第15話
アテナと呼ばれる機体は戦艦リリーの艦底にある専用格納庫に置かれている。今回のような事態が想定され、その艦底の格納庫を知っている人は乗組員の中でもごくわずかだという。
「君はヴィスコンティに乗ったことがあるのだろう?」
「少しだけ経験があります」
「さすが第7艦隊。この戦艦に配属されているアストロノートも訓練は積んでいる。しかし貴族や良家の子息が多い第2艦隊という性質上、実戦経験が豊富ということにはならない。実戦でヴィスコンティに乗ったことのあるアストロノートは、他の艦隊でも多くないだろう」
ヴィスコンティというのはアストロン・フレームの製造元の名前だ。その名前が冠された機体は高性能かつ、強力な兵装が装備されている。しかし、アストロノートであれば誰でも乗りこなせるようなものではなく、特別な訓練と技術の習得、何よりもセンスが問われる扱いづらい機体でもあった。
「アテナはヴィスコンティが製造した。機体の性能は折り紙付きだが、扱いづらい一面もある。通常であれば熟練のアストロノートがあのお方と共に脱出する手筈だが、艦内がこのような状況であるため誰が信用できるかわからないし、実戦経験のない殿下をひとりで行かせるわけにはいかない。そこで君が選ばれたんだ」
エレベーターに乗り込むと、フィッシャー大尉はガラスパネルに手を添えて、右目を手元に近いカメラに近づけた。
「トム・フィッシャー大尉。これから艦底に向かう」
『進入許可』という文字が表示され、エレベーターがふたりを乗せて動き出す。
「ここから先は許可のある人物しか入れない。艦橋ではオルトラン艦長、現場の人間では私、あとは整備主任と少数の整備士だけだ」
「これから俺が会う人っていうのは誰でしょうか?」
「焦るな。カーター少尉。想像はついているかもしれないが、びっくりして腰を抜かすんじゃないぞ」
フィッシャー大尉はニヤリと笑顔を浮かべた。ホレイショは名前を聞き出すのは諦めてエレベーターが到着するのを待った。
エレベーターの扉が開くと、艦橋の喧騒とは切り離された静かな通路を進む。そしてフィッシャー大尉が最後の扉を開けると、ホレイショは目の前に広がる光景に感嘆の声を漏らした。
白亜の装甲は磨かれた鏡のように輝き、身に纏った黄金の甲冑とひと回り小柄な体格は、誇り高く勇敢な戦乙女を彷彿とさせた。その造形は、アストロン・フレームを芸術品として製造するヴィシコンティの哲学そのものを体現したといっても過言ではなかった。
格納庫に入ってきたふたりの姿を見て、作業着を着た整備士と思われる人物が近寄ってきた。年齢はフィッシャー大尉と同じぐらいで、軍人らしからぬ穏やかな表情を浮かべていた。
「フィッシャー大尉。出撃準備はできています。そちらはアストロノートですか?」
「その通り。緊急だったが、協力してもらうことができた。ホレイショ・カーター少尉。こちらは整備士のリドリー・アボット中尉。このアテナの整備を担当している」
ホレイショと握手を交わすと、アボット中尉は背後にいるアテナを指差した。
「時間もないのでカーター少尉を借りますよ。説明しないといけないことが多いんで」
「手短に頼む。私は艦長に到着の報告をする」
アボット中尉は頷くと、ホレイショを連れてアテナのコックピットに乗り込んだ。ホレイショが操縦席に座ると、横から簡単に操作方法を教えてくれた。その大部分はホレイショも経験して理解できていることだったので、改めて確認する程度だった。
「一番違うのかこいつがいることかな」
『ミネルヴァ』とアボット中尉が呼びかけると、操作画面上にフクロウのシンボルマークが現れ、透明感のある女性の声が答えた。
『はい。ミネルヴァです。ご用件はなんでしょう』
「しばらくお前さんと一緒にいることになるカーター少尉だ。久しぶりに軍務に就くことになるから、お前さんも色々と気にかけてやってくれよ」
『承知しています。それが私の使命です』
ホレイショが呆気に取られていると、アボット中尉が説明してくれた。
