があった。
時限爆弾の解除に向かうルーサー少佐たちを見送ったあと、エリナはヘルメスのことを紹介していた。その時のエリナの瞳は、文字通り輝きを放ち、大いに誇らしげだった。
ホレイショたちの任務は時限爆弾を制御するシステムを発見すること。そのためには、優れた索敵偵察能力が必要だ。さらに地上の情報収集では、地形や時限爆弾の位置情報を戦艦セージへ送り、各国と共有して制御システムを捜索している。
ヘルメスの主要な装備は、量子コンピュータ『ケリュケイオン』と戦闘支援用AI『メルクリウス』だ。エリナはケリュケイオンで収集した情報を解析し、メリクリウスはエリナの操縦や解析を補助している。
爽やかな青年の声。
蒼玉石色のトキのシンボルマーク。
それがメルクリウスに与えられたインターフェイスだ。
『エリナさま。この地域の解析が不十分です。もう少し、情報を集めましょう』
『情報が正確でなければ、元の制御システムは追えない。丁寧かつ迅速に行おう』
ヘルメスの背面の装備された量子コンピュータ『ケリュケイオン』が稼働した。放熱板を解放し、新雪のような白く淡い光を放つと、手のひらを地上に向けた。
読み取られた地上の観測データとすでに解析されたデータより、この地域に存在すると時限爆弾の位置と、制御システムの場所を把握する。この地道な作業を繰り返し、ヘルメスと護衛部隊は惑星アナドールをすでに何周もしていた。
エリナはすでに何十回もデータの解析を行なっている。操縦席のキーボードを叩く指の動きは凄まじく、ホレイショの目に追える速度ではなかった。
エリナは瞬きをすることもなかった。深紅の瞳は無心に画面に向けられ、大量の文字列を追っていた。
最小限の動きで最大限の仕事をしているエリナの姿を見て、任務中であることも忘れてホレイショは感心していた。
そんなホレイショに通信が繋がった。通信の相手は沈黙と退屈を何よりも嫌うホレイショの親方だ。意図は不明だが、他の人には伝わらない
「どうした?」
『何もないわ。少し話がしたいかなって思っただけだけよ』
「
『とぼけるつもり?』
ソフィアはニヤリと笑った。面白いものを見つけてどうするか悩んでいるようだ。 ホレイショは嫌な予感がして通信を切断しようとした。
「話がないなら通信を切断するぞ。任務中だ」
『任務中でも私もあんたも暇でしょう。少しぐらい会話に付き合いなさい。もしかして、私に話せないようなことがあったのかしら?』
「何のことだかさっぱりだね」
ホレイショはソフィアの真意を測りかねていた。
『あんた、さっきからエリナさまに熱い視線を向けているでしょう。私の直感が偶然じゃないって告げているの。女のカンね』
ホレイショが女のカンと聞き返す前に、ソフィアが口を開いた。
『エリナさまとキスしたの?』
ホレイショは吹き出した。護衛部隊の仲間が何事かと言ってきたが、なんでもないと答えた。
「どうしてそんな発想になるんだ?」
『ホテルから艦隊に戻る時、あんたとエリナさまは狭い操縦席で密着していたでしょう。この目で確かに見たわ。はっきりとね』
ソフィアは何度も頷いている。
『見つめあって体を寄せ合って。私も無粋じゃないからあの時は聞かなかったけど、実際キスぐらいはしたんでしょう。どうなの?』
とんでもない考えに、ホレイショは思わず声を上げて反論した。
「するわけないだろう! 何を考えているんだ!」
護衛隊の仲間が静かにしろと話してきたので、操縦席に虫がいたとホレイショは答えた。護衛隊の仲間が任務に戻ると、ソフィアは再び話した。
『でも、エリナさまもまんざらではなさそうだったし、あんたが欲望のままに襲いかかることもあり得るわよ』
ソフィアも少し顔を赤く染めている。さすがにこういう話題には羞恥があるのかもしれないが、好奇心が勝ったということだろう。
これ以上、護衛隊の仲間から批判されないように、ホレイショは落ち着いて答えた。
「騎士国ではどうか知らないが、帝国でそんな事をすれば不敬罪で打首だ」
『皇族ではあるけど、姫さまもエリナさまも女の子だし、しかも相当かわいいでしょう。キスしていないなら、ふたりのうちどっちが好みなのか教えなさい』
