第33話

 戦艦セージをはじめとしたモリス艦隊が停泊する港から、エリナが待っている会場のホテルは距離があった。

 市街地の様子を上空から確認すると、道路は動揺している住民たちで埋め尽くされており、身動きを取ることもできなさそうだった。特に会場となったホテルの周辺には、住民が押し寄せ、武装した兵士たちによって出入り口を封鎖されていた。

 ホテルの警備役の指示に従い、アテナとフリューゲルは着陸した。

 多数の護衛を従えて目的の人物はふたりの到着を待っていた。初めて対面する彼女は通信画面では捉えきれない魅力であふれていた。

 柔らかく波打つような明るい栗色の髪。滑らかで曇りのない白い肌。深紅の瞳は生き生きとした輝きで満ちており、ジェニファーに勝るとも劣らない少女だ。

「やあ、初めまして。私はエリナ・ヴィスコンティ。ジェニファーの友人だ」

 笑顔を浮かべながら、エリナは握手を求めてきた。

「改めまして、ヴィスコンティ公爵さま。ホレイショ・カーター少尉です」

「私はソフィア・シュトゥットガルトです。以後、お見知りおきください」

「ヴィスコンティ公爵などといわないでくれ。私の母も祖母もヴィスコンティ公爵だった。もっと気軽にエリナと呼んでくれたほうがわかりやすくて好きだ」

 エリナは片目を軽く瞑った。そして、ホレイショの顔を見ると、面白そうに話した。

「君のことは知っているよ。カーター少尉。学生時代の大会で、クローディアスと戦っていただろう。私もジェニファーと一緒に会場で見ていた。懐かしいな」

 ホレイショは恐縮ですと頭を下げた。自分が意外にもさまざまな立場の人たちに認知されていることに驚いた。

「私はこの状況を打破するためにある任務を託された。モリス艦隊に戻らなければならない。君たちに護衛を頼むよ」

「もちろんです。お任せください」

 ホレイショはそう話したが、エリナはアテナの隣にいたフリューゲルの存在に気が付くと、一目で新型だと気がついたようだ。エリナは深紅の瞳を輝かせてソフィアに尋ねた。

「新型のメッサーシュミットか?」

「そうです。まだ試作の段階ですが、新開発の機体になります」

「実に、非常に興味深いね。少し近寄ってみてもいいかな?」

 ソフィアがはいと返事をすると、エリナはフリューゲルに歩み寄った。その全身をくまなく穴が開くほどの勢いで食い入るように見つめている。そして時折感心したように頷き、聞こえないぐらい小さな声で囁いていた。

 周囲のことが目に入らなったエリナに、ソフィアが少しためらいながらも話しかけた。

「エリナさま、私の機体は後で見せますので、先に艦隊のほうに向かいましょう」

「ああ、そうだったな。すまない。こんな間近で騎士国の新型を観察することなんて、滅多めったにないからな。我を失ってしまった。早く行こう」

 エリナはホレイショに手を差し出した。

「悪いが今の服装では足元がおぼつかない。すまないがエスコートしてくれ」

 彼女の足元に目を向けると高いヒールを履いていた。これでは確かに転倒する恐れがあるだろう

「ソフィアのフリューゲルのほうが気になるのではないですか?」

「アテナのことも気になる。構わないだろう?」

「操縦席は狭いですよ」

「心得ている。アテナは私たちが作ったからね」

 ホレイショはアテナに合図を送ると、それを認識したミネルヴァがアテナを操縦した。

 アテナの手のひらをホレイショとエリナの足元に移動させた。ホレイショがアテナの指に掴まり、反対の手でエリナの体を支えた。アテナの腕はゆっくりと駆動し、アテナの胸元にある操縦席までふたりを運んだ。

 ホレイショの腕に捕まりながら、エリナは操縦席に乗り込んだ。

「お座りになりますか?」

「万が一の場合、私では明らかに実力不足だ。君が座ってくれ。しかし、私はどうするか」

 ホレイショも乗り込むと扉を閉めた。高所から転落することはなくなったが、操縦席はひとつしかない。

 ジェニファーが使用した座席は戦闘の時危険になるということで、惑星フェストルアンですでに撤去されていた。

「新しく座席を設置し直せばよかったですね」

「ないものは仕方がない。それならこうしようじゃないか」

 エリナは背後を向けると、先に座っているホレイショの膝の上に腰を下ろした。

 ふわりと香る花のような匂い。柔らかくて温かい感触。

 突然の出来事にホレイショの頭脳は思考を停止した。

「重いのは勘弁してくれよ。私の体重は平均よりも軽いはずだが、邪魔であることは間違いない」

 振り返ったエリナの深紅の瞳に、戸惑った自分の姿が映りこんでいる。ホレイショは慌てて顔を逸らした。

「これは、よくないと思います」

「確かに正面が見えないな。少し体勢を変えよう」

 エリナはホレイショの膝の上で体勢を変えた。背中と両足をホレイショの両腕に委ね、ホレイショの上体に軽く抱きついた。

 お姫様抱っこの体勢になり、ホレイショはエリナの匂いや温もりだけではなく、整った顔立ちや吐息も感じられる。もはや自分の鼓動すらエリナに聞かれてもおかしくない。

 それは、ほんのわずかに首を動かせばエリナの桜色の唇と触れられる距離。ホレイショは思わず生唾を飲み込んだ。

 色々な意味で追い込まれたホレイショのことに気がつく様子もなく、エリナは話を続けた。

「これなら視界も確保できるし、君の操縦の負担にもならないはずだ。どうだ?」

「どうかと言われると、そうではありますが」

 はっきりしない返事のホレイショにエリナは怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに問題点を悟ったようだ。頬を赤く染め、慌てて離れようとするが、狭い操縦席で身動きを取ろうとしてもうまくいくはずもなく、ドレスに覆われたエリナの白い肌が露出しそうになり、ホレイショは再び視線を逸らした。ますます頬を赤く染めて、エリナは衣服を整えた。

「すまない。狭すぎたな。これはさすがに想定していなかったよ」

 ホレイショの操縦の邪魔にならないようにすると、エリナは彼に抱きつく必要がある。そうなれば必然的に両者は密着し、今度は操縦どころではなくなる。様々な体勢を試みても、結局ホレイショとエリナは密着する必要があった。

 そんなふたりに声をかけるものがいた。コンソール上に現れた緑柱石色のフクロウだ。

『おふたりとも、少しよろしいですか?』

「ミネルヴァか。一体どうした?」

 エリナは振り返った。

『座席のことでお困りなら、私が操縦いたします。ホレイショはエリナさまのことを支えてくだされば十分かと思います』

「そうだな! 操縦は彼女に任せよう! 君もそれでいいだろう?」

「わかりました。そうしましょう」

 この状況から解放されるなら、藁にもすがる思いでホレイショは頷いた。

 ホレイショはエリナの両肩と両足を優しく抱えた。エリナはホレイショの胸元に手を添えた。冷静に考えれば、この体勢でも密着度や距離感は変わらないはずだが、ホレイショとエリナが気づく様子はなかった。

「では、行きましょう」

「よろしく頼む」

 ホレイショはエリナの顔を直視できず、エリナも同じようだった。どこか恥ずかしい空気が操縦席を包んだ。

『ふたりとも、準備はできたわね。艦隊に戻りましょう』

 ソフィアはニヤついた笑顔を浮かべるとフリューゲルは先に飛び立った。その後に続くようにアテナも離陸し、2機はホテルを後にした。

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