「このアテナに搭載されている戦闘支援用AI『ミネルヴァ』だ。まだ習熟が終わっていないから全てを任せるのは無理だけど、少尉の補助や支援なら問題ないはず。仲良くしてやってくれよ」
ホレイショはなるほどと返事をしたもののイマイチ合点がいかない。そこで未知の存在であるミネルヴァと接触を試みた。
「ホレイショ・カーターだ。よろしく頼む」
『よろしくお願いします。カーター少尉。私は戦闘支援用AIミネルヴァです。あなたからは色々と学べるものが多そうです』
自己紹介を簡単に終わらせると、フィッシャー大尉がコックピットにいるホレイショとアボット中尉に声をかけてきた。
「殿下がいらっしゃる。ふたりとも外に出てこい」
コックピットから抜け出すと、アテナの他の作業にあたっていた作業員たちが集合していた。どこか浮き足立っている彼らの側にホレイショとアボット中尉は並んだ。
「誰が来るのでしょうか?」
「まだ聞いていないのかい。僕から言えることは、くれぐれも失礼がないように、かな」
アボット中尉はホレイショの肩を叩いた。ホレイショは頷くと、格納庫の扉が開かれた。全員が無駄口をやめ、一直線に並んで背筋を伸ばした。
護衛である2名ふたりの兵士が姿を現した。周囲を警戒し、扉の両脇に直立不動の姿勢をとった。その後に続いてきたのはホレイショと同年代の赤い髪の少女だ。護衛に続いて周囲を警戒する様子を見せると、後ろにつづいてきた人物に声をかけた。
「ここは無事のようです。ご安心ください」
「リリアン。ここは艦底の格納庫だから大丈夫よ。そんなに警戒する必要はないわ」
そして赤髪の少女の次に格納庫に姿を現した少女を見てホレイショは息を呑んだ。
艶やかで柔らかな黒髪。滑らかな白い肌。そして、すっきりと整った顔立ちと宝石のような透き通った輝きを放つ青い瞳。
誰もが思わず見惚れてしまうような、美しい少女がそこにはいた。
彼女の後ろには荷物を抱えたオルトラン艦長。背後を警戒していた護衛の兵士が2名格納庫に姿を現し、黒髪の少女を守るように両脇に立った。
フィッシャー大尉は黒髪の少女の前に跪いて丁寧な口調で話した。
「エディンバラ殿下。ご足労いただきありがとうございます」
「フィッシャー大尉。面を上げてください。事情はオルトラン艦長から聞きました。非常に残念ですが、仕方がないこともあります」
ジェニファーは優しい微笑みを浮かべていたが、どこか気丈に振舞っているようだとホレイショは感じた。
フィッシャー大尉は顔を上げると淡々と話を続けた。
「すでにアテナの準備は整えています。殿下の護衛をご紹介します。カーター少尉。出てこい」
ホレイショは柄にも無く緊張していた。彼の記憶では、ジェニファー・エディンバラという人物は現皇帝の弟の娘。つまり姪に当たる。士官学校時代に貴族や皇族の扱いは慣れていたつもりだったが、いざ対面するとなると緊張は隠せなかった。
リラックスしてというアボット中尉の声に背中を押され、ホレイショはフィッシャー大尉の隣に立った。
「カーター少尉は元第7艦隊所属で、アストロノートとしての実力も経験も十分です。君からも殿下にご挨拶をしなさい」
「ホレイショ・カーターです。エディンバラ殿下。以後、お見知りおき下さい」
ホレイショは頭を下げた。チラリとジェニファーの様子を伺うと、彼女は目を丸くして驚いた様子だったが、すぐに微笑みを浮かべた。
「カーター少尉ですね。私はジェニファー・エディンバラと言います。よろしくお願いします」
ジェニファーは優雅に一礼をした。それはホレイショが見たことがある所作の中で最も美しく気品を感じさせるものだった。
「ではアテナを紹介します。アボット中尉から詳しい説明を聞いてください」
「わかりました。お願いします」
ジェニファーが動くと大勢の人々も動く。それが皇女という存在かと思うと、ホレイショは改めて感心した。
コックピットに乗り込むジェニファーとアボット中尉。取り巻きたちは外から真剣な様子で説明に聞き入っていた。最後にミネルヴァが紹介されると、ジェニファーはホレイショと同様に驚きの声を上げたようだ。