いきなりそんな事を答えろと言われても難しい。ふたりとも偶然知り合った間柄でしかないし、実は知らないこともあるのではと思ってしまう。
『戦艦セージの艦長さんとエリナさまの秘書も綺麗だったわ。意外と歳上の方が好みなの?』
「そうじゃない。すれ違う相手全員を物色するほど暇じゃないだけだ」
ホレイショは答えたが、ソフィアは若干不満そうだ。
『本当に? 一度もそんなこと考えたことないの?』
「考えたことはない」
もちろん、ふたりの魅力は十分にわかっているが任務のこともある。余計なことを考えていられるほど戦場は甘くない。
キッパリと言い放つと、ソフィアもこれ以上の追求は諦めたようだ。
『帝国の人って真面目ね。まぁ、いいわ。姫さまかエリナさまのどちらかとお近づきになりたいなって思ったら協力してあげる。でも、ふたり同時や浮気は許さないわ。万が一にもそんなことをすれば、騎士として絶対に……』
そこまで聞いてホレイショは通信を切断した。短い時間だけだったはずなのに、非常に疲れを感じた。
「全く、なんだったんだ?」
『ソフィアさまも恋愛話が気になる年齢です。ご理解してください』
ミネルヴァにそう言われても、ホレイショは釈然としなかった。
『待たせたね。解析終了だ。もう少し、他の地点のデータも欲しい。行こう』
解析を終えたエリナにそう声をかけられ、護衛部隊は移動を開始した。
各国の解析も進み、徐々に最上位のシステムの場所は絞られてきている。しかし、算出された起爆時間も徐々に近づいている。ホレイショたちに無駄足を踏んでいる時間はない。
次の地点に移動している時、マルティナから通信が接続された。
『エリナさま、手配されたものが届きました。作業を開始してもよろしいでしょうか?』
『よろしく頼む。何かの手掛かりになるかもしれないからな。ルーサー少佐たちはどうなっている?』
『はい。現在、惑星アナドール全体の3分の1程度の時限爆弾が処理されていますが、まだ解析が不十分な地点もあります。もう少し全体の数は増えると思われます』
『地上部隊の任務が進めば、私たちが最上位のシステムを発見する時間を早めることができる。引き続き任務にあたるように伝えてくれ』
マルティナは恭しく頭を下げると、通信を切断した。ソフィアがエリナに尋ねた。
『エリナさま、例のものとはなんでしょう?』
『バージル・マローの情報端末と携帯端末だ。紅月国の当局が回収したが、水と薬品に浸されてしまって中身のデータが破損しているらしい。それを私たちが修復するから後で送ってくれとギルバート卿に伝えていた。それが戦艦セージのマルティナたちに届いたようだ』
「何かの役に立つのでしょうか?」
ホレイショの疑問にエリナは首を振った。
『わからない。でも、何か役に立つ情報を復元できるかもしれない。マルティナたちに端末の修復作業を任せた。全くの無駄骨になるかもしれないが、試してみる価値はある』
ヘルメスを中心にした部隊は目標の地点に到達した。
すでに他国の部隊が解析した地点ではあったが、エリナに言わせると甘い箇所があるらしく、再び解析する必要があるのだという。
『算出された残り時間も少ない。もうそろそろ目標の位置を割り出したい』
『各国も同様の作業で苦戦していますが、エリナさまなら可能です』
『ありがとう。メルクリウス。今度、高級なオイルを入れてやろう』
『私は戦闘支援用AIですので、潤滑油は使用されていません』
エリナは何度目かわからない解析作業に入る。時限爆弾が作動するまで残された時間は少ないが、いまだに最上位のシステムの場所がどの国でも把握できない。
焦らないようにすればするほど焦りを意識するホレイショ。しかし、護衛の自分がエリナよりも焦ることは馬鹿馬鹿しいと思えた。
『この惑星アナドールって山が多いわね』
今度は
「地形的にも連なった山脈や深い渓谷が多い。地殻運動が盛んで地震も多発する。住むには少し厄介かもしれないな」
『定住するのはどこでも面倒よ。でも、ここなら温泉がたくさんあるでしょう。美容と健康に最適だし、温泉でしか食べられないものもたくさんあるわ』
ホレイショはしばらくソフィアの温泉談義に耳を傾けた。泉質や成分の話、美容や健康への効果、そして観光や経済の話まで多岐にわたるものだ。
『よし、これで終了だ。あとはこのデータを戦艦セージに送ろう。最上位のシステムの場所を絞り込めるはずだ』
エリナは両腕を伸ばして凝り固まった体をほぐす。
ソフィアはエリナを労る言葉をかけた。
『お疲れさまです。エリナさま』
『ソフィア君か。悪いね。こんな仕事に付き合わせてしまって』
『気にしていませんよ。エリナさまこそ、長時間のお仕事お疲れさまです。ホレイショと話していたのですが、エリナさまは温泉にご興味はありますか?』
エリナは肩を回しながら答えた。
『温泉か。ここ最近は仕事ばかりで、旅行や休暇については考えたこともなかったよ』
『やはりお忙しいのですね。そういう時は温泉で疲れを癒すことも重要です。この惑星アナドールにはたくさんの天然温泉があるので、ちょうどいいなと思いませんか?』
『そうだね。温泉の効能は科学的にも証明されている。職場と自宅の往復になりがちな私のような人間には、温泉街という非日常感と科学的な癒しの両立された温泉というものが必要かもしれないな』
エリナは笑顔を浮かべている。そしてソフィアはホレイショにも何か話すように促してきた。
「ご旅行は誰とご一緒されるのですか?」
『そうだな。何人か仲のいい友人たちと一緒に行くだろうね。気心の知れた友人たちだけでおいしいものを食べて、ゆっくりと疲れを癒す。なかなか贅沢なことだ』
エリナはそういうと少し遠いところを見るような表情を浮かべた。
『私やジェニファーが幼かった頃、長期の休暇の時は同じ年頃のみんなで集まって色々冒険したものだ。懐かしいな。あの頃は』
『エリナさま。戦艦セージより連絡がありました。残念ですが、最上位のシステムは発見できませんでした』
メルクリウスから結果を聞いた時、エリナは深く重いため息をついた。
『ダメか。やはり、惑星全体を覆うような制御システムなど存在しないのか。しかし、私たちの目の前に存在している時限爆弾は稼働している。おかしい。どこかが矛盾しているはずなのに、それがわからない』
エリナは腕を組んで独り言を呟く。落ち着いてはいるものの、迷宮から抜け出せないもどかしさは感じているようだ。
『こういう時こそ温泉で疲れを癒したい。私でもいい考えが思い浮かぶかもしれないだろう』
「ソフィアによれば、惑星アナドールの温泉には様々種類があってひとつに絞りきれないそうです。いい考えが思い浮かぶ温泉も存在するかもしれません」
『面白い仮説だ。全ての温泉を検証することはできないから、存在しないことを証明することは難しい。そもそも、温泉の効能というのは様々な要因が複雑に絡み合っている。水中に溶け出している成分も重要かもしれないが、温泉の水温や水圧も無視できない』
「場所も重要かもしれません。絶景が一望できる温泉や文化財や貴重な史跡の中でしか利用できない温泉もあるようです」
『場所というのは確かに重要だ。私の聞くところによると……』
エリナは突然口をつぐんだ。どうしたのかとホレイショが聞く前に、エリナはコンソールを叩き始めた。その動きは俊敏で、水を得た魚のようだ。
『君との会話で面白い発想が得られた。少し時間をくれ。移動はせず、場所を変えよう』
ソフィアはホレイショに耳打ちをするように小さな声で話した。
『あんた、エリナさまに変なことを話したの?』
「いや、別に変なことは話していないはずだ」
『ふたりで旅行に行きましょう、一緒に温泉に入りましょう、みたいな無茶苦茶なことを要求した?』
「そんなことはしてない!」
ホレイショとソフィアが騒いでいても、一心不乱にエリナはコンソールを叩き続けた。そして、顔を上げたエリナは勝ち誇った笑顔を見せた。
『見つけた! 最上位のシステムはここにある!』
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