「では殿下、一旦外に出てきていただきませんか?」
オルトラン艦長の声にジェニファーは静かに頷いていた。それは、これから訪れる別れの時間を覚悟したような表情だった。
「重ね重ねになりますが、今回の一件は私の力が至らなかったことが原因です。お詫びしたくてもお詫びしきれない気持ちでいっぱいです」
「いいえ。私は気にしていません。そんなに自分ばかり責めないでください」
「お優しい言葉をかけていただき、ありがとうございます。この反乱を鎮圧したのち殿下を追いかけますので、ご心配なさらずに先行してください」
ジェニファーは瞳に涙を溜めている。
「みなさまにもお世話になりました。この反乱を鎮圧し、必ず後を追ってくるように……」
あふれ出した涙が見えないように、ジェニファーは顔を逸らした。
「もちろんです。ジェニファーさまのお気持ちは、この場にいるもののみならずこの艦隊にいるものたち全員と同じ気持ちです。必ず後を追うとお約束します」
オルトラン艦長は優しく語りかけるように話した。そこには単なる主従関係よりも深いふたりの絆が見ることができた。ジェニファーは何度も頷いた。そして涙を拭くと、少し落ち着きを取り戻して口を開いた。
「では、行ってきます」
「はい。お気をつけて」
オルトラン艦長は頭を下げた。しかし、声を上げた人物がひとりいた。
侍女であるリリアンだった。
「ジェニファーさま!」
リリアンはジェニファーに駆け寄ると、そのまま抱きしめた。そのまま、嗚咽をあげて言葉を振り絞った。
「ご無事でいてください……。必ず、迎えに参りますので……っ!」
声を上げて無くリリアンをジェニファーは優しく抱き返した。
「あなたも、無茶は言わないようにしてね。私がいないからと言って、みんなに無茶なことを言ってはダメよ」
ジェニファーの一度おさまった涙も再び込み上げてきたようだ。
「ダメね。せっかくお別れをしたのに、貴女のせいでまた泣いてしまうじゃない」
「すみません。でも、私は……っ!」
なかなか泣き止まないリリアンの頭を優しく撫でた。
「大丈夫。また会えるわ。みんなを信じましょう」
はいと返事をすると、リリアンはジェニファーから離れてホレイショに頭を下げた。
「カーター少尉。どうか、エディンバラ殿下のことを、ジェニファーさまのことをよろしくお願いします」
「もちろんです。全力でお守りします」
「ありがとうございます。ではご武運を」
リリアンは深々と頭を下げると、振り返ることなく足早に戻っていった。ジェニファーは声をかけることなくその後ろ姿を見送った。
ジェニファーとリリアンの別れを静かに見守っていたオルトラン艦長が再び口を開いた。
「ご出立を。時間がありません」
ジェニファーは頷いた。まだ後ろ髪を引かれる思いは残っているようだが、覚悟を決めた表情だった。
ホレイショはオルトラン艦長や、フィッシャー大尉、アボット中尉をはじめとしたその場にいるに聞こえるように声を張った。
「必ず任務を遂行し、殿下をお守りします」
「カーター少尉。あとは任せたぞ」
「ふたりとも、お気をつけてください〜」
「急に巻き込んでこんな役目を押し付けてしまって申し訳ない。どうかエディンバラ殿下を安心な場所まで連れて行ってくれ」
オルトラン艦長をはじめとして、全員が敬礼をしていた。ホレイショもそれに応じた。久しぶりに身が引き締まる思いだった。
ホレイショとジェニファーは、振り返ることなくアテナのコックピットに向かった。
すでに用意されていた補助座席の足元には、ひとまとまりの荷物があるだけだ。ホレイショはジェニファーの手を引いて補助座席に導くと、自分は操縦席に座った。
「出ます」
「お願いします」
コックピットハッチが締まり、滞ることなく出撃準備が完了した。そして、暗黒の空間が広がる宇宙へアテナは飛び出した。
その姿は瞬く間に星となり、緑柱石色の軌跡を描いた。
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